第五十話「真の剣技」
夕暮れ時、ニーナは雷牙号の格納庫に姿を現した。軍の訓練を終えたばかりの彼女の表情には、どこか釈然としない色が浮かんでいる。
「おう、ニーナ! 今日も抜け出してきたのか」
モニカが機関部から顔を出し、油まみれの手を作業着で拭きながら笑った。格納庫の奥では、トムとジャックが法石エンジンの調整をしている音が響いている。
「まあね。今日も剣術の訓練だったんだけど......」
ニーナは近くの木箱に腰を下ろし、深いため息をついた。船員たちが三々五々集まってくる。いつものように、彼女の愚痴を聞く時間が始まるのだ。
「剣術? この時代に?」アザリアが首を傾げた。「法石銃があるのに、なんでまた」
「それがさ、あの青白い化け物には銃が効かないんだって」ニーナは肩をすくめた。「だから昔ながらの剣で戦えって。でも、教えてる奴の動きが......なんていうか、型通りすぎて。あれで本当に勝てるのかな」
船員たちは顔を見合わせた。現代の戦争で剣を振るうなど、時代錯誤もいいところだ。
「へぇ、剣術か」
声の主は、いつの間にか現れたガランだった。彼は興味深そうな表情で近づいてくる。
「何の流派を習ってるんだ?」
ニーナは記憶を辿った。「えーっと......ブリジット流とかいう名前だったかな。道場の師範の名前がついてるらしいんだけど」
「ブリジット流?」ガランは首を傾げた。「聞いたことないな。まあ、最近は色んな流派が乱立してるからな」
彼は腕を組み、少し考え込むような仕草を見せた。
「実は俺も、剣術なら少しは使えるんだよな」
船員たちがざわめいた。
「は? 船長が剣術?」
「初耳だぞ!」
「やっぱりお坊ちゃんだったんですね〜」
モニカが茶化すように言うと、ガランは苦笑を浮かべた。
「どこかの道場で習ったんですか?」トムが好奇心を隠さずに尋ねる。
「いや、親父から直接教わった。まあ、強いかどうかは分からないけど」ガランは肩をすくめた。「結構厳しくされたから、そこそこはできると思うけどな」
その瞬間、ジャックが手を叩いて立ち上がった。
「よし! じゃあここで一つ、運送会社社長と皇族護衛ブレイドの一騎打ちといこうじゃないか!」
彼は持っていた酒瓶を高く掲げた。
「負けた方は、このバーボンを一気飲みだ!」
船員たちが歓声を上げる。あっという間に簡易的な賭けが始まり、硬貨が飛び交った。
「船長に1メルベラ!」
「いや、ニーナちゃんに2メルベラだ!」
「軍人と民間人じゃ勝負にならないだろ」
ニーナは戸惑いながらも、挑発的な笑みを浮かべた。
「いいですよ。さすがに一般人には負けませんから」
内心では絶対的な自信があった。どれだけ剣術を習っていようと、実戦訓練を積んだ軍人と民間人では話にならない。
ガランも立ち上がり、上着を脱ぎ始めた。
「俺がハンサムなだけの男だと思うなよ、お嬢ちゃん」
二人は船を降り、平らな地面に立った。それぞれ適当な長さの棒切れを手にする。
「ルールは簡単! 一発入れた方が勝ち!」モニカが審判役を買って出た。
夕陽が二人の影を長く伸ばす中、船員たちが円を作って取り囲んだ。
「はじめ!」
モニカの合図と同時に、ニーナは素早く踏み込んだ。軍で習った通りの正確な動作。棒が鋭い軌道を描いてガランの胴を狙う。
だが──
ガランの動きは、ニーナが見たことのないものだった。
彼は棒を斜めに傾け、ニーナの攻撃を受け流した。いや、受け流すという表現すら正確ではない。防御と攻撃が一つの動作として融合していた。ニーナの棒が滑るように逸らされ、同じ瞬間、ガランの棒が弧を描いて彼女の横腹に迫る。
寸前で止まった棒の先端が、ニーナの脇腹に軽く触れた。
静寂。
そして──
「おおおお!」
船員たちの歓声が爆発した。拍手と口笛が夕暮れの空に響く。
ニーナは呆然と立ち尽くしていた。何が起きたのか、理解が追いつかない。
「も、もう一回!」
慌てて構え直す。今度は慎重に、相手の動きを見極めようとした。
しかしガランは既に全てを見通していた。ニーナの剣技が形だけの死んだ技術であることを、最初の一合で理解していた。
二度目の打ち合い。ニーナが上段から振り下ろすと、ガランは最小限の動きで棒を逸らし、そのまま手首に向けて返す。またも寸止め。
三度目。今度は横薙ぎ。しかしガランは身を沈めて避けると同時に、下から突き上げるような動きで喉元に棒を突きつけた。
「くっ......!」
ニーナの顔が真っ赤に染まった。悔しさと屈辱で唇を噛む。
ガランは余裕の笑みを浮かべながら、倒れたニーナを上から見下ろす。
「いやー、これだったら俺がブレイドになった方がよかったかなぁ」
ニタニタと笑うその顔を見て、ニーナの中で何かが切れた。
「この......!」
法力を込めた平手打ちが、鋭い音を立ててガランの頬を打った。
バチン!
ガランの体が横に吹き飛び、地面に倒れ込んだ。頬に真っ赤な手形を残して、白目を剥いている。
「あーあ、船長がのびちゃった」
しかし船員たちは倒れた船長など放っておいて、ニーナを取り囲んだ。
「はい、3回負けたから3本一気飲みね!」
「ルールはルールだ!」
「さあさあ、飲んだ飲んだ!」
モニカがバーボンの瓶を三本並べ、にやにやと笑っている。
「ちょ、ちょっと待って!」
「負けは負けでしょ? 軍人さんなら約束は守らないとねぇ」
ニーナは恨めしそうにガランの倒れている方を見た。彼はまだ気絶したままで、夕陽に照らされて妙に平和な顔をしている。
「分かったわよ」
ニーナは観念したように瓶を手に取った。船員たちが手拍子を始める中、彼女は覚悟を決めて瓶に口をつけた。
夕暮れの残光が消えていく中、船員たちはまだ騒いでいた。酔いつぶれかけたニーナを囲んで、今日の勝負の話で盛り上がっている。
ガランはようやく意識を取り戻し、腫れ上がった頬を押さえながら立ち上がった。彼は苦笑いを浮かべて、騒ぐ船員たちと赤い顔をしたニーナを眺めていた。




