第六十話「狂女帝への恐怖」
山奥の廃墟となった古城で、四つの影が膝を突いていた。
かつては帝国将軍だったカイン、ベオルブ家の令嬢だったリリス、法石研究者だったザガン、そして共和主義者だったアモン。彼らの青白い顔に、今は恐怖の色が浮かんでいる。
「リリス......お前、あの少女にやられたのか」
カインが震え声で尋ねた。彼の記憶にあるリリスは、帝国軍の小隊程度なら一人で殲滅できる化け物だった。それが人間の少女に負けたなど、信じがたい事実だった。
「やられたなんて......」リリスは悔しそうに歯噛みした。「不覚を取っただけよ。油断していただけ」
「油断?」ザガンが眉をひそめた。「お前がか?」
「あの子、ただの人間じゃない」リリスは青白い手を震わせた。「剣の技が......まるで鉄嵐流の達人のような」
四人の顔が青ざめた。鉄嵐流──600年前に失われたはずの古流剣術。ニイナが愛用していた、実戦特化の殺人剣だ。
「まさか......」アモンが呟いた。「あのニイナの血縁者か?」
その時、美しいリュートの調べが響いてきた。
♪*その剣は炎、その瞳は深淵
恐れ逃げまどう、民の叫び声
戦う者たちも、塵となりゆく
我らは求めた、真の英雄を*♪
澄んだ歌声が廃墟に木霊する。「孤独な戦士の子守歌」──ニイナが機嫌の良い時に歌う、600年前から変わらぬ調べだった。
四人は身を寄せ合った。今のニイナは正気を保っているようだが、それがいつまで続くかは分からない。
♪*千年王に挑む、炎の戦士を
だが英雄は選んだ、汚名という道を
愛する者のため、全てを捨てて*♪
歌は続いている。父メルベルへの想いを込めた、狂気と愛情が混在する複雑な歌詞。四人にとっては、死神の鼻歌にしか聞こえなかった。
「あの方が来る」カインが小声で警告した。
歌声が近づいてくる。やがて、金髪の美しい女性が現れた。見た目は20代だが、その瞳には600年の時を刻んだ深い闇が宿っている。
「お疲れさま、皆」
ニイナの声は穏やかだった。今は狂気の発作が治まっている。
「女が暴れたと聞いたけれど?」
いきなりの核心への言及に、四人の背筋に冷たいものが走った。
「は、はい......」リリスが震え声で答えた。「思わぬ強敵で......負けました」
「負けた?」ニイナの瞳が一瞬光った。「あなたが?」
「申し訳ございません」
リリスは額を地面に擦り付けた。ニイナの機嫌次第では、本当に首が飛ぶ。文字通りの意味で。
しかし、ニイナの表情は意外にも興味深そうだった。
「面白いわね......どんな子だったの?」
「金髪で、赤い瞳をした少女でした。年齢は十代半ば程度かと」
「金髪に赤い瞳......」ニイナは顎に手を当てた。「まるで私みたい」
四人は息を詰めた。まさか、気づいたのか?
「もしかして」ニイナの声に興奮が混じった。「私の血族かもしれないわね」
やはり、勘づいている。600年生きているニイナの直感は侮れない。
「そうよ、きっとそう! 捕まえて仲間にしましょう」
ニイナは手を叩いた。まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような無邪気さだった。
「罠を張って、上手く捕まえなさい。殺しちゃダメよ? 大切に扱うのよ」
「は......はい」
四人は震え声で答えた。
「じゃあ、お任せするわ」
ニイナは踵を返すと、再び歌いながら去っていった。
♪*乾杯をしよう、失われた時に
苦難の日々は、今終わりを告げる*♪
その歌声が遠ざかっていくのを確認してから、四人はようやく息をついた。
「死ぬかと思った......」アモンが額の冷や汗を拭った。
「隠れ家を一つ破壊されたと知られなくて良かった」ザガンが胸を撫で下ろした。「あれを報告していたら、本当に首が飛んでいた」
「問題はこれからだ」カインが立ち上がった。「あの少女をどうやって捕まえる?」
「正面から戦っても無理よ」リリスが首を振った。「私一人では勝てない。いえ、私たち四人でも危険かもしれない」
四人は顔を見合わせた。100年間、人間など虫けら同然だと思っていた。しかし、ついに現れたのだ。自分たちを脅かす存在が。
「共和主義のテロ組織を使いましょう」ザガンが提案した。「あいつらに命令を出して、罠を仕掛けさせる」
「どんな罠だ?」
「数で圧倒するのよ」リリスが答えた。「いくら強くても、大人数で囲まれたら逃げられない」
「暴徒鎮圧用の網を使えばいい」アモンが付け加えた。「それに麻酔銃も」
カインは頷いた。
「隠れ家を囮にするんだ。誰もいないように見せかけて、周囲に大勢潜ませておく」
「そして一斉に襲いかかる......」ザガンが計画をまとめた。「生け捕りにして、ニイナ様に献上する」
四人の目に、久しぶりに希望の光が宿った。
「よし、それで行こう」カインが決断した。「共和主義者たちに連絡を取れ」
「でも」リリスが不安そうに呟いた。「もし失敗したら......」
四人は再び青ざめた。失敗したら、ニイナの怒りを買う。そして、100年間積み重ねてきた恐怖の記憶が蘇る。
狂気の発作を起こしたニイナが、部下を「処分」する光景。その残虐さは、言葉では表現できないほどだった。
「失敗は許されない」カインが歯を食いしばった。「何としても成功させるんだ」
廃墟の城に、四つの影が新たな陰謀を巡らせる。彼らの標的は、雷牙号に乗る一人の少女。金髪と赤い瞳を持つ、ニイナの血を引く可能性のある存在。
遠くからは、まだリュートの調べが聞こえてくる。
♪*眠れ、疲れし戦士よ
お前の戦いは終わった
母の腕の中で、愛する者の傍で
永遠の安らぎを、今ようやく得る*♪
狂女帝の子守歌が、薄暗い通路に響き渡っていた。




