第七十七話「血統と戦略」
帝都新エリドゥの軍本部、最上階の大元帥執務室。巨大な窓から見下ろす街並みは、午後の陽射しを受けて黄金色に輝いていた。
メルベル・ボムは執務机に向かい、各地から送られてくる報告書の山と格闘していた。彼の本来の姓はイシュタルだが、養子縁組により今はボム家の人間だ。その複雑な立場が、現在の帝位継承問題をさらに錯綜させている。
「また隠れ家が一つ、か」
手元の報告書には、雷牙号チームが新たな隠れ家を発見し、貴重な資料を回収したとある。その成功率は他の班を圧倒していた。
メルベルは椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。彼の頭の中では、帝国の未来図が複雑な糸のように絡み合っている。
(血統か、実力か......いや、俺はその両方を手に入れる)
彼は実力主義者を自認している。しかし同時に、この帝国において血統が持つ力の重さも理解していた。四大家の女性たちが持つ法力の高さは、単なる偶然ではない。千年にわたって受け継がれてきた血の力だ。
だからこそ、彼は一般家庭から才能を発掘することに余念がない。レイのような逸材を見出し、育て、そして......
「レイの件は順調だな」
副官が持ってきた別の報告書に目を通す。レイと、とある名家の次女との交際が順調に進んでいるという内容だった。
(あの酒場の小娘とは、うまく別れさせた。レイは気づいてもいないだろうが)
メルベルの唇に、薄い笑みが浮かぶ。彼の計画は単純だ。才能ある平民を発掘し、名家との縁組を進め、新たな「メルベル派の名家」を作り上げる。血統と実力、その両方を兼ね備えた新興勢力を。
「大元帥閣下、ミカエル中尉がお子様を連れて参りました」
秘書官の声に、メルベルは「通せ」と短く答えた。
扉が開き、かつて平民だった男が、3歳ほどの女の子の手を引いて入ってきた。ミカエルもまた、メルベルが見出し、ナブ家の分家の娘と結婚させた一人だ。
「閣下、ご挨拶に」
「おじちゃん、こんにちは!」
女の子が元気よく挨拶する。メルベルは執務机から立ち上がり、膝をついて子供と目線を合わせた。
「おお、リリアか。大きくなったな。今日は何して遊んだ?」
「あのね、お庭で、ちょうちょを追いかけたの!」
「そうか、それは楽しかったな」
メルベルの表情は、部下たちが普段見ることのない柔和なものだった。この子供たちこそが、彼の計画の結晶だ。平民の才能と、名家の血統を併せ持つ新世代。
「リリアも大きくなったら、おじちゃんみたいに強くなれるかな?」
「なれるとも。お父さんもお母さんも優秀だからな」
ミカエルが恐縮したように頭を下げる。メルベルは立ち上がり、男の肩を叩いた。
「次の任務、頼んだぞ」
「はっ! 必ずや」
親子が退室した後、メルベルは再び椅子に座った。彼の派閥は着実に、しかし確実に拡大している。10年後、20年後を見据えた長期戦略。
(だが、ラムザの問題は別だ)
義母アジョラから託された義弟の立場。男子である彼を皇帝にすることは、600年の伝統に反する。しかし、約束は約束だ。
そこで気になるのが、あの報告書の内容だった。
「隠れ家の扉を開ける少女、か」
メルベルは改めて報告書を読み返す。当初、ベオルブ家直系のセラフィナが鍵役だと思われていた。彼女の血統なら、確かに扉を開けられる可能性はある。
しかし、詳細な報告を精査すると、実際に扉を開けているのは別の人物らしい。金髪赤目の、ニーナという少女。
「ニーナ・クロウ......孤児院育ち、か」
経歴を見る限り、四大家との血縁関係はない。だが、隠れ家の扉は開いた。
(母の隠れ家......いや、正確には歴代女帝たちの隠れ家だ)
その扉は、極端な血縁主義で設計されている。法力の特性、遺伝子情報、様々な要素から、そこにいる人間が初代女帝ニイナと始祖メルベルの血筋を引いているかを判定する。血が薄ければ開かない。
他の班にも、密かに血筋の良い者を配置していたが、誰も扉を開けられなかった。なぜ、身寄りのない孤児が......
「もし、あの少女がイシュタル家の血を引いているなら」
メルベルは呟く。そうなれば、実母エレシュキガルの立場が強まる。イシュタル家から女帝を出す流れが確定的になる。
「だが、もしボム家の血縁者なら......」
新たな後継者候補の出現。それは現在の膠着状態に、予測不能な変化をもたらすかもしれない。
しかも、その少女を擁する雷牙号チームは、隠れ家探索で圧倒的な成果を上げている。おまけにルカヴィの一体を倒し、対抗策まで確立した。
「発言権は完全にベオルブ・イシュタル連合に傾いたかな」
メルベルは深いため息をついた。このままでは、イナンナが女帝に即位するか、あるいは実母エレシュキガルが何らかの形で実権を握るだろう。
ラムザの立場を、どう守るか。
「レイ」
法石通信機を手に取り、直通回線を開く。しばらく待つと、雑音混じりの声が響いた。
『大元帥閣下! レイです』
「状況はどうだ」
『順調です。隠れ家をまた一つ。収穫は上々で』
「それはいい。ところで、例の鍵開けの名人とやらの件だが」
『ニーナのことですか?』
「そうだ。俺のところに連れて来い。直接話を聞きたい」
通信機の向こうで、レイが苦笑いする気配が伝わってきた。
『それが閣下......あの子、もう軍を辞めちゃったんですけど』
「何だと?」
メルベルの眉が跳ね上がる。そんな重要な情報が、なぜ自分の耳に入っていないのか。
「副隊長!」
すぐに別の通信回線を開く。ブレイド副隊長は、この建物の別フロアにいるはずだ。
『はい、副隊長です』
「ニーナという隊員が退役したと聞いたが、どういうことだ」
『ああ、その件でしたか』
副隊長の声は申し訳なさそうだった。
『実は、先日の任務で共和主義者に捕らえられまして。雷牙号の船長が単独で救出したのですが、その際にRVウイルスを投与されたようで』
「RVウイルス......」
メルベルの表情が険しくなる。ルカヴィ化の原因となるウイルス。現在では治療薬により完全に排除可能になっている。
『心的外傷も深刻でして。本人の希望もあり、名誉除隊ということに。現在は雷牙号の船員として再就職したと聞いております』
「雷牙号に、か」
なるほど、それで隠れ家探索の成功率が維持されているのか。しかし、なぜ共和主義者たちは彼女にウイルスを投与したのか。単なる嫌がらせか、それとも別の意図があったのか。
「分かった。引き続き監視を頼む」
『承知しました』
通信を切ると、メルベルは再び椅子の背もたれに身を預けた。
(あの少女の血統......調べる必要があるな)
しかし、民間人となった今、直接的な介入は難しい。慎重に、しかし確実に、真実を掴まなければ。
窓の外では、夕陽が帝都を赤く染め始めていた。帝国の未来を左右する駒たちが、それぞれの思惑を抱えて動き続けている。
メルベルは立ち上がり、窓際に歩み寄った。眼下に広がる帝都の光景を見下ろしながら、彼は呟く。
「血統と実力、そして......運命か」
初代女帝ニイナと始祖メルベル。600年前の二人の血が、今も帝国を縛り続けている。その鎖を断ち切るのか、それとも新たに紡ぎ直すのか。
答えは、まだ見えない。
執務室のドアがノックされ、秘書官が顔を覗かせた。
「閣下、定例会議のお時間です」
「分かった」
メルベルは軍服の襟を正し、執務室を後にした。彼の脳裏には、金髪赤目の少女の姿が焼き付いていた。
(ニーナ・クロウ......まずもって、我々の血だ、それも相当濃厚な)




