第百二十三話「予知の強迫」
朝靄の中、ガランは船室で跳ね起きた。額に脂汗が滲んでいる。
「はぁ...はぁ...」
また、あの夢だ。モニカがドロドロのヘドロに飲み込まれ、肌が腐食性の液体で焼けただれていく。彼女の悲鳴が、まだ耳に残っている。
「くそ...なんなんだ、この夢は」
頭を抱えて呻く。最近、妙に生々しい夢を見る。それも決まって船員たちが危険に晒される内容だ。
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朝食の席で、ガランは突然立ち上がった。
「今日から新しい規則を作る」
船員たちが顔を見合わせる。
「なんですか、急に」
ジャックが首を傾げる。
「外に出る時は、これを着用すること」
ガランが取り出したのは、軍の横流し品らしき防護服だった。宇宙服のような、ごつい装備だ。
「は?」
トムが目を丸くする。
「なんですか、これ」
「腐食性物質対応の防護服だ」
「いや、だから何で...」
「最近、変なニュース多いだろ」
ガランは苛立ったように言う。
「用心に越したことはない」
アザリアが小声で囁く。
「船長、最近ちょっと神経質じゃない?」
「聞こえてるぞ」
「あと、これも」
ガランは火炎放射器を取り出した。
「モニカ、お前はこれを持て」
「え?何?どういうこと?」
モニカは困惑する。
「私、メカニックなんですけど...」
「いいから持て」
「重いんですけど!」
船員たちは顔を見合わせた。
(船長、とうとう頭がおかしくなったか...)
ジャックが額に手を当てる。
「あのー、船長。火炎放射器なんて、何に使うんですか?」
「分からん」
「分からんって...」
「とにかく持て。それと」
ガランは倉庫から大量の酢を運び出してきた。
「これも積んでおく」
「酢?」
トムが呆れる。
「何十リットルもどうするんですか」
「洗浄用だ」
「は?」
船員たちの視線が心配そうになっていく。
(ストレスかな...)
(ニーナ様と別れてから、ずっと調子悪そうだし...)
(可哀想に、失恋のショックで...)
そんな同情的な視線を浴びながら、ガランは準備を進めた。自分でも理由は分からない。ただ、やらずにはいられなかった。
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三日後、氷原大陸の空港。
「うわ、なんだこりゃ」
ジャックが窓から外を見て叫んだ。空港が大混乱に陥っている。人々が逃げ惑い、悲鳴が上がっている。
「アンデッドだ!」
誰かが叫ぶ。
「着陸中止!」
ガランが即座に判断する。
「高度を上げ...」
その時、甲板で作業していたモニカの悲鳴が響いた。
「きゃああああ!」
振り返ると、巨大なヘドロのような塊が、空港から飛び上がってモニカに襲いかかっていた。腐敗した有機物の塊、まさに悪夢で見た光景そのものだった。
「モニカ!」
しかし、次の瞬間、奇跡が起きた。
防護服がヘドロの腐食を防ぎ、モニカは無傷だった。
「く、くっさああああ!」
モニカは反射的に火炎放射器を構え、引き金を引いた。炎がヘドロを包み、じゅうじゅうと音を立てて蒸発していく。
「や、やった...?」
震える声でモニカが呟く。
ガランは即座に指示を出す。
「酢だ!酢を持ってこい!」
「え?」
「強酸性の物質に水をかけると反応が激しくなる!酢で中和してから洗い流すんだ!」
船員たちが慌てて酢を運んでくる。モニカの防護服に酢をかけ、慎重に洗浄していく。
「脱げ!すぐにシャワー室へ!」
モニカは防護服を脱ぎ捨て、走り去った。
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船員たちは呆然としていた。そして、徐々に理解が広がっていく。
「船長...まさか、これを予想して...?」
トムが震え声で言う。
「すげえ...」
ジャックが目を輝かせる。
「流石船長!俺たちには思いつかないことを平然とやってのける!」
「痺れる!憧れる!」
アザリアも興奮する。
「おう!」
ガランは胸を張る。
「俺に万事任せとけ!」
(夢の直感ってすげぇ!)
内心では困惑していたが、それは顔に出さなかった。
船員たちは口々に称賛する。
「あの防護服がなかったら、モニカは...」
「火炎放射器も完璧だった!」
「酢の準備まで...どこまで先を読んでるんだ」
ガランは曖昧に笑いながら、胸を撫で下ろした。
(夢が...現実になった...?)
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その夜。
ガランはまた悪夢にうなされた。
翌朝、ガランは目の下に深いクマを作って現れた。
「今日から船を白く塗装する」
「は?」
船員たちが凍りつく。
「白に...ですか?」
トムが恐る恐る聞く。
「そうだ。全部白だ」
「いや、なんで急に...」
「いいから塗れ!」
ガランの鬼気迫る表情に、船員たちは震え上がった。
「今すぐだ!全員参加!サボる奴は海に放り投げるぞ!」
「ひぃ!」
船員たちは慌てて塗料を用意し始める。
モニカが勇気を出して聞いた。
「あの、船長...これは一体どういう意味が...?」
「前回の防護服は、まだ理解できました。でも、塗装は...」
ガランは疲れ切った顔で答える。
「雪の色と同じだから」
「...は?」
「白は雪の色だ。それだけだ」
意味不明な答えに、船員たちの不安は最高潮に達した。
(やっぱり頭が...)
(ストレスで壊れちゃったのかな...)
(でも、前回は当たったし...)
ジャックが小声で囁く。
「とりあえず従っとこう。前回みたいに、後で理由が分かるかも」
「そうだな...」
船員たちは半信半疑ながら、塗装作業を始めた。
ガランは甲板に立ち、ノイローゼ気味の顔で作業を監督する。
「もっと早く!丁寧に!ムラがあるぞ!」
「は、はい!」
真っ黒だった雷牙号が、徐々に白く染まっていく。
(なんでこんなことを...)
ガラン自身も分からない。ただ、やらないと取り返しのつかないことが起きる、そんな強迫観念に駆られていた。




