第三十三話「実力の証明」
翌朝、訓練場。
朝の光が、磨き上げられた床に反射している。ブレイドの訓練場は、一般兵のそれとは違い、まるで劇場のような美しさがあった。
「それでは、格技訓練を始める」
ディアスが宣言すると、隊員たちが円を作った。皆、興味深そうな表情を浮かべている。新人がどの程度の実力か、見極めようとしているのだ。
「新人もいることだし、まずは軽く」
そう言いかけたディアスの言葉を遮るように、セラフィナが前に出た。
「私がやるわ」
金髪を優雅に結い直す。その仕草一つ一つが、貴族の品格を漂わせている。
「叩き上げの実力、見せてもらいましょう」
セラフィナの声には、明らかな挑発が込められていた。エリートと成り上がり者の違いを、はっきりと見せつけてやるという意図が透けて見える。
「喜んで」
ニーナも前に出た。表情は穏やかだが、目の奥に闘志が燃えている。
(昨日の嫌味、しっかり覚えてるからね。「運が良かっただけ」だって?思い知らせてやる)
二人の間に、見えない火花が散った。
「おいおい、朝から殺気立ってるな」
マルコが苦笑いを浮かべた。
「まあ、いいじゃないか」
レイが肩をすくめる。
「実力を見るには、ちょうどいい」
「始め!」
ディアスの合図と同時に、セラフィナが動いた。
流れるような動き。無駄のないフォーム。さすがは幼少期から英才教育を受けたエリートだ。優雅な動きから繰り出される蹴りは、美しささえ感じさせる。
「ベオルブ流か」
誰かが呟いた。
だが——
パシッ。
乾いた音が響いた。
ニーナが、その蹴りを片手で受け止めていた。まるで、子供の攻撃を受け流すかのように、あっさりと。
「え?」
セラフィナの目が見開かれる。自慢の一撃が、こんなにも簡単に。
次の瞬間、ニーナが荒々しく動いた。
低い姿勢から、まるで野獣のようなタックル。洗練されたものではない、純粋な力任せの突進だった。
「きゃっ!」
セラフィナはあっという間に転がされた。床に叩きつけられ、息が詰まる。
ニーナが上から押さえつけてくる。その怪力は、想像を絶するものだった。
(なんて力......!)
セラフィナは必死にもがく。技術で抜け出そうとするが、パワーの差が大きすぎる。まるで大人と子供のようだ。
なんとか体を捻って脱出に成功したが、すぐにニーナが追ってくる。
(この怪力相手に組み合ったら終わりだ)
セラフィナは瞬時に判断した。距離を取り、打撃で勝負するしかない。
素早くステップを踏み、拳を繰り出す。だが、ニーナはそれを強引に弾き返してくる。
「ぐっ!」
息が詰まる。だが、それは始まりに過ぎなかった。
低い姿勢から繰り出される連続攻撃。拳、肘、膝。全てが正確に急所を狙っている。洗練された技術ではない。だが、実戦で磨かれた、生き残るための技だった。
「速い......!」
エリスが息を呑んだ。
セラフィナは必死に防御するが、ニーナの攻撃は重い。法力測定値の差が、残酷なまでに現れている。五十五対八十。その差は、技術では埋められなかった。
「くっ......!」
腕が痺れる。足がふらつく。視界が揺れる。
(こんなはずじゃ......)
セラフィナは歯を食いしばった。ベオルブ家の誇りが、崩れていく。
そして、最後の一撃。
ニーナの回し蹴りが、美しい弧を描いた。
ドンッ!
セラフィナは吹き飛ばされ、床に転がった。金髪が乱れ、整った顔が苦痛に歪む。
「......」
訓練場に沈黙が流れる。
ニーナは息一つ乱さず、倒れたセラフィナを見下ろしていた。その表情は、まるで退屈な作業を終えたかのような、そんな顔だった。
「大丈夫ですか?」
優しく声をかけながら、手を差し伸べる。だが、その顔には明らかに勝ち誇った表情が浮かんでいた。
「手加減が足りなかったかしら?エリートの方は、もっと優雅な訓練に慣れてらっしゃるでしょうから」
毒のある言葉。セラフィナの顔が真っ赤になった。
「結構よ」
手を払いのけ、自力で立ち上がる。プライドが、それを許さなかった。
「いい訓練になったわ。叩き上げには、叩き上げなりの戦い方があるのね」
負け惜しみとも取れる言葉。だが、セラフィナの目には、新たな炎が宿っていた。ライバル心、いや、それ以上の何かが。
「お褒めに預かり光栄です」
ニーナは慇懃に頭を下げた。表面上は礼儀正しいが、その態度全てが挑発だった。
(あー、すっきりした。二等兵時代を思い出すわ)
内心で満足感に浸る。舐められた時は、いつもこうしてきた。相手が誰だろうと、上官だろうと、格技訓練という建前があれば、思い切りぶちのめせる。
「次、誰か相手してくれますか?」
ニーナが周りを見回す。獲物を探す肉食獣のような目で。
誰も前に出ない。当然だ。あのセラフィナが、手も足も出なかったのだから。
「......休憩にしよう」
ディアスが額を押さえながら言った。
(まずい、胃が痛くなってきた......完全に火に油を注いだな)
小隊長として、これほど面倒な事態はない。片方はベオルブ家直系の令嬢、もう片方は皇帝推薦の怪物新人。どちらの肩を持つこともできない。
休憩が終わると、訓練は通常のメニューに移った。
「よし、法力なしの格技訓練だ」
ディアスが告げると、隊員たちは二人一組になって練習を始めた。
ニーナも今度は大人しく、レイと組んで基本の型を確認している。先ほどの獰猛さは影を潜め、真面目に技術の習得に励んでいた。
「さっきは派手にやったな」
レイが小声で言った。
「まあ、最初が肝心ですから」
ニーナは涼しい顔で答える。
一方、セラフィナはマルコと組んでいたが、明らかに集中力を欠いていた。受け身を取り損ねて、何度も床に叩きつけられる。
「おい、大丈夫か?」
マルコが心配そうに声をかける。
「問題ないわ」
セラフィナは立ち上がりながら、ちらりとニーナを見た。悔しさと、新たに芽生えた何か——それは単純な敵意ではない、もっと複雑な感情だった。
訓練後、ディアスは自室で頭を抱えていた。
コンコン。
「入れ」
現れたのは、イシュタル家からの使者だった。
「ディアス様、当主からの命令書です」
封を開けると、エレシュキガル・イシュタルの署名入りの文書があった。
『アジョラ様の遺産回収作戦。お前の小隊に任せる。詳細は後日』
「遺産回収......」
同じ頃、セラフィナの部屋にも、ベオルブ家からの命令が届いていた。
『セラフィナへ。特別任務を与える。ディアス小隊と共に、ある飛空艇に乗り込み、秘密作戦を遂行せよ』
イナンナ・ベオルブの直筆だった。
夕方、ディアスは小隊を集めた。
「急な話だが、俺たちに特別任務が下った」
全員が顔を見合わせる。
「どんな任務ですか?」
マルコが聞いた。
「詳細はまだ分からん。だが、アジョラ様の遺産に関することらしい」
「遺産?」
「ある飛空艇に乗って、何かを回収する」
ディアスは隊員たちを見回した。
「全員参加だ。準備しておけ」
「了解」
解散後、ニーナはエリスに聞いた。
「アジョラ様の遺産って?」
「前女帝が残した研究成果とか、隠れ家とか」
エリスが小声で答えた。
「最近、それを巡って四大家が動いてるって噂よ」
「四大家が......」
ニーナは複雑な気持ちになった。
自分は、また面倒なことに巻き込まれるのだろうか。
一方、セラフィナは自室で命令書を睨んでいた。
(なぜ、あの女と一緒に......)
朝の屈辱が蘇る。完敗だった。
だが、命令は絶対だ。ベオルブ家の名にかけて、任務は完遂しなければならない。
(今度は負けない)
セラフィナは拳を握りしめた。
翌日、小隊は指定された場所に集合した。
そこには、見覚えのある飛空艇が停泊していた。
「雷牙号......?」
ニーナが驚きの声を上げた。
「知ってるのか?」
ディアスが聞くと、ニーナは頷いた。
「前に、乗ったことがあります」
甲板から、ガラン・ベルが顔を出した。
「おう、嬢ちゃん!久しぶりだな!」
「ガランさん!」
ニーナの顔が輝いた。まさか、こんなに早く再会できるとは。
「なんだ、ブレイドになったのか」
ガランが笑った。
「出世したじゃねえか」
「まあ、色々ありまして」
二人の親しげな様子を、セラフィナは冷たい目で見ていた。
(この船長も、あの女の味方なのね)
ディアスが前に出た。
「ガラン・ベル船長、よろしく頼む」
「ああ、こちらこそ」
ガランも真面目な顔になった。
「詳しい行き先は?」
「船に乗ってから説明する」
こうして、ディアス小隊と雷牙号の、新たな任務が始まろうとしていた。




