第五十五話「狂犬と飼い主」
ディアス小隊長は、最近頭を抱えることが多くなっていた。
原因は一人の少女。ニーナ・クロウ。
表面上は礼儀正しい。「はい、隊長」「了解しました」と返事も適切だ。しかし、その瞳の奥には、何か恐ろしいものが潜んでいる。
(あいつは......狂犬だ)
訓練中のニーナを思い出す。血走った目で相手を睨みつけ、容赦なく打ち込んでいく姿。法力測定値80という異常な数値。そして何より、あの異常なまでの負けず嫌い。
メカニックとしての知識も豊富で、隠れ家の扉を開ける能力は他の誰にも真似できない。文句を言いたくても、彼女なしでは任務が成立しない。
(どうやって扱えばいいんだ......)
素手の喧嘩では絶対に勝てない。例の剣術訓練を経て、さらに手がつけられなくなった。上から押さえつけようものなら、あの暴力的な法力で反撃してくるだろう。そうなれば、隊の規律は崩壊する。
ディアスは深いため息をついて、雷牙号の通路を歩いていた。そこで、ふと奇妙な光景を目にした。
休憩室から、楽しそうな声が聞こえてくる。覗いてみると、そこにはガラン、モニカ、そしてニーナがいた。
「収穫祭まであと一週間よね」モニカが言った。「今年はちゃんと飾り付けしたいわ」
「収穫祭?」ニーナが首を傾げた。「何それ」
「え、知らないの?」モニカが驚いた。「一年の収穫に感謝するお祭りよ。麦の穂を飾ったり、かぼちゃのランタンを作ったり」
「孤児院では......そういうのなかった」
ニーナの声が少し小さくなった。ガランが苦笑いを浮かべる。
「まあ、地方の孤児院じゃ、そんな余裕ないだろうな」
彼はポケットから細い紐を取り出した。
「収穫祭といえば、これだ。麦穂結びって知ってるか?」
「麦穂結び?」
「こうやって......」
ガランの器用な指が、紐を複雑に編み始めた。くるくると回転させ、結び目を作り、最後に引き締める。見る見るうちに、麦の穂のような美しい飾りが完成した。
「わあ!」
ニーナとモニカが同時に感嘆の声を上げた。
「すごい! どうやったの?」ニーナの目がキラキラと輝いている。
「船長、さすが農家の出身ね」モニカが感心した。
「まあな。親父に習わされたんだ」ガランは少し照れくさそうに頭を掻いた。「ほら、やってみろ」
二人に紐を渡すと、ニーナとモニカは真剣な顔で紐と格闘し始めた。
「ここをこうして......あれ?」
「違う違う、そこは逆だ」
「えー、でも船長はこうやって......」
「もっと優しく。紐が可哀想だろ」
ディアスは目を見張った。
訓練場で猛獣のように暴れ回っていたニーナが、まるで普通の16歳の少女のように見える。ガランに教わりながら、一生懸命に紐を結ぼうとしている。失敗しても、悔しがるのではなく、「もう一回!」と明るく言っている。
「できた!」
ニーナが不格好な結び目を掲げた。麦穂結びとは程遠い、ぐちゃぐちゃな塊だった。
「うーん、芸術的だな」ガランが苦笑した。
「もう! ちゃんと教えてよ」
ニーナが頬を膨らませる。その様子は、まるで借りてきた猫のようにおとなしい。いや、それどころか可愛らしささえ感じる。
(なるほど......)
ディアスは理解した。ニーナにも、何か求めているものがあるのだ。孤児院育ちの寂しさを、あの面倒見の良い船長を通じて埋めようとしている。
家族を知らない少女が、初めて見つけた居場所。それが雷牙号で、ガランが父親代わりなのかもしれない。
(哀れな子だ)
ディアスの胸に、わずかな同情が湧いた。同時に、少し心が温かくなった。
「そうだ、ニーナ」ガランが思い出したように言った。「収穫祭の時は、みんなで料理を作るんだ。お前も何か作ってみるか?」
「料理......できない」
「じゃあ、教えてやる。簡単なやつから」
「本当?」
ニーナの顔が、ぱっと明るくなった。
(あの狂犬を手懐けられるのは、あの船長だけか)
ディアスは静かに踵を返した。もしニーナに何か指示を出す必要があれば、ガランを通せばいい。直接対決は避けて、間接的にコントロールする。それが最善だ。
通路を歩きながら、ディアスは苦笑した。
(皇室護衛隊の隊長が、民間人の船長に頼るとはな)
しかし、プライドより実利を取るべき時もある。それに、あの少女が少しでも人間らしい感情を持っているなら、それは悪いことではない。
休憩室からは、まだ楽しそうな声が聞こえていた。
「見て! 今度はできた!」
「おお、上出来だ。才能あるな」
「本当? 嬉しい!」
普通の少女の声だった。戦場の狂犬ではなく、ただの16歳の女の子。
ディアスは、その声を聞きながら歩いていった。




