第五十八話「16歳の万能感」
勝利の興奮が冷めやらぬまま、雷牙号は次の目標地点へと向かっていた。ニーナは格納庫の片隅で、まだ血の滲んだサーベルを丁寧に手入れしている。
「いやー、今回は完璧だったな」
彼女の口元には、満足そうな笑みが浮かんでいた。青白い女との再戦。あれほど一方的に叩きのめされた相手を、今度は自分が圧倒した。ガランとの特訓の成果が、見事に花開いた瞬間だった。
「ニーナ、集合時間だぞ」
ディアス小隊長の声に、彼女は顔を上げた。
「はいはい、今行きます」
返事はするものの、腰を上げる気配がない。サーベルの刃を光にかざし、満足そうに眺めている。
「おい、集合って言ったんだが......」
「もうちょっと待ってください。今いいところなんです」
ディアスの眉間に皺が寄った。以前のニーナなら、上官の命令には即座に従っていた。それが今では、こんな調子だ。
「ニーナ、命令だ。今すぐ来い」
「分かってますって」
彼女は面倒そうに立ち上がった。しかし、その足取りは決して急いではいない。まるで、急ぐ必要などないと言わんばかりに。
格納庫の隅で、レイがその様子を眺めていた。
(あ~、こうやって上司が出来上がっていくんだなぁ~)
彼の脳裏には、軍での先輩たちの顔が浮かんだ。最初はひたむきで従順だった部下が、実力をつけるにつれて傲慢になっていく。そんな光景を、何度も見てきた。
ニーナの場合、その変化は特に顕著だった。圧倒的な法力、メカニックとしての豊富な知識、そして何より、あの勝気の強さ。他の隊員たちが束になっても敵わない。
(もういいかぁ~。この際だから、手下になった方が楽かも)
情けない考えが頭をよぎる。メルベル大元帥の密偵として送り込まれた自分だが、この状況では報告する内容も変わってくるだろう。「ニーナ・クロウは将来有望な人材ですよ」と。
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ブリーフィングが始まっても、ニーナの態度は変わらなかった。
「次の隠れ家は、山間部の奥地にある。地形が険しいから、慎重に......」
「隊長、それって第4番目の施設のことですよね?」ニーナが口を挟んだ。「アジョラの日記によると、そこには小型の法石精製装置があるはずです。爆破するのは勿体ないんじゃないですか?」
ディアスの説明が中断される。彼は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「ニーナ、発言は許可してからにしろ」
「えー、でも重要な情報ですよ? 知らないで作戦立てても意味ないじゃないですか」
周囲の隊員たちが気まずそうな顔をする。以前なら絶対にありえない光景だった。
「とにかく、作戦の詳細は......」
「あ、それと」ニーナがまた割り込む。「前回の戦闘データなんですけど、セラフィナの立ち位置、もう少し左にずらした方がよくないですか? あそこだと、私の攻撃ラインと重なるんで」
セラフィナの顔が赤くなった。
「ちょっと、あなたに指図される筋合いは......」
「指図じゃなくて提案ですよ。実際、今回の戦闘で私のフォローが遅れたのって、セラフィナが......」
「黙れ!」
ディアスの怒鳴り声が格納庫に響いた。ニーナは肩をすくめたが、表情に反省の色はない。
「はいはい、分かりました」
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ブリーフィング後、ディアスは船長室を訪れた。ガランは操縦席で航路を確認している。
「船長、ちょっと相談があるんだが......」
「なんだ?」
「ニーナのことだ。最近、ちょっと調子に乗りすぎてる」
ガランは振り返った。その表情には、特に驚きの色はない。
「まあ、そうだろうな」
「そうだろうなって......困ってるんだ。隊の規律が乱れる」
「それは軍の問題だろ?」ガランは肩をすくめた。「俺は運送屋だ。お前らの内部事情に口出しする気はない」
「でも船長の言うことなら、あいつも聞くんじゃないか?」
「なんで俺がお前らの尻拭いをしなきゃならないんだ?」
ディアスは困り果てた表情になった。
「頼む。このままだと、本当に手に負えなくなる」
ガランは深いため息をついた。確かに、最近のニーナは調子に乗っている。船員たちとの会話でも、以前より自信に満ちた様子が目立つ。
「まあ、気持ちは分からなくもないけどな」
「え?」
「あいつ、16歳だぞ? しかも孤児院育ちで、今まで誰からも認められたことがない。それが急に、自分だけにしかできない仕事を任されて、戦闘でも勝利を重ねてる」
ガランは窓の外の雲海を眺めた。
「調子に乗るなって方が無理な話だ」
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その頃、機関室ではニーナとモニカが作業をしていた。
「ニーナちゃん、今日はすごかったわね! あんな強い敵を圧倒するなんて」
「まあね。でも、まだまだですよ。もっと強くならないと」
ニーナは得意そうに胸を張った。その表情には、少し前まであった不安の影は微塵もない。
「でもさ、ちょっと隊長と険悪になってない?」
「大丈夫ですよ。あの人、実戦経験少ないから、私のアドバイスが理解できないだけです」
モニカは苦笑した。確かに、ニーナの戦闘能力は目を見張るものがある。しかし、その自信が時として傲慢に見えるのも事実だった。
「そういえば、船の燃料効率なんですけど......」
ニーナが機関部のパネルを指差した。
「この設定、もう少し調整できませんか? 燃費が5パーセントくらい改善できると思うんですけど」
「それは船長の判断よ」
「でも、技術的には可能ですよね? 私、計算してみたんですけど......」
そこにガランが現れた。
「おい、何の話だ?」
「あ、船長!」ニーナの顔が明るくなった。「燃料効率の改善案があるんです。この部分を......」
「お前には関係ねえ」
ガランの冷たい声に、ニーナの笑顔が凍り付いた。
「で、でも......」
「この船の運営に口出しする権利は、お前にはない」
「......はい」
ニーナは項垂れた。その様子は、戦場での鬼のような形相とは対照的に、年相応の少女そのものだった。
「船長、ちょっと厳しすぎるんじゃない?」モニカがフォローした。「ニーナちゃん、親切で言ってくれたのよ」
「親切かもしれんが、立場をわきまえろってことだ」
ガランはニーナを見つめた。
「お前が優秀なのは認める。だが、それと船の指揮権は別の話だ」
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その夜、ガランは一人でブリッジにいた。星空の下、雷牙号は静かに夜空を航行している。
(別に問題はない)
彼は自分に言い聞かせた。
(16歳と言えば、自分の才能と全能感を発揮したい、いわば小さな子供だ。今、誰も自分に勝てる者がいないのであれば、この態度はむしろ控えめだろう)
メルベル大元帥の圧倒的な実力を見た後でも、ニーナは諦めていない。それどころか、「いつか絶対に殺す」と言い放った。その執念深さは、ある意味で恐ろしくもある。
しかし、同時に理解できる部分もあった。
(俺だって、家出した時は似たようなものだったかもな)
ベオルブ家の長男として、ワイン作りを強制されることへの反発。自分の人生は自分で決めるという、若い頃の万能感。
ニーナの場合、それがより極端な形で現れているだけかもしれない。
格納庫から笑い声が聞こえてくる。船員たちとカードゲームに興じているのだろう。あの時のニーナは、本当に普通の16歳の少女に見える。
(まあ、船の運営に口出しさえしなければ、別に構わないか)
そんな結論に達した時、通信装置が鳴った。
「船長、次の目標地点の詳細データが入りました」
ディアスの声だった。
「了解した。すぐ確認する」
ガランは立ち上がった。また新たな戦いが始まる。そして、おそらくニーナの傲慢さも、さらに強まることになるだろう。
(まあ、それも成長のうちか)
彼は苦笑しながら、操縦室へと向かった。16歳の万能感を抱える少女を乗せて、雷牙号は再び戦場へと向かう。




