第十八話「逃げ場所」
客室を出たニーナの足取りは、わずかに乱れていた。
『もう嫌になる』
内心で舌打ちする。部屋に戻れば、またあの永遠に続くマナー講座だ。フォークの持ち方、ナイフの使い方、話し方、座り方——もううんざりだった。
『あそこまで言わなくてもいいじゃない』
ラムザの絶望的な顔が脳裏に浮かぶ。確かに自分の食べ方は汚いかもしれないが、それには理由があるのだ。
孤児院での食事は戦争だった。遅れれば取り分が減る。素早く、確実に、口に運ぶ。それが生き延びるための技術だった。
軍に入って、さすがに争奪戦はなくなったが、似たような奴らは山ほどいた。なのに、なぜ自分だけがこんなに責められなければならない?
『別に普通でしょう......』
自分でも無理があると分かっている言い訳だったが、プライドが傷ついていた。
船内を歩いていると、配管の前でうめき声を上げている女性がいた。モニカだ。油まみれの作業着を着て、工具を握りしめている。
「あの......何かお手伝いしますか?」
ニーナが声をかけると、モニカは振り返った。
「お嬢さんに何ができるの?」
その言葉には軽い嘲笑が含まれていた。また始まった。また見下された。
しかし、ニーナは諦めなかった。自尊心を回復させたい一心で、食い下がる。
「アーマーの整備なら経験があります」
「へえ」
モニカは眉を上げた。半信半疑といった表情で、いくつかの工具を差し出してくる。
「じゃあ、お手並み拝見といきますか」
ニーナは配管を調べ始めた。法力アーマーと飛空艇では構造が違うが、基本原理は同じだ。圧力のバランス、法石の流れ、接続部の摩耗......
しばらく作業を続けた後、不調の原因を特定して修理を完了させた。
「......おお」
モニカが感心した声を上げた。
「やるじゃない。ちょっとついてきて」
それから一時間ほど、ニーナはモニカの助手として船内の整備を手伝った。久しぶりに、自分が役に立っているという実感があった。
作業が一段落すると、モニカはタバコを一本取り出した。
「吸う?」
「ありがとう」
ニーナは受け取って火をつけた。軍隊時代に覚えた習慣だ。
「意外ね」
モニカは満足そうに煙を吐いた。
「お嬢さんがタバコを吸うなんて」
「色々ありまして......」
ニーナは曖昧に笑った。
「私、工員の家の娘でね」
モニカが身の上話を始めた。
「狭い家で兄弟と押し込められて、ここに使われるのが嫌だった。成績はいいのに『家にいろ』って言われて、頭に来たから家出したのよ」
煙草の煙が二人の間に漂う。
「まあ、あなたみたいなお嬢さんには縁のない話かもしれないけど」
「そんなことないです」
ニーナは首を振った。
「私も家にいるのが嫌で、軍に入りました。親が決めた道なんて、まっぴらでしたから」
嘘だったが、それなりに説得力があった。
「だから、あの時アーマーが操縦できたのか」
モニカが納得した様子で頷く。
「今回は弟が迎えに来てて、弟を送り届けたらまた軍に戻るつもりです」
「弟?あの坊ちゃんが?」
「そう。あの子、うるさいのよね」
ニーナは愚痴を吐き出した。
「何でもかんでも細かく指図してきて。『これはダメ、あれはダメ』って。もううんざり」
「あはは!分かる分かる!」
モニカが大笑いした。
「男って、なんであんなに偉そうなのかしらね。特に若い奴ほど面倒くさい」
「そうなんです!」
ニーナも声を上げた。
「あそこまで言わなくてもいいじゃないですか。だいたい、私だって好きでこうなったわけじゃないのに」
二人は意気投合して、しばらく男への愚痴で盛り上がった。
「軍なんてやめて、もっと楽なところに行けばいいのに」
モニカが提案した。
「うちに来なよ。技術があるんなら、どこでもやっていけるわ」
「考えておきます」
ニーナは微笑んだ。
久しぶりに、心が軽くなった気がした。モニカは自分を見下さなかった。対等に扱ってくれた。
『ここにいる方が、あの部屋よりずっといい』
タバコの煙と共に、少しだけ鬱憤が晴れた気がした。
しかし、やがて客室に戻らなければならない。そして、また永遠のマナー講座が待っている。
ニーナは小さくため息をついた。




