第八十話「検査という名の調査」
バビロン、帝国有数の商業都市。その港に雷牙号が着陸すると、約束通りベオルブ家の使者が待っていた。
「お疲れ様でした」
事務的な口調で、使者は次々とトランクを船員たちに手渡していく。最後に、ニーナの前にも一つ置かれた。
「え? 私にも?」
「臨時雇用分です。詳細は中の明細書をご確認ください」
ニーナが恐る恐るトランクを開けると、整然と並んだ札束が姿を現した。
「うわあ......」
思わず声が漏れる。これだけあれば、数年は暮らしていけるだろう。
「船員になってよかったかも!」
嬉しそうに笑うニーナに、ガランが水を差す。
「勘違いすんなよ。今回は特別だ。普段からこんな大金が転がり込むわけじゃねえ」
「分かってますって」
ニーナが舌を出していると、セラフィナが咳払いをした。
「ニーナ、ちょっといいかしら」
「何ですか?」
「本部から連絡があってね。もう一度検査を受けてほしいって」
レイも頷く。
「RVウイルスの件、本当に完治してるか最終確認だとさ」
「えー、また病院?」
ニーナは顔をしかめた。
「血液検査だけじゃダメなんですか?」
「上からの命令だからな」
ディアスが肩をすくめる。
「まあ、タダで健康診断してもらえると思えば」
船員たちは特に気にした風もなく、口々に声をかけた。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「終わったら合流しようね」
モニカが手を振る。ガランも操舵輪から振り返った。
「戻ってきたら正式な契約書作るからな。船で待ってる。ちゃんと戻って来いよ」
「はい! すぐ終わらせてきます!」
ニーナは元気よく手を振り返し、ブレイド隊員たちと共に病院へ向かった。
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バビロン中央医療センター。帝国でも有数の設備を誇る病院だ。
「じゃあ、まず採血から」
白衣の医師が、慣れた手つきで準備を始める。
「はい......」
針が腕に刺さり、血液が試験管に吸い上げられていく。一本、二本、三本......
「ちょっと、多くないですか?」
「念のためです」
医師は表情を変えずに答えた。
「次は心電図検査です。こちらへ」
それから始まったのは、延々と続く検査の連続だった。
心電図、レントゲン、CT、MRI、肺活量、視力、聴力、反射神経——
「あの、RVウイルスの検査だけじゃ......」
「総合的に診る必要があります」
医師の答えは常に同じだった。
午前中いっぱいかけて基礎検査が終わると、今度は法力測定室に連れて行かれた。
「法力測定もするんですか?」
「ウイルスは法力に影響することがありますから」
もっともらしい説明だが、ニーナは首を傾げた。でも、まあ丁寧に調べてもらえるならいいか、と思い直す。
測定器の前に立つと、見慣れた青い光が身体を包んだ。
「測定完了。数値は......」
技師が目を見開く。
「120......?」
「え?」
ニーナも驚いた。前回は80だったはずだ。
「機械の故障かもしれません。もう一度」
しかし、何度測っても結果は同じ。法力測定値120——四大家の当主クラスの数値だった。
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その頃、帝都新エリドゥの軍本部では、メルベル・ボムが次々と送られてくる検査結果を眺めていた。
「血液型A、身長152センチ、体重45キロ......」
基礎データを確認していく。そして、法力測定値の欄で手が止まった。
「120だと......?」
前回の80から、わずか数ヶ月で40も上昇している。これは尋常ではない。
(やはり、ただの孤児ではないな)
四大家の血を引いていることは、ほぼ確実だ。問題は、どの家系なのか。
血縁検査の結果が出るまで一週間。その間、メルベルは様々な可能性を検討した。
もしボム家の血筋なら、彼女は次期女帝候補の筆頭になる。女系継承の伝統において、これほど強力な法力を持つボム家の女性が現れれば、ラムザの立場など吹き飛んでしまう。
もし他の家の血筋でも、状況は複雑になる。イシュタル家なら実母の立場が強化され、ベオルブ家ならイナンナの対抗馬になりうる。
「どちらにせよ、こいつは爆弾だ」
メルベルは深いため息をついた。
部屋の扉がノックされ、副官が入ってきた。
「閣下、追加の検査結果です」
「ああ」
受け取った書類に目を通す。内臓機能、神経系、骨密度——全て異常なし。むしろ、17歳の少女としては驚異的に健康だ。知能指数も高い。
「完璧すぎる」
メルベルは呟いた。
これほどの資質を持った少女が、なぜ孤児院にいたのか。誰が、何の目的で彼女を隠したのか。
(母上——アジョラ様は、知っていたのだろうか)
亡き義母の顔を思い浮かべる。あの聡明な女帝が、この少女の存在を知らなかったはずがない。だとすれば、あえて隠していたのか。
「閣下」
副官が声をかけた。
「検査は夕方まで続く予定です。その後、彼女は雷牙号に戻るとのことですが」
「監視を続けろ。ただし、気づかれるな」
「承知しました」
副官が退室すると、メルベルは窓の外を眺めた。
帝都は夕暮れの光に染まり始めている。この街のどこかで、運命の歯車が回り始めている。
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病院の検査室で、ニーナはまだ検査を受け続けていた。
「次は持久力テストです」
「まだあるんですか......」
うんざりしたように呟くが、医師は聞こえないふりをした。
(早く終わらないかな)
窓の外を見ると、太陽が傾き始めている。ガランたちが待っているはずだ。正式な契約書を作る約束もある。
(雷牙号の正式な船員......)
その響きが、なんだか誇らしかった。
検査室の片隅で、技師たちがひそひそと話している。
「あの法力値、本物か?」
「機械は正常だった。間違いない」
「四大家の誰かの隠し子か?」
「さあな。俺たちには関係ない」
ニーナには聞こえていない。ただ早く検査が終わることだけを願いながら、指示に従い続けていた。
『誕生日…楽しかったなぁ…』
毎日あってもいいのに、でかいパイ、ジュース…。そんなことしか考えていなかった。




