第百二十一話「一年の距離」
病院の窓から、秋の陽射しが差し込んでいた。ガランは病床で、震える手で手紙を開いた。見慣れた丁寧な文字が並んでいる。
『ガラン様
お手紙拝読いたしました。
仰る通り、現状は双方にとって危険です。
距離を置くことに同意します。
貴方のご家族の安全を第一に考えてください。
ニーナ・ボム』
短い。あまりにも事務的で、あっさりとした文面だった。
ガランは手紙を膝に置いて、天井を見上げた。悔しいような、安心したような、複雑な気持ちが胸を満たす。
「なんだ、この気持ちは...」
彼も分かっていた。ブレイドの中に敵がいる可能性を考えれば、愛の言葉など書けるはずもない。検閲される可能性もある。
机に向かい、返事を書く。
『ニーナ様
了解いたしました。
短い間でしたが、お側にいることができて光栄でした。
ご健勝をお祈りします。
ガラン・ベル』
筆を置いて、深くため息をつく。
「レイ、これ頼む」
入ってきたレイに手紙を渡す。レイは中を見ることなく、慎重に懐にしまった。
「えー?」
ジャックが不満そうな顔をする。
「マジでこれで終わりなんですか?」
「俺には無茶な話だったんだ」
ガランは力なく笑う。
「まじで束の間の夢みたいな話だった。いい潮時さ」
トムも納得いかない様子だ。
「でも船長、ニーナ様は...」
「ニーナには悪いことしちまった」
ガランは窓の外を見る。
「普通の女の子として生きる道もあったのに、俺が余計なことをしたせいで...」
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実家には、ベオルブ家から派遣された警備兵が配置された。最初は近所の騒ぎになったが、一ヶ月もすると、民衆の関心は別の話題に移っていった。
「もう大丈夫みたいだな」
退院したガランは、実家の葡萄畑を歩きながら呟いた。
「兄さん」
リリーが心配そうに声をかける。
「本当に、これでよかったの?」
「ああ」
でも、リリーには兄の表情が寂しそうに見えた。
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**一年後**
帝紀601年、秋。
雷牙号は、緑海大陸の港に停泊していた。異国の香辛料の匂いが、潮風に乗って流れてくる。
「船長、積み荷の確認終わりました」
モニカが報告する。彼女も、この一年で少し変わった。ガランへの淡い想いは、友情へと変化していた。
「よし、次は氷原大陸だな」
ガランも変わっていた。髭を生やし、日焼けして、以前より逞しくなっている。民間輸送業者として、着実に実績を積んでいた。
酒場で、船員たちと夕食を取る。
「なんか最近、変なニュース多くないですか?」
アザリアが新聞を広げる。
「死者の起き上がり?」
ジャックが覗き込む。
「アンデッドだって」
「馬鹿馬鹿しい」
トムが笑う。
「迷信だろ」
しかし、ガランは真剣な顔で記事を読んでいた。
『東征大陸北部で、死者が起き上がる事件が多発。帝国軍が調査中』
「これ...」
何か嫌な予感がした。かつて、リリスというルカヴィと戦ったことを思い出す。RVウイルス。不死化。
「船長?」
「いや、なんでもない」
ガランは新聞を置いた。しかし、胸騒ぎは収まらなかった。
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テレビでは、新女帝ニーナの演説が流れている。
『植民地への自治権付与により、帝国はより強固な統一を実現しました。税収による統治は、武力による支配より効率的です』
凛とした声。一年前より、さらに威厳を増している。
「ニーナ様、すっかり立派になったな」
ジャックが感心する。
「テロも減ったし、暴動も収まった」
トムも頷く。
「名君じゃないか」
ガランは黙ってテレビを見ていた。画面の中のニーナは、完璧な女帝だった。かつての癇癪持ちの少女の面影はない。
でも、その目の奥に、ガランは何か別のものを見た気がした。孤独、かもしれない。
「さて、明日は早いぞ」
ガランは立ち上がる。
「氷原大陸は寒いからな。防寒具の準備を忘れるなよ」
船員たちが散っていく中、モニカが残った。
「船長」
「ん?」
「...いえ、なんでもないです」
彼女は何か言いたそうだったが、結局何も言わずに去っていった。
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夜、船室で一人、ガランは窓から星空を見上げた。
一年。長いようで短い時間だった。ニーナからの手紙は、あの一通きり。こちらからも、それ以上は送っていない。
「元気にしてるかな...」
小さく呟く。
聖火の岬で交わした約束。あれは夢だったのだろうか。いや、腹の傷跡が、あれが現実だったことを物語っている。
机の引き出しを開ける。そこには、あの岬で買った安物のキーホルダーが入っていた。二つで一つの絵になる、お守り。
「...」
そっと撫でて、また引き出しにしまう。




