第四十三話「血の記憶」
帝国軍本部、大元帥執務室。
メルベルは通信を切ると、椅子に深く身を沈めた。
「ルカヴィ、か......」
窓の外には、エリドゥの夜景が広がっている。無数の光が、まるで地上の星のように瞬いていた。
そして、扉の開閉の件。
思考が、十五年前の記憶へと遡る。
---
『メル、こっちよ』
優しい声が、幼い自分を手招きしていた。
アジョラ9世。義理の母。帝国の女帝。
だが、その時の彼女は、ただの母親の顔をしていた。
『ここは、私たちだけの秘密の場所』
バンカーの扉の前で、彼女は微笑んだ。
『困った時、疲れた時に、一緒に過ごしましょうね』
十歳の自分は、母の手に導かれて壁に触れた。すると、不思議なことに扉が開いた。
『なんで開くの?』
『血が覚えているのよ』
アジョラは自分の頭を優しく撫でた。
『私たちの血を』
---
メルベルは目を開けた。
バンカーは、血統を識別する。身内以外の侵入を、完全に拒絶する。
なのに、共和主義者が侵入している。そして、謎のルカヴィ集団。
「どうやって......」
いや、それよりも。
ニーナ・クロウ。
金髪、赤い瞳。
メルベルは机の引き出しを開け、一枚の写真を取り出した。古い、色褪せた写真。だが、そこに写る女性の美しさは、時を経ても色褪せない。
アジョラ9世、三十代の頃。
金髪が陽光に輝き、赤い瞳が優しく微笑んでいる。
「同じだ......」
在位中、アジョラの人気は絶大だった。隠し撮りのブロマイドは高値で取引され、熱狂的な追っかけが後を絶たなかった。彼女が登場する広告は、どんな映画女優よりも華やかで、人々を魅了した。
その面影が、あの少女にある。
「まさか......」
メルベルは通信機を取り上げた。
「調査部か? 俺だ」
『はい、大元帥』
「ニーナ・クロウという兵士について、徹底的に調べろ。出生、育った孤児院、すべてだ」
『了解しました』
通信を切り、メルベルは窓辺に立った。
義母は、徹底した血統主義者だった。身内以外は絶対に信用しない。他の人間は全て下々の民。そういう考えの持ち主だった。
だが、同時に優しくもあった。少なくとも、身内には。
「もし、あの子が......」
言葉を飲み込む。
もしニーナが、アジョラの血を引いているとしたら。
ボム家の正統性。女系継承の原則。すべてのパワーバランスに影響するだろう。
ノックの音が、思考を中断させた。
「入れ」
「失礼します」
副官が入ってきた。
「東征大陸の暴動が拡大しています。至急の対応を」
「......分かった」
メルベルは写真を引き出しにしまった。
今は、目の前の任務に集中すべきだ。
だが、心の隅で、一つの疑念が渦巻いていた。
ニーナ・クロウ。
君は、一体何者なんだ?




