第百十六話「女帝の成長」
軍艦の会議室で、ニーナは報告書を読んでいた。東征大陸での暴動鎮圧作戦が失敗し、三個小隊が壊滅的な被害を受けたという内容だった。指揮官の判断ミスが原因らしい。
以前のニーナなら、この瞬間に机を叩き割り、報告者を吹き飛ばしていただろう。実際、頭の血管が切れそうなほど怒りが込み上げてきた。拳を握りしめ、赤い瞳が危険な光を放つ。
「落ち着け...」
小さく呟く。深呼吸を三回。ガランの言葉を思い出す。『偉いからって何してもいいわけじゃねえぞ』
「指揮官は?」
声を震わせないよう努力しながら尋ねる。
「現在、野戦病院で治療中です」
報告者の若い将校が緊張した面持ちで答える。
「そう」
ニーナは目を閉じた。
「生きているなら、まだやり直せるわ」
将校が驚いた顔を上げる。処刑命令が出ると思っていたのだろう。
「増援を送って。それから、現地の状況を詳しく調査させて」
ニーナは冷静に指示を出す。
「暴動の原因は何?食糧不足?それとも税の問題?」
「法石採掘における労働条件への不満が主な原因です」
「なるほど」
ニーナは頷いた。
「労働時間の短縮と、賃金の見直しを検討しなさい。長期的に見れば、その方が生産性も上がるはずよ」
セラフィナは扉の外でその様子を見守っていた。最初はハラハラドキドキしていたが、次第に感動に変わっていく。ニーナ様が、本当の指導者として成長している。
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午後、ニーナは演説のために港の広場に立っていた。集まった群衆は数千人。皆、新女帝の言葉を聞きに来ていた。
「帝国の民よ」
ニーナの声が響く。白い軍服が陽光に輝いている。
「我々は今、転換期にある。六百年続いた中央集権的な統治から、新たな形へと変わろうとしている」
群衆がざわめく。何を言い出すのか、不安と期待が入り混じっている。
「植民地政策について話そう」
ニーナは続けた。
「東征大陸、緑海大陸、氷原大陸。これらの地に住む人々も、我々と同じ帝国の民だ。しかし、今まで我々は彼らを搾取の対象としか見ていなかった」
会場が静まり返る。女帝自身がそれを認めるとは。
「これからは違う」
ニーナの声に力が込められる。
「各地域に自治権を与える。彼らの文化を尊重し、共に繁栄する道を探る。多様性の中に統一を見出すのだ」
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セラフィナが通信機でガランに報告していた。
『ガラン様、ニーナ様が素晴らしい演説を』
『どんな内容だ?』
『植民地の自治権について。それから移民政策の見直しも』
ニーナは演説を続ける。
「法石の産出量が減少している。これは事実だ。しかし、それを労働者への搾取で補うのは間違っている。技術革新と効率化、そして公正な分配。これが我々の進むべき道だ」
「民主政治について問う者もいるだろう」
ニーナは群衆を見渡した。
「確かに、時代は変わりつつある。しかし、急激な変化は混乱を生む。段階的に、地方議会の権限を強化し、民の声を反映させる仕組みを作っていく」
若い男が叫んだ。
「綺麗事だ!結局は支配じゃないか!」
以前のニーナなら、その場で男を消し炭にしていただろう。しかし今は違った。
「その通りかもしれない」
ニーナは認めた。
「でも、私は変わろうとしている。帝国も変わらなければならない。あなたの意見も聞かせて欲しい」
男は驚いた顔をした。まさか女帝が自分の意見を求めるとは。
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演説が終わった後、セラフィナは感動で涙ぐんでいた。
「ニーナ様...本当に立派になられて...」
通信機の向こうで、ガランも満足そうに頷いていた。
「そうか、頑張ってるんだな」
胸を撫で下ろす。自分の厳しい態度が、良い方向に作用している。
「そろそろどこかの港で一旦顔でも合わせて」
ガランは独り言のように呟く。
「ちょっとこの前のことを謝ったり、褒めたりしてやった方がいいかもしれんな」
レイが横から口を挟む。
「おお、親心ですね」
「違う!」
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その頃、軍艦の自室でニーナは鏡を見つめていた。
「私、変われてる?」
小さく呟く。
「ガランに認めてもらえるかな...」
セラフィナがノックをする。
「ニーナ様、夕食の時間です」
「すぐ行く」
立ち上がって、ニーナは決意を新たにした。もっと成長して、ガランに相応しい女性になる。そのためなら、どんな努力も惜しまない。
夜、ニーナは報告書の山に向かっていた。難民問題、国境紛争、経済格差。解決すべき問題は山積みだ。でも、逃げない。これが女帝の仕事なのだから。
「東征大陸の難民受け入れ施設を増設...」
ペンを走らせながら呟く。
「緑海大陸との交易条件見直し...」
かつてのような暴君ではなく、真の指導者として。それがガランへの、そして自分自身への約束だった。
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翌朝、ニーナは再び演説台に立った。今度は別の港町で。
「昨日、ある若者が私に異議を唱えた」
ニーナは笑顔で始めた。
「それは素晴らしいことだ。民が権力に対して声を上げられる。それこそが、我々が目指すべき社会だ」
群衆から拍手が起こる。少しずつだが、人々の心を掴み始めている。
セラフィナは誇らしげにその姿を見守っていた。あの癇癪持ちの少女が、こんなに立派な指導者に成長するなんて。
「ガラン様の教育の賜物ね」
小さく呟く。
通信機が鳴った。ガランからだ。
『調子はどうだ?』
「順調です。ニーナ様は本当に頑張っていらっしゃいます」
『そうか...』
少しの沈黙の後、ガランが言った。
『次の港で、ちょっと顔を合わせるか』
「本当ですか!?」
『あぁ。頑張ってるみたいだし、そろそろ褒めてやらないとな』
セラフィナは急いでニーナの元へ走った。




