第五十二話「酒と剣と悪ふざけ」
医務室のベッドで、ニーナは天井を睨みつけていた。
全身に巻かれた包帯が、先ほどの屈辱を物語っている。メルベルの圧倒的な強さ。自分の無力さ。せっかくガランに教えてもらった技術も、あの男の前では児戯に等しかった。
(でも......船長とメルベルの剣技は、根本的には同じだった)
痛む体を起こしながら、ニーナは確信していた。法力の差はどうしようもないが、技術だけなら、もっと練習すれば追いつける。いや、追いつかなければならない。
医務室の外では、レイとセラフィナが顔を寄せ合って話していた。
「なあ、セラフィナ」レイが声を潜めた。「俺たち、あっさりやられたよな」
「......認めたくないけど、そうね」セラフィナは苦い顔をした。「私たちって、実はすごくダメなのかしら」
二人は顔を見合わせた。ベオルブ家直系のセラフィナも、叩き上げのレイも、新人にいいようにやられた。プライドがズタズタだ。
「どこであんな技を覚えてきたんだろうな」
「聞いても教えてくれないでしょうね。あの子、結構秘密主義だし」
レイが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、尾行してみるか?」
セラフィナの目が光った。
「いいわね。面白そう」
意外にも、名門のお嬢様は探偵ごっこにノリノリだった。
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夕方、治療を終えたニーナは、足早に雷牙号へ向かった。その後を、物陰に隠れながら二人の影がついていく。
「やっぱりあの船ね」セラフィナが囁いた。
「ニーナのやつ、本当にあいつらと仲いいよな」
ニーナが船に入ってしばらくすると、ドヤドヤと船員たちが甲板に出てきた。皆、酒瓶を持って楽しそうに騒いでいる。
「賭けの準備はいいか!」
「今日こそ船長の連勝を止めてやる!」
「一気飲みの用意もバッチリだぜ!」
物陰から覗くレイとセラフィナは、顔を見合わせた。
「賭け? 一気飲み?」
「一体何が始まるのよ......」
そこへ、ニーナとガランが木刀を持って現れた。
「あの人が......?」セラフィナが目を見開いた。雷牙号の船長が、まさか剣術の達人?
モニカが前に出て、大げさな身振りで宣言した。
「さあ、今日のルールを説明するわよ! 一本取った方が、罰ゲームでバーボン一気飲み! これで徐々に実力が拮抗していくはずよ!」
「なるほど、勝った方が酒を飲むのか」レイが感心した。「確かにハンデになるな」
構えを取った二人の間に、緊張感が走った。
ニーナが素早く踏み込む。上段からの斬撃を、ガランは最小限の動きで受け流し、そのまま返し技で胴を狙う。
パン!
木刀がニーナの脇腹を打った。
「よっしゃ! 船長の勝ち!」
船員たちが歓声を上げる中、ガランは渡されたバーボンを一気に飲み干した。
「ぷはー! きっついな、これ」
頭をブルブルと振って、アルコールを飛ばそうとする。
「すごい......」セラフィナが息を呑んだ。「私たちを簡単に倒したニーナを、まるで子供扱い......」
二回戦。少し足元がふらつき始めたガランだが、それでもニーナの攻撃を難なく捌く。
「まだまだ腰が高い! もっと低く構えろ!」
指導しながら、また一本取る。そしてまた一気飲み。
三回戦、四回戦と続くうちに、ガランの動きが明らかに鈍くなってきた。酔いが回って、反応が遅れ始める。
五回戦。
ニーナの木刀が、ついにガランの肩を捉えた。
「やった!」
「おお、ついに一本取ったぞ!」
今度はニーナがバーボンを飲む番だ。慣れない酒に顔をしかめながら、それでも一気に飲み干した。
「うぇ......苦い......」
「変わった練習方法ね......」セラフィナが呆れたように呟いた。
「でも、確かに実力が拮抗してきてる」レイが分析した。「酔った分だけ動きが鈍るから、自然とハンデになるんだな」
試合は続いた。ガランが一本取れば酒を飲み、ニーナが一本取ればまた酒を飲む。次第に二人の動きがおぼつかなくなっていく。
「ひっく......も、もう一回!」
真っ赤な顔をしたニーナが、ふらふらと構える。
「お、おう......来い!」
ガランも千鳥足だ。
最後の一合は、もはや剣術とは呼べない代物だった。二人は木刀を振り回しながら、もつれ合うように倒れ込んだ。
「あはは......船長、弱い......」
「なに言ってんだ......酔っ払いがよぉ......」
甲板に大の字になった二人を、船員たちが囲んで笑っている。
「しゅーりょー!」
「二人ともよく頑張った!」
物陰から一部始終を見ていたレイとセラフィナは、そっとその場を離れた。
「あの船長が先生だったのか......」レイが感心したように言った。
「道理で、軍の訓練とは違う動きをするわけね」
セラフィナは複雑な表情をしていた。ベオルブ家の血を引く自分より、孤児院育ちの少女の方が実戦的な技術を身につけている。それも、こんな......
「でも」レイが付け加えた。「あんな練習方法で、いいのかな? 酒飲みながら剣術の練習って…」
「さあ......」
セラフィナの声には、少し羨ましさが混じっていた。
夜風に乗って、まだ船員たちの笑い声が聞こえてくる。雷牙号の甲板では、酔いつぶれた師弟を介抱する船員たちの姿があった。
「ニーナちゃん、大丈夫? 水飲む?」
モニカが心配そうに覗き込む。
「だいじょうぶ......つぎは......ぜったい......」
うわ言のように呟くニーナを見て、ガランは酔いながらも苦笑した。
(本当に負けず嫌いだなこいつ)
星空の下、奇妙な師弟関係は続いていく。明日もまた、痣を作りながら、酒を飲みながら、少女は強くなっていくのだろう。
翌朝、二日酔いで青い顔をしたニーナが訓練場に現れた時、レイとセラフィナは何も知らないふりをした。ただ、二人の目には、昨日とは違う理解の色が宿っていた。
「今日も頑張りましょうね、ニーナ」
セラフィナが声をかけると、ニーナは驚いた顔をした。いつもの棘のある口調ではない。
「あ、はい......」
三人は並んで訓練場に入っていった。それぞれが、それぞれの秘密を抱えながら。




