第四十六話「狂気の主と四つの影」
北部山岳地帯、とある廃墟。
かつては立派な館だったのだろう。今は朽ち果て、蔦に覆われている。
その最深部で、リュートの音が響いていた。
「眠れ、疲れし戦士よ......お前の戦いは終わった......」
青白い肌の女が、壊れた玉座のような椅子に座り、古びたリュートを爪弾いている。その声は美しいが、どこか壊れていた。
「母の腕の中で......愛する者の傍で......」
歌が途切れる。
「お父様......」
ニイナ。600年前、メルベル・ボムの娘として生まれた存在。今は狂気に蝕まれ、永遠の時を彷徨っている。
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廃墟の別室に、四人の青白い影が集まっていた。
「また歌ってる」
一人目が呟く。カイン。元は帝国の将軍だった男。200年前、部下を見殺しにした上官への復讐を果たそうとして処刑寸前、ニイナに「救われた」。
「あの歌、もう千回は聞いたな」
苦笑いを浮かべながら答えるのは、リリス。かつてはベオルブ家の令嬢だった。150年前、家の政略結婚を拒んで毒殺されかけ、瀕死のところをニイナが「助けた」。
「静かにしろ。聞こえたら…」
三人目、ザガン。元は法石研究者。100年前、研究成果を盗まれ、全てを失った時にニイナと出会った。
「ビクビクするな。今日は比較的正気だ」
最後の一人、アモン。元は共和主義者の指導者だった。80年前、革命に失敗し、仲間に裏切られた末にニイナの配下となった。
四人とも、ルカヴィ化によって不老となり、人間性と引き換えに永遠の命を得た。
「で、次はどうする?」
カインが地図を広げる。
「ニイナ様の......指示は?」
リリスが慎重に言葉を選ぶ。彼らにとって、ニイナは絶対的な力を持つ狂人だった。機嫌を損ねれば、その怪力で殺されかねない。
「さっき聞いてきた」
ザガンが疲れた顔で答える。
「『邪魔者は排除して』『でも、お父様に似た人は傷つけないで』」
「......またか」
アモンがため息をつく。
「現在のメルベル・イシュタルのことだろう。あれは別人だと何度言っても──」
「言うな」
カインが鋭く制止する。
「前にそれを言った奴がどうなったか、忘れたのか」
全員が沈黙した。50年前、そう指摘した仲間は、ニイナに首を捻じ切られた。
「とにかく」
リリスが話を戻す。
「帝国の破壊という大目標は変わらない。それぞれの復讐も」
カインは頷いた。帝国軍への恨み。リリスはベオルブ家への憎悪。ザガンは学会への復讐。アモンは裏切った仲間たちへの報復。
それぞれが、それぞれの闇を抱えていた。
「バンカーの場所は?」
「ニイナ様が正気の時に教えてくれた。まだ十箇所以上ある」
ザガンが資料を見せる。ニイナは狂っているが、正気の瞬間は恐ろしく明晰だった。600年の知識と、天才的な頭脳が一瞬だけ戻ってくる。
「問題は──」
突然、リュートの音が止まった。
全員が凍りつく。
足音が近づいてくる。
扉が開いた。
「みんな、何してるの?」
ニイナが立っていた。手にはまだリュートを持っている。
「あ、ニイナ様......」
リリスが震え声で答える。
「作戦会議を......」
「作戦?」
ニイナの瞳が、一瞬正気を取り戻した。
「ああ、そうね。アジョラの隠れ家。第七と第九を確保して。中にある父の......メルベルの研究資料があるはずよ」
明確な指示。この瞬間だけ、彼女は600年前の才女に戻る。
「それと」
ニイナの顔が歪んだ。
「金髪で赤い瞳の少女がいるでしょう? 捕まえておいて」
「仲間に入れるということですか?」
その質問に何も答えずにふらふらとしてから、リュートを手に取って。
そして、また歌い始めた。
「これは子守歌、孤独な戦士への......」
四人は顔を見合わせた。
狂気の主に仕える、永遠の影たち。
彼らもまた、救いのない物語の中を彷徨っていた。




