第七十話「ガランパパ」
午後の陽射しが港に差し込む中、一週間の入院生活を終えたガランが雷牙号のタラップを上がってきた時、格納庫にいた船員たちは思わず作業の手を止めた。
身長190センチを超える大柄なガランの体格は、以前と変わらず堂々としている。腹部の傷はまだ完全ではないが、医師から「無理をしなければ日常生活は可能」という診断を受けて退院してきたのだ。包帯の上から着たシャツが、彼の逞しい体躯を際立たせている。
しかし、船員たちが驚いたのは彼の回復ぶりではなく、その後ろにピッタリと張り付いている小さな影の存在だった。
身長150センチほどのニーナが、まるで磁石に引かれるように、ガランの巨躯の陰に隠れるようにして歩いている。病院での一週間、あの異様な監視行動から一転して、今度は人懐っこい笑顔を浮かべながら、やはり影のようにガランの後をついてきていた。
二人の体格差は圧倒的で、まるで大型犬に懐いた小型犬のような、あるいは父親の後ろを歩く幼い娘のような光景だった。
「なんか......異様な感じがするな」
トムが油まみれの手を拭きながら小声で呟いた。他の船員たちも同様の違和感を覚えている様子で、皆が何となく作業に集中できずにいた。
そこに、機関室からモニカが現れた。その光景を一目見るなり、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべて声をかける。
「あらあら、ガランパパ。ニーナちゃんの面倒、ちゃんと見てあげなさいよね」
その揶揄に、船員たちは「あぁ、なるほど」と一様に納得の表情を見せた。確かに見た目だけで判断すれば、体格の良い大男と小柄な少女の組み合わせは、どこからどう見ても父親と娘の関係にしか見えない。年齢差も実際には十歳程度だが、体格差を考慮すればそれ以上に見えるだろう。
ガランは困ったような顔で振り返った。背後でニーナがニコニコと微笑んでいるのが見える。
「なあ、ニーナ。お前、仕事はいいのかよ? ブレイドの任務とか、何かあるんじゃないのか?」
「ないです」
ニーナは満面の笑みを保ったまま、実に端的に答えた。それ以上の説明をする気は一切ないようで、ただガランを見上げて微笑み続けている。
「そっかー......」
ガランは困惑しながら呟いた。内心では複雑な思いが渦巻いている。
(これ、マジでどうしようかな......)
実は密かに、久しぶりに街の色町でも覗こうかと考えていたのだが、この状況では絶対に無理だ。かといって、16歳の少女を誘ってどこかに出かけるというのも、社会的に見て適切ではない。もし二人でいるところを警察官に職務質問でもされたら、関係を説明するのに相当苦労しそうだ。
(二人きりは色々と問題がありそうだな......)
手を出すのも何となく憚られるし、そもそも法力の差を考えれば、下手なことをして反撃されたら自分の方が危険だった。
(でも......あいつ、直前まで男どもに酷い目に遭わされる寸前だったからな)
ガランは思い直した。彼女も精神的に不安定になっているのかもしれない。自分が命をかけて助けたわけだから、少しずつ「もう安全だ」ということを教えてやった方がいいのではないだろうか。
「なあ、モニカ」ガランは苦肉の策を思いついた。「ちょっとお前、付き合えよ。ニーナに街案内でもしてやりたいんだが、一緒に来てくれないか?」
モニカは一瞬、目を輝かせた。しかし、ニーナの笑顔を改めて見つめた時、その表情が微かに曇った。
何かが違う。普通の人間の表情とは、微妙に違う何かがある。彼女の小さいころの経験、深い孤独感から生まれた、寂しい幼い記憶が作り出した笑顔なのか。自分が冗談で言った「父性」というものを、この少女がガランに必死に求めているような、そんな切実さを感じた。
(ちょっと......これ、笑い事じゃなさそう)
この猛獣のような純真さと危うさを併せ持つ少女の標的が、完全にガランであることを、モニカはようやく理解し始めていた。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお出かけする? パパと一緒にお散歩しようかー?」
それでも表面上は明るく振る舞いながら、モニカは更なる揶揄を続けた。
「じゃあ、モニカ、お願いします!」
ニーナは相変わらず人形のように完璧な笑顔で答えた。しかし、その笑顔の完璧さが、かえって不自然さを際立たせている。
「そうねえ......適当な喫茶店でも入りましょうか。その後で街の観光でもしましょう」
モニカの声には、先ほどまでの軽やかさが少し欠けていた。
三人が格納庫を出ていくのを見送りながら、残された船員たちは興味深そうに、しかし何となく重い空気で話し始めた。
「まあ、あんだけカッコつけて助けたらなあ......」
ジャックが感慨深げに言った。しかし、その声には先ほどまでの軽やかさが少し欠けていた。普段なら冗談交じりに話すような話題なのに、どこか真剣な響きがある。
「好きになるなっていう方が無理な話よね」
アザリアが頷いたが、彼女の表情にも微かな困惑が浮かんでいる。何かが普通の「恋愛」とは違うということを、女性の直感で感じ取っているのかもしれない。
「俺が思うに」トムが声を潜めた。「船長の貞操が狙われてるんじゃないか?」
「あー、確かに。襲われたら船長、何もできないだろうな」
「法力の差がありすぎるもんなあ。ニーナ、すごい怪力だし」
船員たちは真剣な顔で議論を続けた。しかし、その話題が進むにつれて、ニーナの必死さ──何かに取り憑かれたような、異常なまでの執着が感じられることに、皆が薄々気づき始めていた。
普通の「好意」や「感謝」を超えた、もっと深刻で複雑な感情が彼女の中にあるのではないか。
「なあ、もしそうなったら......」トムが言いかけて、途中で言葉を濁した。
何と言えばいいのか分からない。冗談にするには重すぎる話題のような気がしてきた。
「ブレイドの仕事、続けると思う?」ジャックも何となく重い口調になった。
「うーん......」アザリアが困ったような顔をした。
格納庫に、微妙な沈黙が流れた。皆、同じことを考えているのだが、それを口にするのは何となく憚られる。
しばらくの沈黙の後、トムが重い口調で呟いた。
「まあ......命救った責任ってやつ? 最後まで面倒見る義務があるよ、船長には」
「そうそう!」
突然、ジャックが大声で叫んだ。重い空気を吹き飛ばすように、わざとらしく陽気な声で。
「お前がパパになるんだよ! ガラン!」
その突然の大声に、皆が一瞬驚いた後、安堵したように笑い出した。重い話題から解放されたような、そんな笑いだった。
「あはは、パパか!」
「似合うかもな、あの体格なら」
「よし、こんな話してても仕方ない。カードゲームでもするか」
「賛成! 久しぶりに騒ごうぜ」
「ポーカーにしようか、それともトランプ?」
船員たちは笑い合いながら、まるで重い話題から逃げるように、船の中へと入っていった。しかし、心の奥底では皆、この状況がどこに向かうのか、漠然とした不安を抱えていた。
格納庫に残った午後の陽射しは相変わらず穏やかだったが、その光の中にも、微かな影が混じっているようだった。




