第六十九話「獲物を見つけた猫」
午後の陽射しが強く照りつける港町の空港で、雷牙号が滑走路にゆっくりと着陸した。エンジンの轟音が徐々に静まる中、ガランはできる限り平然とした表情でタラップを降りた。
「いやあ、今日は暑いなあ」
わざとらしく背伸びをして見せたが、その動作で腹部の傷に電撃のような痛みが走った。しかし、歯を食いしばってその痛みを表情に出すまいと必死だった。汗が額に浮かぶが、それが暑さのせいなのか痛みのせいなのか。
そんなガランの真後ろに、ニーナがピッタリと張り付いていた。まるで彼の影が人格を持ったかのように、ガランが右に動けば右に、左に動けば左に、寸分の狂いもなく追従している。その足音は驚くほど静かで、まるで熟練の暗殺者のような動きだった。
ニーナの表情は、これまで見せたことのないほど無機質だった。瞳孔が異様に拡張し、まばたきの回数も極端に少ない。その様子は、初めて親を見つけたアヒルの雛が刷り込み行動を起こしているようでもあり、あるいは獲物を見つけた大型猫科動物が狩りの瞬間を待っているようでもあった。
空港の向こうから、金属製の車輪がアスファルトを転がる音が響いてきた。病人搬送用の担架だった。白衣を着た医療関係者たちが三人、慌ただしく小走りで駆け寄ってくる。その中には看護師らしい女性も含まれていた。
「ほら、ニーナ」ガランは担架を指差しながら言った。「あれだよ、あれ。お前が使うやつだ」
しかし、ニーナは一言も発さなかった。ただじっとガランの横顔を見つめ続けている。その視線の強度は尋常ではなく、まるでレーザー光線のように集中していた。ガランは皮膚がピリピリするような感覚に襲われ、思わず身を縮めた。
「船長!」
船員たちが疲れ切った声で呼びかけた。トムの顔は青白く、明らかに心労が溜まっている様子だった。
「あれはあんたのためのものです! もういいから早く横になって運ばれてください!」
アザリアも割り込んできた。
「着陸の時、操縦桿握ってる手がガクガク震えてましたよ......私たち、本気で死ぬかと思いました」
船員たちの表情には、心配と呆れ、そして若干の怒りが混じっていた。ガランの無謀さに振り回され続けた疲労が、全員の顔に刻まれている。
「いやいや、何言ってんだよ」ガランは無理に豪快な笑い声を立てた。「俺は見ての通りピンピンしてるって。この通り元気だ」
その作り笑いをニーナに向けると、彼女は相変わらず真顔で、瞳孔を大きく開いてガランを凝視している。その表情には一切の感情が読み取れず、まさに獲物をロックオンした肉食動物のそれだった。
「う......うう......」
その異様な迫力に完全に気圧され、ガランは観念したように担架へと歩を向けた。
「まったく......文句言うなよ。俺だって好きでこんなことになったわけじゃないんだからな」
医療スタッフが慣れた手つきで彼を担架に寝かせ始めた時、ブレイドのディアス隊長が近づいてきた。
「では、ニーナ君はこちらに同行を」隊長の声は公式的だった。「一応問題ないとの報告だが、何を注射されたかは徹底的に検査が必要だからな」
ニーナはようやくガランから視線を外し、ゆっくりと隊長の方を向いた。しかし、歩き始めてからも何度も振り返り、まるで大切な獲物を他の捕食者に奪われるのではないかと心配する動物のような仕草を見せた。
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空港のロビーでは、船員たちにセラフィナとレイから報酬が手渡されていた。
「現金での報酬です」セラフィナが改まった口調で説明した。「皆さんの働きに対する、帝国からの正当な対価です」
レイがトランクを次々と開けると、中には新札の束がぎっしりと詰まっていた。紙幣の匂いが空気に混じる。それは彼らの通常の安月給の二十年分、場合によってはそれ以上に相当する金額だった。
「うわあああああ!」
「マジかよ、こんなに!」
「夢みたいだ......」
船員たちの目が一斉に輝いた。疲労も忘れて、全員がまるで子供のようにウキウキとした表情になる。トムは興奮して小躍りし、ジャックは札束を手に取ってパラパラと数え始めた。
「これで実家に送金できる......」
アザリアが涙ぐみながら呟いた。
「俺の借金も全部返せる」
モニカも感極まったような声だった。
「とりあえず街でみんなで盛大に飲みに行きましょう!」
アザリアの提案に、全員が即座に賛成した。久しぶりの大金を手にして、彼らは足取りも軽やかに街の繁華街へと繰り出していった。その後ろ姿には、長い間の苦労から解放された安堵感が漂っていた。
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市立総合病院の外科病棟では、ガランが改めて詳しい診察と治療を受けていた。最新の医療設備が整った清潔な診察室で、経験豊富な外科医が彼の傷を慎重に検査している。
「かなり深い刺創ですね」医師は眉をひそめた。「応急処置はよくできていますが、感染の危険もあります。最低でも一週間の入院が必要でしょう」
医師の診断は予想以上に厳しいものだった。しかし、専用の点滴を受けて医療用の強力な痛み止めが血管に流し込まれると、これまで彼を苦しめ続けていた激痛が魔法のように消えていく。
「ああ......これが文明の力ってか.....」
個室のベッドに横たわりながら、ガランは生まれて初めて味わう安堵感に包まれた。睡眠中に局所麻酔下で追加の縫合処置も受けたようで、傷口の状態も格段に良くなっている。点滴の管から流れ込む薬液が、体中の痛みを洗い流してくれているようだった。
(そういえば、金ってどのくらいもらえるんだろうな?)
痛みから解放されて初めて、報酬のことを考える余裕が生まれた。あの人間離れした化け物のような女──リリスを実際に倒したわけだし、相当な額の報奨金が期待できるのではないだろうか。もしかすると、これまでの人生で手にしたことのないような大金かもしれない。
そんな取らぬ狸の皮算用をしながら、暇つぶしに病院の売店で買った冒険小説を読んでいると、病室のドアが音もなく開いた。
「よお!」ガランは明るく声をかけた。「お疲れさま。検査はどうだった? 大丈夫だったか?」
しかし、入ってきたニーナの様子は明らかに異常だった。彼女はドアを静かに閉めると、まるで音を立てないよう細心の注意を払いながらベッドのすぐ隣の椅子に座った。そして、例の瞳孔が異常に拡張した真顔で、再びガランの凝視を始めた。
「な......なあ......」
その異様な表情と雰囲気に、ガランは思わず声が裏返った。まるで野生動物に見つめられているような、原始的な恐怖を感じる。
「検査結果、どうだったんだ? 何も問題なかったか?」
「薬を打ってもらいました」ニーナは機械のように単調な口調で答えた。「もう大丈夫です。何の心配もいりません」
そう答えると、再び無言でガランの顔をじっと見つめ始めた。まばたきすらほとんどしない。その集中力は超人的で、まるで世界にガラン以外何も存在しないかのようだった。
「そ......そうか......よかったじゃないか」
ガランは居心地の悪さを紛らわそうと、横になって天井を見上げた。しかし、隣に座る彼女からは針のような、短剣のような鋭い視線を常に感じる。まるで巨大な肉食獣が獲物を狙っているような、そんな緊張感が病室を支配していた。
(これって......前に俺が感じてた、ニーナのやばい部分ってやつか?)
彼の脳裏に、これまで感じていた違和感が蘇った。異常なまでに勝気で負けず嫌いな性格、状況によってガラリと変わる二面性、そして時折見せる、まるで仮面を被ったような不自然な表情。
(なんだ、この感情は? 一体何を考えてるんだ、こいつ...... 執着?)
しかし、下手に核心を突くようなことを言うのは危険だと直感が警告していた。今のニーナは、普通の少女ではない何かに変わっている。
「なあ......他のみんなは? モニカとかアザリアとかは?」
話題を変えようと努めた。
「みんなでお酒を飲みに行きました」ニーナは相変わらず無表情で答えた。「私は来ませんでした。ここにいる必要があったので」
彼女は微動だにしなかった。まるで忠実な番犬──いや、番猫のように、ガランを見張り続けている。その姿勢は石像のように動かず、呼吸すらほとんど感じられない。
「じゃ......じゃあ俺も疲れたし、ちょっと寝るわ」
「おやすみなさい、ガランさん」
ニーナは丁寧に、しかし感情のこもらない声で答えた。しかし、立ち上がる気配は全くない。椅子に座ったまま、彼女の視線は相変わらずガランに注がれ続けている。
ガランは目を閉じようとしたが、背中どころか全身に刺さる視線の圧力に、とても眠れそうにない。病室の静寂の中で、時計の秒針の音だけが妙に大きく響いている。
(寝れねえ......)
彼は薄目を開けて、隣の椅子を盗み見た。ニーナは全く同じ姿勢で座り続けており、その瞳は闇の中でも輝いているように見えた。




