第八十一話「新しい家族」
夕暮れ時、ニーナは病院から解放されて雷牙号へと駆け戻った。
「ただいま!」
「おう、お帰り」
ガランが操縦室から顔を出す。
「どうだった?」
「なんか、いろいろ検査されました。血を抜かれすぎて、ちょっとふらふらです」
ニーナは大げさに額に手を当てる。実際には、医師たちが何やら小難しい説明をしていたが、面倒くさくなって適当に聞き流して出てきたのだ。
「問題なしなんだろ?」
「えぇ、大丈夫って言われました」
「よかったわ!」
モニカが笑いながら、温かい紅茶を差し出した。
「はい、お疲れ様」
「ありがとうございます!」
一口飲んで、ニーナは元気を取り戻した。
「じゃあ、約束の手続きしに行こうか!」
ガランが帽子を被り直す。
「航空連盟の事務所はすぐそこだ」
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バビロン航空連盟事務所。古めかしい建物の中は、独特の雰囲気に包まれていた。壁には歴代の名パイロットたちの写真が飾られ、その中には初代会長を自称するニイナ・カーカラシカの肖像画もある。
「雷牙号、新規船員登録です」
ガランが窓口で申請書を提出する。
「ほう、ガラン船長。また新人を?」
顔見知りの事務員が、ニーナを見て微笑んだ。
「若いねえ。幾つだい?」
「17歳です!」
「有望株だな」
手続きは意外とあっさりと進んだ。書類にサインをし、指紋を登録し、写真を撮る。
「はい、これで君も正式に『空の民』の一員だ」
事務員が航空連盟の身分証を手渡した。
ニーナはそれを大切そうに両手で受け取る。
(これが......私の新しい身分証)
今まで軍の認識票しか持っていなかった。それも返却してしまった今、これが彼女の唯一の身分証明書だ。
「あの船が、新しい家か......」
窓から見える雷牙号を眺めて、ニーナは小さく呟いた。
その時、ガランの表情が曇った。
(そうだ、実家の件......)
ベオルブ家からの圧力。最後の任務を断ったことで、確実に強まっているはずだ。
「ちょっと、電話借りるぞ」
ガランは事務所の片隅にある法石通信機に向かった。
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受話器を取り、長らく掛けていない番号を回す。呼び出し音が数回鳴った後、若い女性の声が応答した。
『はい、ベル農園です』
「......俺だ」
『兄さん!?』
妹の長女、ソフィアの驚いた声。
『どうしたの、急に。もう何年も連絡なんて』
「悪い。ちょっと聞きたいことがあってな」
ガランは声を潜めた。
「最近、そっちに変な奴らが来てないか?」
『......』
沈黙。それが答えだった。
『軍服みたいなの着た人たちが、時々うろついてる』
「くそ......」
『父さんと母さんは気にしないようにしてるけど、みんな不安がってる』
「他の妹たちは?」
『学校の行き帰りが心配で、最近は送り迎えしてる』
ガランは拳を握りしめた。自分のせいで、家族が脅威に晒されている。
「ソフィア、みんなを連れてこっちに来い」
『え?』
「しばらく俺の船で暮らせ。安全だから」
『でも、農園は?』
「命より大事なもんはねえだろ」
電話の向こうで、ソフィアが他の妹たちと相談する声が聞こえる。
『分かった。でも、父さんと母さんは?』
「......説得してくれ」
両親とは絶縁状態だ。今更顔を合わせるのは、お互いに辛いだろう。
『いつ迎えに来てくれる?』
「今からすぐ行く」
電話を切ると、ガランは船員たちの方を向いた。
「悪い、急な話なんだが」
事情を説明すると、トムが真っ先に立ち上がった。
「船長の家族が危ないなら、行くしかないでしょう」
「面白そうじゃねえか」
ジャックも銃を確認しながら笑う。
モニカとアザリアも頷いた。
「家族は大事よ」
「準備はすぐできます」
ニーナは目を輝かせた。
「ガランさんの実家! 行きたいです!」
「観光じゃねえぞ」
ガランは苦笑したが、彼女の無邪気な笑顔に少し救われた気がした。
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雷牙号の格納庫で、出発準備が進められる。
「ベル農園まで、どのくらいかかる?」
ディアスが地図を確認する。
「ベオルブ領の西端だな。ここから3時間ってところか」
「夜には着くわね」
セラフィナが計算する。
レイは肩をすくめた。
「俺たちも付き合うぜ。どうせバビロンで休暇の予定だったし」
「すまねえ」
「水臭いこと言うなよ船長」
エンジンが唸りを上げ、雷牙号はバビロンの港を離陸した。
ニーナは窓から外を眺めている。
(ガランさんの家族......どんな人たちだろう)
妹が5人もいると聞いて、賑やかな家庭を想像する。孤児院育ちの彼女にとって、本当の家族というものは憧れの存在だった。
「なあ、ニーナ」
ガランが操縦桿を握りながら声をかけた。
「うちの妹たち、お前と同じくらいの歳の奴もいる。仲良くしてやってくれ」
「はい!」
元気よく返事をするニーナ。しかし、ガランの表情は晴れない。
(イナンナの奴、どこまでやるつもりだ)
家族を巻き込むのは、明らかに一線を越えている。これは宣戦布告に等しい。
夕闇が深まる中、雷牙号は故郷へと向かって飛び続ける。
船内では、船員たちがそれぞれに準備を進めていた。
「念のため、武器も持っていく?」
「当然だろ」
「でも、騒ぎは起こすなよ」
ニーナは、そんなやり取りを聞きながら思った。
(みんな、ガランさんのためなら何でもするんだ)
それは、彼が積み重ねてきた信頼の証。そして今、自分もその一員になったのだと実感する。
雷牙号は夜の帳が下りた空を突き進む。新しい家族を守るため、そして古い家族を救うために。




