第百十七話「穢れた血」
港の朝は穏やかだった。海鳥の鳴き声と潮の香りが、雷牙号の甲板を包んでいる。ガラン・ベルは船長室で、溜まった郵便物の整理をしていた。輸送業を再開してから、各地の取引先からの連絡が増えている。
「請求書、請求書、広告...なんだこれは?」
茶封筒の中から、一通の手紙を取り出す。差出人の名前はない。嫌な予感がして開封すると、乱暴な筆跡で書かれた文面が目に飛び込んできた。
『穢れた血を帝国に入れるな。農民の分際で恥を知れ』
ガランは眉をひそめた。文面を何度か読み返し、深いため息をつく。
「...なんだこりゃ」
しばらく考え込んでいると、ドアがノックされた。
「船長、レイです。朝の見回り終わりました」
「ああ、ちょうどいい。ちょっとこれ見てくれ」
レイが入ってきて、手紙を受け取る。内容を読んだ途端、彼の顔が曇った。
「あぁ~...」レイは腕を組んで唸る。「特定されちゃいましたか...これは面倒なことになりましたね」
「特定?」
「要するに、船長とニーナ様の関係が世間にバレたってことです。で、血統の違いを指摘してる。熱心な帝政愛国者からの投函でしょうね」
その声を聞きつけて、船員たちがぞろぞろと集まってきた。
「どうしたんですか、船長?」トムが覗き込む。
「脅迫状みたいなもんだ」ガランは他の郵便物も開け始める。案の定、似たような内容の手紙が次々と出てきた。
『ボム家の血を汚すな』
『身の程を知れ、田舎者』
『女帝陛下から手を引け』
ジャックが一通を手に取って読み上げる。「『穢れた血』だって。ふざけんな!船長の血はきれいだろ!」
「そうそう!」トムも憤慨する。「健康診断も問題なかったし!」
「性病も今のところないもんな!」アザリアが付け加える。「ニーナちゃんと関係する前に、しっかり調べたもんね」
「なんで知ってるんだよ!」ガランが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「いや、だって船長、自分で言ってたじゃないですか」ジャックがケラケラ笑う。「『俺、ちゃんと検査受けてきたから』って」
「酔った勢いで言ったことを...」
そんな中、トムが一通の手紙を広げて固まった。
「あー...これは...」
「なんだ?」
「『ロリコン野郎』って書いてあります」
船内に微妙な沈黙が流れた。
ジャックが咳払いをする。「これに関しては...言い訳できないな」
「10歳差だもんな」トムが指折り数える。「船長30歳、ニーナ様17歳...」
「よくよく考えなくてもちょっと犯罪だよね」アザリアが遠慮なく言う。「手籠めにしたって見られてもしょうがないかも」
「お前らどっちの味方なんだよ!」ガランが机を叩く。
「いや、味方ですよ、もちろん」ジャックが慌てて弁解する。「でも客観的に見ると...ねぇ?」
「普通に未成年ですよ」トムが肩をすくめる。「どうせ襲ったんでしょ?って思われてるんじゃ...」
「逆だろ!俺の方が無理やり...」ガランは言いかけて口を閉じた。
レイは黙ってその様子を見ていたが、内心では深刻に考えていた。
(これは...想像以上にまずいな。熱心な支持者の中には、過激な行動に出る奴もいるかもしれない)
「とりあえず」レイが口を開く。「これらの手紙は全部保管しておきましょう。証拠になりますから」
「証拠?」
「まあ、念のためです」レイは曖昧に笑う。「それより船長、明後日にはニーナ様と合流でしたよね?」
「ああ、そうだが」
「その時までに、もう少し警備を強化した方がいいかもしれません」
ガランは手紙の山を見下ろして、深くため息をついた。
「面倒なことになったなあ...」
窓の外では、穏やかな海が広がっている。しかし、その平和な風景とは裏腹に、不穏な空気が漂い始めていた。
「でも船長」ジャックが明るく言う。「これって逆に考えれば、船長が有名人になったってことですよ!」
「全然嬉しくねえよ」
「『女帝の愛人』って肩書き、かっこよくないですか?」
「やめろ」
「歴史に名を残しますよ!『農民から女帝の夫になった男』って!」
「最悪だ...」
その時、また一通の手紙が机の上に落ちた。差出人を見ると、ガランの顔が青ざめた。
「実家からだ...」
「おお、ご両親から?」トムが覗き込む。
震える手で封を開ける。母親の丁寧な字で、短い文章が書かれていた。
『新聞を見ました。あなたたち、大丈夫?心配しています。父さんは「息子は立派にやってる」と言ってますが、私は不安です。くれぐれも気をつけて。PS.リリーが「お義姉さんに会いたい」と騒いでます』
ガランは手紙を机に置いて、頭を抱えた。
「...母さんまで心配させちまった」
レイはその様子を見て、改めて決意を固めた。何があっても、この男を守らなければならない。ニーナ様のためにも、帝国の未来のためにも。
「船長」レイが真剣な顔で言う。「俺たちがついてます。何があっても」
船員たちも頷く。
「そうですよ!」ジャックが胸を張る。「俺たち、船長の仲間じゃないですか!」
「たとえ相手が帝国中の愛国者でも」トムが拳を握る。「船長は俺たちが守ります!」
「お前ら...」ガランは少し目を潤ませた。
「まあ、ロリコンなのは事実ですけどね」アザリアがボソッと呟く。
「くそがよ!」ガランが叫ぶ。
船員たちの笑い声が、港に響いた。しかし、その陽気な雰囲気の裏で、レイだけは警戒を解かなかった。手紙の中には、ただの批判では済まない、本物の殺意を感じるものも混じっていたからだ。
(明後日、ニーナ様と合流する時が一番危険だな...)




