第五十九話「諦めの境地」
雷牙号の格納庫は、いつになく華やかな雰囲気に包まれていた。収穫祭の準備が本格化し、ガランの指揮の下で船員たちが飾り付けに追われている。
「おい、そっちの麦穂、もっと高く吊るせ! バランスが悪い!」
「なんで俺たちがこんなことを......」
トムが愚痴を漏らしながら、手慣れない様子で紐を結んでいる。ガランの命令は絶対だが、文句を言うくらいは許されている。
「黙って手を動かせ。伝統ってのは、こうやって受け継いでいくもんなんだ」
ガランの口調は有無を言わせぬものがあった。ベオルブ家の長男として育った彼にとって、収穫祭は年間行事の中でも特に重要な位置を占めている。どれほど船員たちが嫌がろうと、この文化的な催しは絶対に省略できない。
まるで田舎の厳格な家のお母さんのように、ガランは細部にまでこだわった。麦の束ね方、飾りの配置、テーブルセッティングに至るまで、全て彼の記憶にある故郷の形を再現しようとしている。
「船長、これでいいですか?」
アザリアが恐る恐る声をかけた。彼女の手には、不器用に編まれた麦穂の飾りがある。
「うーん......もう少し締めて編んでくれ。ほら、こうやって」
ガランが手本を示すと、船員たちからため息が漏れた。
「完璧主義すぎるって......」ジャックが小声で呟く。
そこに、ニーナが現れた。手には、先日ガランに教わった紐細工がある。
「船長、見てください! 上手にできました!」
彼女の顔は、無邪気な子供のように輝いている。戦場での鬼のような形相は微塵もない。
「おお、なかなかじゃないか」ガランの表情が和らいだ。「その調子で、あと十個くらい作ってくれ」
「十個!?」
「収穫祭は盛大にやるもんだ。手を抜いちゃダメだ」
ニーナは苦笑いを浮かべたが、嫌そうではない。むしろ、家庭的な雰囲気を楽しんでいるようだった。
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一方、ブレイドの隊員たちは複雑な心境で事態を見守っていた。
「あの調子じゃ、完全に船の一員だな」レイが呟いた。
セラフィナは苦々しい表情で頷いた。
「規律もなにもあったものじゃない。でも......」
「でも?」
「でも、あの子がいないと隠れ家を開けられないのも事実よ」
ディアス隊長は頭を抱えていた。最近、報告書を書くのが億劫になっている。ニーナの行動をどう記録すればいいのか、見当もつかないのだ。
「隊長、どうします?」レイが尋ねた。
「どうするって......」ディアスは深いため息をついた。「この際、もうこの状況を受け入れるしかないんじゃないか?」
「え? でも、あんた軍人としての誇りってもんがないんですか?」セラフィナが眉をひそめた。
「誇りで生き残れるかよ」レイが肩をすくめた。「俺は自分の命が助かるなら、靴だって舐める派だぜ」
「レイ!」
「冗談だって。でも、現実問題として、あのルカヴィと戦えるのはニーナだけなんだから」
確かにそうだった。青白い女との戦いで、ニーナ以外の隊員は全く歯が立たなかった。彼女がいなければ、任務の成功どころか、全員の生命すら危うい。
「それに」レイは続けた。「メルベル大元帥の考え方からすれば、結果を出せばある程度の我儘は許される。ルールを守るのは効率化のためであって、目的じゃない」
ディアスは複雑な表情になった。確かに、メルベルの気風を考えれば、ニーナの行動も理解できる。仕事さえすれば許される。それが帝国軍の、特にエリート部隊の不文律だった。
「でも、行き過ぎたら大元帥の鉄拳が飛んでくるぞ」
「ここは船の上だ」レイが指摘した。「地方の宿舎や田舎の軍施設と同じ。大元帥の目も届かない」
その通りだった。この状況で、ニーナに意見できる者は軍の中にはいない。
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夕方になると、モニカがニーナを連れて戻ってきた。二人とも買い物袋を抱えている。
「お疲れさま! いいものが手に入ったわよ」
モニカの声は弾んでいた。完全にニーナを妹分として扱っている様子が見て取れる。
「何を買ってきたんだ?」ガランが尋ねた。
「ニーナちゃんがパイを食べたいって言うから、材料を調達してきたの」
「パイですか......」ニーナが恥ずかしそうに頷いた。「軍の食事って、デザートがないんです」
「そりゃそうだろうな」ガランは苦笑した。「軍隊は戦うところであって、お菓子を食べるところじゃない」
「でも、たまにはいいじゃないですか」
「それだけ金をもらってるなら、もっといい店で食えるんじゃないのか?」
「えー......店って、どうやって入るんですか? それに、軍の食事は味気ないし......」
ニーナは様々な理由をつけて、船に居座ろうとしている。本当は、この家庭的な雰囲気が居心地よくて離れたくないのだろう。
ガランはその気持ちを察していた。孤児院育ちの彼女にとって、こんな温かい環境は初体験に違いない。
「分かった。次の隠れ家の仕事が終わったら、必ずリンゴパイを作ってやる」
「本当ですか!?」
ニーナの目が輝いた。まるで本物の家族にお願い事を聞いてもらった子供のようだ。
「ああ、約束だ」
ガランは材料を冷蔵庫に仕舞いながら、複雑な心境だった。この少女は、戦場では恐ろしいほどの殺戮衝動を見せる。しかし、こうして見ていると、年相応の無邪気さも残している。
「じゃあ、準備に入るぞ。次の任務は明日の朝だ」
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その夜、ブレイドの隊員たちは小さな会議を開いていた。
「結論から言うと」ディアスが口を開いた。「もうこの状況を受け入れるしかない」
「隊長......」セラフィナが困惑した顔をした。
「考えてみろ。あいつがいなければ、俺たちはとっくに全滅してる。隠れ家も開けられない。任務も失敗続きだ」
「でも、規律というものが......」
「規律は生きているからこそ意味がある」レイが割り込んだ。「死んだら元も子もない」
ディアスは頷いた。
「それに、あいつの能力は本物だ。法力測定値80、メカニックとしての知識、そして何より、あの度胸の良さ。軍にとって貴重な人材だ」
「つまり、特別扱いするってことですか?」
「特別扱いというより......現実的な判断だな」
ディアスは窓の外を眺めた。雲海に星々が瞬いている。
「俺も最近、報告書を書くのが億劫になってる。何を書けばいいのか分からないんだ」
確かに、この状況を本部にどう報告すればいいのか、見当もつかない。「部下が命令を聞かないが、任務は成功している」などと書けるはずもない。
「まあ、結果オーライってことで」レイが軽口を叩いた。
「結果オーライ......か」
ディアスは苦笑した。軍人としての誇りと現実の板挟みになりながらも、この結論に落ち着くしかないのか。
格納庫からは、まだ飾り付けをしている音が聞こえてくる。ガランの厳格な指導の下、船員たちが文句を言いながらも作業を続けている。その中に、ニーナの楽しそうな笑い声も混じっていた。




