第二十九話「四家の思惑」
エリドゥ、帝国枢密院。緊急会議が開かれていた。
ラムザの報告を受けて、四大家の当主たちが再び集まっている。だが、表面上の協調とは裏腹に、それぞれの頭の中では別の計算が渦巻いていた。
「アジョラ様の隠れ家か」
エンキドゥ・ボムが腕を組んだ。彼は妻から、その存在についてほとんど聞かされていなかった。
「私も初耳だ。妻は、そんなものを各地に作っていたのか」
内心で安堵の息をつく。とりあえず、ラムザが無事だったことが何よりだ。だが同時に、別の考えも浮かぶ。妻の部屋、遺品、そしてラムザが知っているという隠れ家。そこに何か重要なものがあるかもしれない。
「各地にかなりの数があるという話ですが、誰か場所をご存知ですか?」
ギルガメシュ・ナブが眼鏡を直しながら、さりげなく聞いた。
「いいえ、私は聞いていません」
イナンナが即座に答える。嘘だった。
「私も知りませんわ」
エレシュキガルも首を振る。これも嘘。
「そうですか」
ギルガメシュは表情を変えなかった。彼もまた、何も知らないふりをしている。
実際には、自由戦線の青白い幹部たちから、いくつかの情報を得ていた。彼らとの関係を完全に否定するためにも、今は無知を装うしかない。だが内心では、あの青白い連中から更なる情報を引き出す必要があると考えていた。
アジョラの遺産を手に入れれば、かなり有利に立ち回れるはずだ。
「とにかく」
エンキドゥが拳を机に叩きつけた。
「テロリストどもを許すわけにはいかん!国家転覆を狙う連中は、徹底的に取り締まる!」
「その通りです」
全員が頷いた。表面上は、怒りを共有している。
「自由戦線の拠点を洗い出し、一人残らず捕らえましょう」
イナンナが扇子をパチンと閉じた。
「街一つを塩に変えるなど、許されません」
「全くだ」
ギルガメシュも同調する。
だが、彼らの頭の中では、別の戦いが始まっていた。アジョラの隠れ家争奪戦。そこにある研究成果、技術、そして権力の源泉。
「では、各家で情報を集め、共有することにしましょう」
エンキドゥが締めくくった。
「もちろんです」
全員が頷く。共有する気など、誰にもなかった。
会議が終わると、イナンナとエレシュキガルは、さりげなく同じ方向へ歩き始めた。
「お茶でもいかが?」
イナンナが誘う。
「ええ、ぜひ」
二人は、人目のない小部屋に入った。
扉が閉まると同時に、仮面を脱いだ。
「どれだけ知ってる?」
イナンナが単刀直入に聞いた。
「北部に三箇所、東部に四箇所、南部に二箇所」
エレシュキガルが指を折りながら数える。
「私は西部に五箇所、中央部に二箇所」
「合わせて十六箇所」
二人は顔を見合わせた。
「アジョラ様は、私たちを信頼していたのね」
「ボム家の男には教えず、私たちには教えた」
イナンナが不敵に笑った。
「これは天の采配かもしれないわ」
「でも、軍は使えない」
エレシュキガルが眉をひそめた。
「かといって、下手に手勢を動かすのも難しいわ」
「そうね」
イナンナも頭を悩ませた。
「傭兵を雇うという手もあるけど......」
「冗談じゃないわ。もし共和主義者の手先だったら、目も当てられない」
「確かに。今は誰も信用できない」
二人は顔を見合わせた。
「私設部隊を送るにしても、人数が多ければ目立つし......」
「少数精鋭でも、あの青白い連中のような化け物がいたら......」
沈黙が流れた。そして、イナンナがふと思い出したように言った。
「そういえば、あの運送業者」
「ガラン・ベル?」
「ええ。あなたの家のワイン農家の倅だそうじゃない」
エレシュキガルの目が輝いた。
「そうよ!彼の船に、私たちの家から出しているブレイドの若手を乗せればいい」
「ブレイドの......」
「護衛という名目で。もちろん、報酬は払って」
イナンナが扇子で口元を隠しながら微笑んだ。
「彼らなら事情もある程度分かっているし、口も堅い」
「それに、新型爆弾の出どころについては、まだ秘匿しておく必要があるわ」
エレシュキガルも頷いた。
「秘密は、広げないほうがいい。知る者が増えれば、それだけ漏洩の危険も増す」
「ガラン・ベルには、単なる調査任務として伝えましょう」
「ブレイドの若手には、護衛兼監視役として」
二人は満足そうに頷き合った。
一方、ボム家の屋敷では、エンキドゥが妻の部屋を調べていた。
アジョラの遺品、日記、手紙。何か手がかりがないか、必死に探る。
「何か見つかりましたか?」
側近が聞いてきた。
「いや、まだだ」
エンキドゥは苛立っていた。妻は、重要なことを何も残していない。まるで、意図的に隠したかのように。
「ラムザ様に聞いてみては?」
「それは......」
息子に頭を下げるのは、父親としてのプライドが許さない。だが、他に方法もない。
ナブ家の屋敷では、ギルガメシュが密かに連絡を取っていた。
相手は、自由戦線の連絡員。もちろん、直接ではない。何重もの仲介を通しての接触だ。
「青白い連中について、詳しく知りたい」
『それは......』
「情報料は弾む。彼らが持っている、アジョラの隠れ家の情報も含めて」
『......分かりました。調べてみます』
ギルガメシュは通信を切った。
危険な賭けだ。だが、このままでは他の三家に遅れを取る。
四大家それぞれが、独自に動き始めた。
表向きは協力しながら、裏では熾烈な情報戦が始まっている。
そして、その渦中に、何も知らないラムザとニーナがいた。
その頃、ガラン・ベルは雷牙号で祝杯を上げていた。
船員たちと共に、大金を手にした喜びを分かち合っている最中だった。
「船長〜」
受付を兼ねている船員が、のんびりした声で呼んだ。
「お客さんですよ〜」
「客?」
ガランが眉をひそめた。
「なんかすごいお金持ちそうなご婦人が来てますけど」
「金持ち?」
ガランは肩をすくめながら立ち上がった。
船長室兼応接室に入ると、そこには豪奢な衣装を身にまとった中年の女性が、優雅に座っていた。後ろには護衛が二人。
「ガラン・ベルね?」
女性が微笑んだ。
「ああ、そうだが」
ガランはふてぶてしく腕を組んだ。
「で、あんた誰?」
護衛の一人が剣の柄に手をかけたが、女性は手で制した。
「私はイナンナ・ベオルブ」
「......誰?」
ガランは首を傾げた。
「ベオルブ家当主よ」
その瞬間、ガランの顔から血の気が引いた。
記憶が一気に蘇る。
幼い頃、ワイン農園での収穫祭。普段は怖い顔をしていた父親が、誰かの前で深々と頭を下げていた。祖父も、祖母も、農園で一番強面のおじさんたちまでが、ペコペコと頭を下げていた。
五歳の自分は、母親にきつく手を握られていた。
『いいか、ガラン。絶対に粗相をするなよ』
父親の震え声が耳に残っている。
『ベオルブ様の前では、お前も頭を下げるんだ。いいな?』
そうだ、この女性だった。あの時、優雅に微笑みながら農園を視察していた貴婦人。幼い自分には、まるで女神のように見えたが、同時に恐ろしくもあった。
「え......本物の......」
背中に冷や汗が噴き出した。
「ま、まさか、ご当主様が直々に......」
「座りなさい」
イナンナが優しく言った。
「かわいい家来のお家の長男が、立派な仕事をしたと聞いてね」
「は、はい......」
「皇帝陛下を無事にお運びしたそうじゃない。素晴らしいわ」
褒められて、ガランは戸惑った。
「ただ」
イナンナの表情が心配そうになった。
「妙な連中から恨まれているそうね。自由戦線でしたっけ?」
ガランの顔が青ざめた。
「それは......」
「かわいそうに。立派な仕事をしたのに、そんな危険に晒されるなんて」
イナンナはハンカチで目元を押さえる仕草をした。演技だと分かっていても、ガランは焦った。
「だから、護衛を付けてあげようと思って」
「護衛?」
「ブレイドの若手よ。腕の立つ子たちを何人か」
イナンナは札束の入った袋を机に置いた。
「彼らの飯代として、これを」
ガランは目を見開いた。軽く見積もっても、50万メルベラはある。
「い、いや、そんな......」
「それと、彼らを私が指定する場所まで運んでもらいたいの」
「場所?」
「ええ。彼らの装備も途中で受け取ってもらうことになるけど」
イナンナが説明を続ける。
「荷物の受け取り場所は、後で連絡するわ。特殊な装備だから、慎重に扱ってね」
ガランは冷や汗を拭った。これは、明らかにヤバい仕事だ。
「あの、ご当主様、私はもう危ない橋は......」
「あら」
イナンナが首を傾げた。
「ベル家のご両親、お元気?農園の経営は順調かしら?」
ガランの背筋が凍った。遠回しな脅しだ。
「妹さんたちもたくさんいたわよね。確か、まだ幼い子も」
「......はい」
ガランには妹が五人いた。一番下はまだ十歳だ。彼が唯一の男児として、家を継ぐはずだったのに飛び出してしまった。
「家族は大切にしないとね」
イナンナが優しく微笑んだ。その笑顔が恐ろしい。
「それに、あなたにも悪い話じゃないでしょう?人を乗せてあちこち飛び回るだけ。簡単な仕事よ」
「でも......」
「護衛も付くし、報酬も充分。いい話だと思うけど?」
ガランは諦めた。断れるはずがない。
「......分かりました」
「よかった」
イナンナは満足そうに立ち上がった。
「じゃあ、一週間後にまた連絡するわ」
「一週間後?」
「ええ。護衛たちの準備もあるし」
イナンナは振り返った。
「それまで、勝手に飛び回らないように。待機していなさい」
「は、はい」
「いい?絶対よ」
その口調に、ガランは背筋を正した。命令だ。逆らえない。
「承知しました」
イナンナは優雅に去っていった。
ガランは頭を抱えた。
「なんで俺ばっかり......」
少年時代から刻まれた恐怖。ベオルブ家への絶対的な服従。それは、どこまで逃げても追いかけてくる運命のようだった。
一方、ナブ家の屋敷では、ギルガメシュが一人、書斎に籠もっていた。
青白い男たち。彼らの正体を、どうしても突き止めなければならない。
自由戦線との関係が露見する前に、彼らを始末する必要がある。
「厄介なことになった」
ギルガメシュは呟いた。
四大家それぞれが、アジョラの遺産を巡って動き始めた。表面上は協力しながら、裏では激しい争奪戦が始まろうとしている。




