第七十九話「限界点」
雷牙号の操縦室で、ガランは手元の地図を睨みつけていた。ベオルブ家から指定された最後の隠れ家の位置——それは、共和主義者たちの勢力圏のど真ん中だった。
「船長、どうします?」
トムが心配そうに尋ねる。格納庫には既に、この数週間で回収した大量の資料や機材が積み込まれている。残るは最後の一箇所のみ。
「どうするも何も、無理だ」
ガランは地図を放り投げた。
「見ろよ、この周辺の状況を。完全に連中の本拠地じゃねえか」
モニカが別の資料を広げる。そこには、最新の偵察情報が記されていた。
「警備兵の数、推定300人以上。対空砲も設置されてるみたいね」
「それに、俺たちの船はもう何度も目撃されてる」
ジャックが付け加える。
「雷牙号が近づいたら、即座に総攻撃だろうな」
ディアスも難しい顔で腕を組んでいた。
「我々も同意見です。あの救出劇や、各地での隠れ家爆破......連中も学習してますから」
その時、法石通信機が鳴った。ベオルブ家からの直通回線だ。ガランは舌打ちをしながら受話器を取る。
『ガラン・ベル船長、進捗はどうだ』
冷たい女性の声——イナンナ・ベオルブの側近からだった。
「申し訳ありませんが、最後の一箇所は無理です」
『何だと? 契約を忘れたわけではあるまいな』
「忘れちゃいませんよ。だが、命あっての物種だ」
ガランは苛立ちを隠さない。
「あそこは完全に連中の勢力圏内。雷牙号なんか停泊させたら、五分と持たずに蜂の巣だ」
『報酬を上乗せしよう。倍でどうだ』
「金の問題じゃねえんだ」
『では、君の実家の件を——』
「脅しても無理なもんは無理だ」
ガランの声が一段と低くなった。
「俺の命だけじゃない。船員全員の命がかかってる。いくら実家を脅されようが、死んじまったら元も子もねえだろうが」
通信機の向こうで、相手が黙り込む気配がした。
「それに」
ガランは続ける。
「あんな場所、とっくに連中が占拠してるんだ。中身なんざもう持ち出されてるか、破壊されてるかのどっちかだろう。今更忍び込んで爆破なんて、二度と通用しねえよ」
『......』
「他の信頼できる民間船を紹介しますよ。死にたがりの連中なら、引き受けるかもしれねえ」
長い沈黙の後、相手が口を開いた。
『分かった。では、バビロンで残りの報酬を支払う。そこで契約完了としよう』
「それがいい」
通信が切れると、ガランは大きく息を吐いた。
「おつかれさん、船長」
モニカが肩を叩く。
「あんな無茶な要求、断って正解よ」
「ああ......でも、これで実家への圧力は確実に強まるな」
ガランは窓の外を見つめた。雲海の向こうに、故郷があるはずの方角を。
「船長」
ニーナが操縦室に入ってきた。
「どうしたんですか? みんな深刻な顔して」
「最後の隠れ家は諦めることにした」
ディアスが説明する。
「危険すぎる」
ニーナは少し考えてから、口を開いた。
「それでいいと思います。私も......もうあの連中とは関わりたくないし」
彼女の言葉には、まだあの捕虜体験の記憶が滲んでいた。
「よし、進路をバビロンに」
ガランが操舵輪を握る。
「最後の給料日だ。パーッと使おうぜ」
「賛成!」
船員たちが歓声を上げる。レイも笑いながら言った。
「俺たちも報告書書かなきゃな。『最後の一箇所は敵勢力圏により接近不可能』って」
「お役所仕事は大変だな」
ガランが皮肉っぽく笑う。
雷牙号は大きく旋回し、帝国の商業都市バビロンへと舳先を向けた。数週間にわたる危険な任務も、これで一区切りだ。
格納庫では、アザリアが回収した物資の最終確認をしていた。
「これだけあれば、四大家の連中も文句は言えないだろう」
「アジョラ様の遺産、か」
セラフィナが複雑な表情で、積み上げられた資料を見つめる。
「これが帝位継承にどう影響するか......」
「知ったこっちゃねえよ」
レイが肩をすくめた。
「俺たちは仕事をした。後は偉い人たちの問題だ」
夕暮れの光が、操縦室を金色に染めていく。ガランは静かに舵を取りながら、この数週間を振り返っていた。
ニーナの救出、リリスとの死闘、そして今——
「なあ、ニーナ」
「はい?」
「この仕事が終わったら、正式に雷牙号の船員になる気はあるか?」
ニーナの顔が、パッと輝いた。
「もちろんです!」
「給料は安いぞ」
「構いません」
「危険も多い」
「今更です」
ガランは苦笑した。
「じゃあ、バビロンで正式な契約書を作ろう」
「やった!」
ニーナが飛び跳ねる。モニカも嬉しそうに彼女を抱きしめた。
「これで本当の仲間ね!」
ディアスは、その光景を少し寂しそうに見つめていた。優秀な部下を完全に失うことになる。だが、彼女が幸せそうなら、それでいい。
「船長、バビロンまであとどれくらい?」
トムが計器を確認する。
「この速度なら、明日の昼過ぎには着くな」
「よし、今夜は宴会だ!」
ガランが宣言すると、船内に歓声が響いた。
長い任務の終わり。そして、新たな始まり。雷牙号は、夕焼け空を突き進んでいく。




