第六十八話「涙の味」
ガランは自室のベッドの端に座り、冷や汗を流していた。
シャツを脱ぐと、腹部に巻かれた包帯が血で滲んでいる。ブレイドの隊員たちが応急処置で縫合してくれたが、素人仕事の限界は明らかだった。
「マジで......死ぬほど痛い......」
一人でいると、どうしても弱音が漏れる。サーベルが貫通した傷口は、息をするたびに鈍い痛みを送ってくる。
枕元から痛み止めの錠剤を取り出し、二粒、三粒と迷わず口に放り込んだ。水で流し込むと、薬の苦味が喉に残る。
(医者に行かなきゃならねえのは、俺も同じだな......)
しかし、あの見栄を張った後で「実は刺されて動けません」などと今更言えるはずがない。くだらない彼のプライドが、それを許さなかった。
数分後、痛み止めが効き始めたのを感じた。少し楽になった気がする。
「よーし!」
無理に元気な声を出して立ち上がると、操縦室に向かおうとした。しかし、部屋を出た途端、船員たちが待ち構えていた。
「あのさあ......」
トムが困ったような顔でガランの前に立ちはだかった。
「何だよ」
「船長、マジで休んでください」
アザリアも呆れ顔で割り込んできた。
「バカなの? その状態で操縦桿握って、船を墜落させる気?」
「は? 何言ってんだお前ら」ガランは強がって見せた。「まともに操縦もできねえくせに、俺に意見するなよ」
その時、アザリアがガランの腹部をそっと小突いた。
「ひっ......!」
ガランの顔が一瞬で青ざめ、額に大量の汗が噴き出した。体が硬直し、微動だにできなくなる。
「ほら、男衆」アザリアが振り返った。「このバカをベッドに連れて行って」
「重.....」
「船長、無理しすぎですよ」
船員たちに両脇を抱えられ、ガランは不本意ながら自室に連行されていった。
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一方、医務室では別の告白が始まっていた。
「実は......」
モニカが重い口調で切り出した。ニーナ、レイ、セラフィナ、そしてディアス隊長が神妙な顔で聞いている。
「あの時、何が起こったのか......全部話すわ」
モニカの表情は普段の明るさを失っていた。彼女の話は、ガランが単独で救出作戦を強行したこと、そして正規の救出には一週間もかかる予定だったことを詳細に語った。
「つまり......」ディアス隊長が重々しく付け加えた。「君がここで無事でいられるのは、すべてガラン船長の機転のおかげなんだ」
ニーナは俯いた。胸の奥で何かが重くのしかかっている。
「あの人、すごいバカだから」モニカは苦笑いを浮かべた。「『黙ってろ』って釘を刺されたけど......お腹を刺されてるのよ。本当は入院が必要なはずなの」
「え......?」
「街に着いたら即病院行き。船がしばらく動かせない理由は、それなのよ」
ニーナの目に、大粒の涙が溢れた。
これまで生きてきた中で、ここまで人に迷惑をかけ、そして救われたことがあっただろうか。孤児院の冷たい石の壁、栄養失調で痩せこけた子供たちの顔、無味乾燥な毎日の記憶が蘇る。
そして同時に、幼い頃に一人で妄想した温かい家庭の光景も浮かんだ。優しい父親と母親に囲まれて笑っている、決して現実にはならなかった夢の記憶。
(たかだか二ヶ月の付き合いなのに......)
ガランは確かにいい人で、自分も彼を気に入っていた。しかし、彼からすれば自分は客に過ぎない。命をかけるほどの理由があったとは思えない。
(なぜ......なぜそこまでしてくれるの?)
「船長の男気っつーかさあ」レイが感慨深げに言った。「すげえかっこよくて、マジでビビったよ。本当に連れて帰ってくるんだもんな」
彼の声にも、普段の軽薄さはなかった。
「正直言うと......」セラフィナが口を開いた。「私たちは申し訳ないけど、二の足を踏んでたの。あなたがこうして無事でいられるのは、完全にあの人のおかげよ」
彼女の声が少し震えている。
「感謝しても仕切れない恩人だと思うわ」
そこでモニカが、とどめと言わんばかりに何かを取り出した。
「ほら、これ」
それは、作りかけだったリンゴパイだった。ガランが約束してくれた、あのパイ。
「これを食わせるまでは見捨てられないって」モニカは涙声で笑った。「マジでカッコつけすぎよね、あの人」
ニーナはパイを受け取った瞬間、堰を切ったように泣き崩れた。
言葉にならない嗚咽が喉から漏れる。パイを少しずつ齧りながら、涙が止まらなかった。
甘酸っぱいリンゴの味が口の中に広がったが、涙の塩味と混じって、何とも言えない複雑な味になる。
その様子を見て、レイは静かに目頭を押さえた。セラフィナも、普段の強気な態度を忘れて涙ぐんでいる。
モニカは笑いながらニーナの肩を抱いた。しかし、彼女の頬にも涙が流れている。
「私もマジ見直したわ......」
医務室に、温かい涙の音だけが響いていた。
窓の外では、雷牙号が夕暮れの雲海を静かに飛んでいる。安全な港へと向かいながら。
パイの甘さと涙の塩味が、ニーナの心に刻まれていく。これは彼女にとって、初めて味わう家族の愛の味だった。




