第六十一話「罠の中へ」
山間部の険しい地形を縫うように、雷牙号は目的地へと降下していく。雲海の間から見える岩山の隙間に、今回の隠れ家が眠っているはずだった。
「よし、到着だ」
ディアス隊長の声に、ニーナは立ち上がった。腰にはサーベルを帯び、その顔には揺るぎない自信が浮かんでいる。
「みなさん、今回もよろしくお願いします!」
彼女は船員たちに向かって明るく手を振った。モニカが笑顔で手を振り返し、ガランも操縦席から軽く頷く。この光景も、もはや日常となっていた。
(今回も大丈夫だろう)
ニーナの胸には確固たる自信があった。ガランとの特訓で身につけた鉄嵐流、ブレイドたちとの連携、そして何より、前回の勝利体験。もう青白い女が現れても怖くない。
「準備はいいか?」
「はい!」
隊員たちと共に雷牙号を降りると、いつもの光景が広がっていた。岩山に埋め込まれるような形で建設された隠れ家。その入り口には、見慣れた分厚い金属の扉が閉ざされている。
「また私の出番ですね」
ニーナは得意そうに扉に近づいた。表面に手を這わせ、開閉機構を探る。これまでの経験で、アジョラの隠れ家の構造は大体把握していた。
「あった」
数分後、彼女は小さな窪みを見つけた。手を当てると、扉がゆっくりと開いていく。
「さすがだな」レイが感心したように呟いた。
内部に足を踏み入れると、いつもとは違う雰囲気を感じた。
「妙に......片付いてますね」
セラフィナが首をかしげた。これまでの隠れ家は、長年放置されていたにしては物が散乱していることが多かった。しかし、今回は異様なほど整然としている。
「データはどうだ?」
ディアスがパネルを確認した隊員に尋ねた。
「何も残ってません。完全に消去されてるようです」
不気味な静寂が施設内を支配していた。ニーナは物品保管庫を漁ったが、めぼしいものは何も見つからない。
「隊長! これを見てください!」
エリスの代わりに参加した補充隊員が、床の隅で何かを拾い上げた。
ディアスが受け取ったのは、粗雑な造りの拳銃だった。しかし、よく見ると分解されており、部品の一部が欠けている。使い物にはならない状態だが、特徴的な改造痕は見覚えがあった。
「共和主義者の......」
ディアスの顔が青ざめた。
「何かがここにいた......いや、撤収した後なのか?」
嫌な予感が胸を過った。これは罠かもしれない。
「すぐに船に戻ろう」
彼は通信装置に手を伸ばした。
「雷牙号、こちらディアス。応答願う」
しかし、返ってきたのは銃声と怒号だった。
『こちら雷牙号! 攻撃を受けている! 共和主義者の一団が──』
通信が途切れた。
「まずい!」ディアスは叫んだ。「すぐにここから出るぞ!」
隊員たちは慌てて装備をまとめた。ニーナも慌てて立ち上がったが、どこか状況を軽く見ている節があった。
(船の方は大丈夫でしょう。ガランさんたちは強いし)
外に出ると、静寂が広がっていた。しかし、その静寂は不自然だった。
「おかしい......」
ディアスが呟いた瞬間、四方から人影が現れた。
「囲まれた!」
共和主義者たちが一斉に姿を現した。しかし、彼らの動きは奇妙だった。普通なら一斉射撃で殲滅を図るはずだが、明らかに殺す気がない。
「退路を断つ気だ!」
ディアスの観察は正しかった。敵は意図的にブレイド隊員たちを分散させ、特定の方向に追い込もうとしている。そして、その標的は明らかにニーナ一人だった。
「私を狙ってる......?」
ニーナがそう気づいた時、既に遅かった。
*ポン! ポン! ポン!*
四方から投網が発射された。暴動鎮圧用の特殊な網が、彼女の頭上に降り注ぐ。
「くそ!」
ニーナはサーベルを抜いて網を切ろうとしたが、複数の網が絡み合い、思うように身動きが取れない。
「ニーナ!」
ディアスが駆け寄ろうとしたが、共和主義者たちが行く手を阻んだ。
*プシュッ! プシュッ! プシュッ!*
網に絡まって身動きの取れないニーナに向けて、麻酔銃が次々と発射された。小型の猛獣用に開発された強力な麻酔弾が、彼女の体に突き刺さる。
「う......あ......」
ニーナの意識が朦朧としてきた。必死に網を切ろうとするが、手に力が入らない。
その時、見慣れた青白い肌の女が現れた。
「リリス!」ディアスが叫んだ。
「今度は逃がさないわよ」
リリスの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。今回は一対一の戦いではない。完璧に計算された罠の中での一方的な狩りだった。
「みんな、撤退だ!」
ディアスは苦渋の決断を下した。このまま戦っても、全滅するだけだ。
「でも、ニーナが!」
「今は無理だ!」
ブレイド隊員たちは、意識を失いかけているニーナを見捨てて逃走した。リリスの追撃を受けながら、命からがら雷牙号にたどり着く。
船上では、ガランが額から血を流していた。
「船長!」
「大丈夫だ。奴らは撤退した」ガランは振り返った。「ニーナは?」
ディアスは答えられなかった。その沈黙が、全てを物語っていた。
「まさか......捕まったのか?」
モニカの顔が青ざめた。
「今は撤退するしかない」ディアスが歯噛みした。「敵の狙いはニーナだった。最初から仕組まれた罠だったんだ」
雷牙号は山間部から離脱していく。その下では、麻酔で意識を失ったニーナが、共和主義者たちによって運び去られていた。
金髪の少女は、ついに狂女帝の手の内に落ちたのだった。
格納庫では、作りかけのパイが寂しくテーブルに置かれていた。




