第二十二話「塩の街」
翌朝、雷牙号のデッキには、朝の冷たい風が吹き抜けていた。
「ふう......」
ニーナは手すりにもたれかかり、紫煙をゆっくりと吐き出した。隣でモニカも同じようにタバコをくゆらせている。
「昨日の夕食、すごかったわね」
モニカが笑いながら言う。
「あんたが手づかみで肉にかぶりついた時の、あの坊やの顔!」
「うるさいわよ」
ニーナは顔を赤らめた。だが、その口調にはもう「お嬢様」の気配は微塵もない。
「でも美味しかったから、仕方ないじゃない」
「そうそう、船長の料理だけは認めざるを得ないのよね」
二人の女の会話に、アザリアとアティも加わってきた。
「あら、タバコ休憩?」
「まあね。あんたたちも吸う?」
モニカが箱を差し出すが、アザリアは首を振った。
「私はいいわ。でも、ちょっと聞いてよ。さっき機関室で、トムがさ——」
女たちの話は、次第に下世話な方向へと流れていく。誰と誰がくっつきそうだとか、あの男はダメだとか、そんな話題で盛り上がり始めた。
少し離れた場所で作業をしていた男たちが、ため息をついた。
「また一人増えたか......」
ジャックが工具を手に、うんざりしたような顔をする。
「あのお嬢さん、今朝からずっとあの調子だぜ」
「早くエリドゥに着かねえと、身が持たねえ」
トムが配管を調整しながらぼやく。
「女の井戸端会議が始まったら、最低でも一時間は——」
その時だった。
ゴゴゴゴゴ......
突然、空気が震え始めた。船体全体が振動し、甲板の物が音を立てて揺れる。
「なんだ!?」
ガランが操舵室から飛び出してきた。全員に緊張が走る。
「敵襲か!?」
「いや、違う......これは......」
ガランは慌てて操舵室に戻り、通信機の周波数を合わせ始めた。
『——緊急事態——ガルガンド市——全滅——』
断片的な通信が飛び込んでくる。
『——軍の部隊も——連絡途絶——』
「おい、何が起きてる!?」
ガランが必死に周波数を変えながら情報を集める。軍用周波数を傍受すると、断片的な指令が聞こえてきた。
『——第七小隊応答せよ——封鎖地点の警戒を維持——』
『——捜索隊は警戒しつつ地域を確認——生存者の有無を——』
「軍の通信だな」
ガランが眉をひそめる。
「でも、変だぞ。封鎖してたはずなのに、なんで捜索隊が?」
船員たちが集まってくる。
「どういうことだ?」
「わからねえ。だが......」
ガランは外を見た。いつもなら帝国軍の哨戒艇が飛んでいるはずの空域に、何もいない。
「封鎖網がスカスカだ。軍の連中、どこ行った?」
「まさか、撤退した?」
「いや、通信では警戒を維持って言ってた。でも実際には......」
ガランが決断を下した。
「チャンスだ。軍の網が薄くなってる今なら、ガルガンド市を通り抜けられる。どうせエリドゥへの最短ルートだ」
「でも船長、何か危険が......」
「危険なら軍がもっと厳重に封鎖してるはずだ。行くぞ」
雷牙号は進路を変更し、ガルガンド市へと向かった。
一時間後。
「船長......あれ......」
見張り台から、震える声が響いた。
全員が前方を見る。そこには——
「なんだ、ありゃ......」
誰かが呟いた。
ガルガンド市があるはずの場所に、真っ白な何かが広がっていた。まるで巨大な石灰石の塊のような、あるいは雪に覆われた廃墟のような。
「いや、待て。建物の形は残ってる」
ガランが双眼鏡を覗きながら言う。
「でも、色が......全部白い?」
雷牙号は慎重に高度を下げながら、元々空港だった場所へと降下していく。
着陸すると、そこは銀世界だった。
地面も、建物も、木々さえも、全てが白一色に染まっている。
「一体何が......」
船員たちが恐る恐る船から降りていく。ニーナとラムザも続いた。
ガランが地面に膝をつき、白い地面に触れた。硬いが、どこか脆い感触。指先についた白い粉を、恐る恐る舐めてみる。
「......しょっぱい」
顔を上げ、信じられないという表情で呟いた。
「塩だ。これ、塩だぞ」
「塩!?」
モニカが驚いて、自分も地面に触れる。
「本当だ......でも、なんで街全体が......」
「おい、あれを見ろ」
トムが指差した先には、奇妙な彫像が立っていた。いや、彫像ではない。空港の職員らしき制服を着た人間が、そのままの姿勢で塩の像と化していた。
「人が......塩に......」
アザリアが青ざめる。
散策に出た船員たちが、次々と戻ってきた。
「街全体が同じだ!」
「住民も、動物も、全部塩になってる!」
「建物の中も真っ白だ。家具も食器も、全部......」
ラムザは一人、離れた場所で立ち尽くしていた。
(これは、まさか......母上の研究していた......)
彼の顔から血の気が引いていく。
(塩化装置......完成していたのか)
だが、他の者たちは違った。
「一体何が起きたんだ?」
ガランが頭を抱える。
「なんだこりゃ......神様にすげえブチ切れられることでもしたのか?」
信心深い彼らしい反応だった。
「街一つ丸ごと塩にするなんて......聖書の故事みてえだ」
ニーナも混乱していた。塩の像と化した人々を見つめ、ただ震えている。
「病気?毒?でも、建物まで塩になるなんて......」
モニカが呟く。誰も、この現象を理解できない。
「とにかく、ここは危険だ」
ガランが決断を下した。
「みんな、船に戻れ!何が原因かわからねえが、俺たちまで塩になったら洒落にならねえ」
一方、新エリドゥの帝国軍本部。
「報告します!」
通信兵が青ざめた顔で駆け込んできた。
「ガルガンド市が......街全体が塩に変わったとの報告が!」
メルベルは立ち上がった。彼の表情に、珍しく動揺が走る。
「なんだと?」
「捜索に向かった第七小隊とも連絡が取れません。おそらく、彼らも......」
メルベルは拳を握りしめた。
「塩化......まさか、アジョラ様の......」
彼も事態の深刻さを理解し始めていた。これは単なるテロではない。帝国の存亡に関わる、恐るべき兵器が使われたのだ。
「全軍に通達しろ」
メルベルの声が、部屋に響いた。
「これより、帝国は最高度の警戒態勢に入る。そして——」
彼は一瞬言葉を切り、決意を込めて続けた。
「ラムザ様の確保を最優先とする。このような兵器を持つ敵がいる以上、皇族の安全が何より重要だ」
塩の街ガルガンド。その異様な光景は、帝国の新たな恐怖の始まりを告げていた。
白い死の街で、ニーナは震えながら立っていた。これが、共和主義者たちの望んだ世界なのか。それとも、もっと恐ろしい何かが始まろうとしているのか。
風が吹くたびに、塩の粒子が舞い上がる。まるで、死者たちの魂が彷徨っているかのように。




