第二十一話「聖火祭の夕べ」
夕暮れ時、雷牙号の食堂として使われる広間に、温かな灯りが灯された。普段は荷物置き場も兼ねているこの部屋も、今夜ばかりは色とりどりの布と、手作りの飾りで華やいでいた。
「さあ、どうぞこちらへ」
ガラン・ベルが、わざとらしいほど丁寧な仕草で二人の客を招き入れた。普段の砕けた口調とは打って変わって、まるで高級レストランの給仕のような振る舞いだ。
ニーナは部屋に入った瞬間、息を呑んだ。
長いテーブルの中央には、こんがりと焼き上がった巨大な鳥の丸焼きが、湯気を立てて鎮座している。その周りには、艶やかな野菜の煮込み、山盛りのパン、数種類のチーズ、そして何より——彼女が見たこともないような、琥珀色の液体が入った美しいボトルが並んでいた。
「うわあ......」
思わず声が漏れそうになったが、ラムザに軽く肘で突かれて口を閉じた。
「落ち着いて振る舞え」
ラムザが小声で囁く。だが、ニーナの目は既に料理に釘付けだった。十二歳まで過ごした孤児院では、祭りといえば固いパンに薄い粥、運が良ければ飴玉が一つ。軍に入ってからも、冷えた肉と野菜を適当に煮込んだものばかり。目の前の光景は、まるで絵本の中の世界のようだった。
船員たちが次々と席についていく。モニカ、アザリア、アティといった女性陣も、普段より少しだけ身なりを整えて現れた。男たちも髭を剃り、髪を整えている。
「全員揃ったな」
ガランが立ち上がった。急に背筋を伸ばし、咳払いをする。
「えー、本日は聖なる聖火祭の日であります。この日は——」
「また始まったよ」
誰かがぼやいた。
「黙れ!」
ガランが一瞬素に戻って怒鳴り、また咳払いをして続ける。
「この祭りは、今から千六百年前、最初の巫女アザリア様が、バビロンの聖火を発見され、各地を巡礼して七つの祠を建てられた、その偉大なる偉業を讃える日であります」
「船長、お客さんもお腹すいてるんだから、早くしてよ」
モニカが遠慮なく口を挟む。
「うるせえ!これを言わねえと始まらねえんだよ!」
完全に素の口調に戻ったガランが、苛立たしげに続ける。
「いいか、千六百年前まで、この国の首都はエリドゥじゃなくてバビロンだったんだ。千年王が現れるまではな。その千年王が——」
「千年王?」
ニーナが思わず口を挟んだ。すぐに口を押さえたが、ガランは嬉しそうに振り返った。
「おお、興味があるか嬢ちゃん!千年王ってのはな——」
「船長!」
船員たちが一斉に声を上げた。
「飯が冷める!」
「ちっ、お前らってやつは......先祖への敬意ってもんがまるでなってねえ」
ガランがぶつぶつ言いながらも、再び姿勢を正した。
「では、聖火の輝きに祈りを」
全員が頭を下げる。ニーナも慌てて真似をした。短い沈黙の後、ガランが大きなナイフを手に取った。
「よし、切り分けるぞ」
鳥の肉が見事な手つきで切り分けられていく。香ばしい香りが部屋中に広がった。ニーナの胃が、恥ずかしいほど大きな音を立てた。
皿が配られ、肉が盛られる。ニーナは今にも手を伸ばしそうになったが、足元でラムザが彼女の足を踏んだ。
「痛っ——」
「待て」
小声での警告。ようやく全員に料理が行き渡ると、ガランが杯を掲げた。
「聖火祭を祝して」
「祝して!」
船員たちが唱和し、ようやく食事が始まった。
ニーナは震える手でナイフとフォークを取った。慎重に、ラムザの真似をしながら肉を切る。一口、口に入れた瞬間——
「......!」
肉汁が口の中に広がった。香辛料の香り、柔らかな食感、そして何より、温かい。温かい料理を食べるのは、いつ以来だろう。
「どうだ、船長の料理は絶品だろ?」
隣のトムが得意げに言う。
「船長って、無駄に料理得意よね」
モニカが茶化すような口調で言うと、ガランが眉をひそめた。
「無駄ってどういうことだ?お前ら女性陣が頼りにならねえから、俺がやってんだ」
「あぁ?」
女性陣が一斉に睨みつける。アザリアが立ち上がりかけたが、アティに引き戻された。
「まあまあ、今日は祭りなんだから」
ジャックが仲裁に入る間に、ニーナは豆の煮込みを口にしていた。
甘い。
砂糖?いや、蜂蜜か?豆がこんなに甘くて美味しいものだったなんて。野菜もたっぷり入っている。スープも濃厚で、パンを浸して——
いつの間にか、ニーナは手づかみでパンをちぎり、ソースに浸して口に運んでいた。肉も手で掴み、かぶりつく。まるで孤児院時代に戻ったように、誰かに取られる前に、できるだけ早く、できるだけたくさん——
「お前......」
ラムザが呆れたような声を出した。慌てて足を踏む。
ニーナが小さく声を上げた。
「いた——」
「おい、いい加減にしろ」
小声での叱責だが、ニーナは止められない。こんなに美味しいものを、ゆっくり食べるなんてできない。
「姉は、その......ちょっと遠慮がなくて」
ラムザが苦し紛れの言い訳をする。
「いやいや、美味そうに食ってくれて嬉しいよ」
ガランがほっとしたような顔で言った。機嫌を直してくれただろうか、という不安が、少しずつ和らいでいく。
「ほら、これも飲め」
モニカがニーナのグラスにワインを注ぐ。琥珀色の液体が、灯りに照らされて輝いた。
「これ、ベオルブ家のプライベートブランドだ。俺の実家から......まあ、持ってきたやつだ」
ガランが少し照れくさそうに言う。
ニーナは一口飲んで、むせた。
「けほっ、けほっ——」
「あはは、お嬢さんも意外と庶民的ね」
船員たちが笑う。その笑い声は、悪意のない、温かなものだった。
やがて船員たちも遠慮がなくなり、手づかみで肉をむしり、パンをちぎり始めた。スープを皿から直接飲む者もいる。
「お前らも大概だな......」
ガランが呆れたように言うが、その顔は満更でもなさそうだった。
ただ一人、ラムザだけが、この混沌とした食卓で、きちんとナイフとフォークを使い続けていた。時折ため息をつきながら、それでも料理を口にする。
「美味しいですね」
ラムザが珍しく素直な感想を述べると、ガランは顔を輝かせた。
「そうだろう!これはな、ベオルブ領の伝統的な調理法で——」
「また始まった」
船員たちのやじが飛ぶ中、聖火祭の夜は更けていく。
窓の外では、星が瞬き始めていた。明日には、エリドゥまであと一日。だが今夜だけは、この小さな船の中で、身分も立場も忘れた奇妙な家族のような時間が流れていた。
ニーナは、生まれて初めて、これが「祭り」というものなのかもしれない、と思った。




