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第百十四話「女帝の涙」




軍艦の豪華な個室で、ニーナは枕を投げつけていた。花瓶が砕け、椅子がひっくり返る。ひとしきり暴れた後、ベッドの端に座り込んだ。


「最悪...」


両手で顔を覆う。


「何もかも最悪...」


自分のこの癇癪と暴れ癖、育ちの悪さが恨めしくなった。孤児院で身についた荒っぽさ、軍隊で磨かれた攻撃性、そして今の権力。全てが最悪の組み合わせだった。


「間違いなく軽蔑された」


声が震える。


「もう終わりよ...」


離婚?リコン?その言葉が頭をよぎる。間違いなくガランの言い分が正しい。恥ずかしい。『恥かかすな』と言われた。あの冷たい目。嫌われた。確実に嫌われた。


「ここまで追いかけてきて何してるの私...」


膝を抱えて丸くなる。


「全部育ちの悪さのせいだ。性格も最悪。すぐに頭に来る」


きっとあっちの船で呆れてる。ガランも、モニカも、アティも、みんな。


「怪我もさせた...」


頬を掠めた紫電。血が滲んだガランの顔。それでも動じなかった彼の姿。


ニーナはぐったりして、ベッドに倒れ込んだ。


「死にたい...」


小さく呟く。


「嫌われた...もう終わりよ...」


涙が止まらない。枕に顔を埋めて、声を殺して泣く。


「私ってバカすぎ...性格クソすぎ...」


向こうの船にモニカやアティもいるのに。二人とも美人で、気立ても良くて、ガランにお似合いだ。それに比べて自分は...


「マジで私何してるの?今度こそ捨てられる...」


ベッドの上で身をよじる。


「ヤダヤダヤダ...」


子供のように泣きじゃくる。威厳など、どこにもなかった。


---


廊下では、セラフィナとレイが顔を見合わせていた。


「ガラン様効果すごすぎ...」


セラフィナが小声で呟く。ある種の感動を覚えていた。


ニーナが天才怪物であることに疑いはない。法力は規格外、頭脳も明晰、カリスマもある。おそらく急激な法力の成長によっていろいろな能力が解放されたのだとメルベルが言っていた。でも、ガランの前では、ただの十七歳の少女になってしまう。


実は、船に乗る前にガランから頼まれていた。


『ちょっと慰めてやってくれない?』


申し訳なさそうな顔で、頬に絆創膏を貼ったガランが言った。


『悪いな。俺からだと言えないこともあるからさ...』


セラフィナは深呼吸をして、ドアをノックした。


「ニーナ様、入ってもよろしいですか?」


返事はない。でも、泣き声が聞こえる。セラフィナは静かにドアを開けて、中に入った。


ニーナはベッドで丸くなっていた。髪は乱れ、顔は涙でぐしゃぐしゃだ。セラフィナは隣に座った。勇気を出して、優しい声で言う。


「ニーナ様、ガラン様はそんなことを思っておりません」


ニーナが顔を上げる。赤く腫れた目がセラフィナを見つめた。


「嘘よ...」


セラフィナは手を取った。小さくて、震えている手だった。


「全てニーナ様を思ってのことです。彼の方はニーナ様を深く愛しております」


「嘘よ...」


ニーナの声は掠れていた。


「きっと愛想尽かされたわ...自分でもわかるわ...」


顔を俯かせて、自嘲的に続ける。


「癇癪持ちの粗忽者じゃない...バカみたいなこといつもして...挙句いろんな人に怪我までさせて...」


セラフィナを見上げる。


「あなたも呆れてるでしょ?みんな呆れてる。当然よね」


その言葉に、自分自身で傷ついているのが分かる。また涙が溢れてきて、膝を抱えて丸くなってしまう。


---


セラフィナは内心で思った。うっわあ...今ならなんでも言うこと聞かせられそう...


でも、努めて冷静に言葉を選んだ。


「いいえ。ガラン様がこっそりと言っておられました」


「え?」


「『優しくて気の利く子だから』と」


ニーナの目が見開かれる。


「本当?」


「はい。そして『きっと立派な指導者になるから、自分も心を鬼にした』とおっしゃいました」


その言葉に、ニーナはメソメソし始めた。肩を震わせて、また涙が溢れる。


セラフィナは小さくうめいた。うぅ...こんなに泣かれると困る。でも続けなければ。


「私も、ニーナ様はアジョラ様を超える方になると思っております」


「本当に?」


「はい。今はガラン様を信じましょう。ガラン様は、ニーナ様の独り立ちを望んでおられるのです」


その言葉が地雷だった。


ニーナが泣きそうな顔で叫んだ。


「やっぱり愛想尽かされた!」


「え?いや、そうじゃなくて...」


「独り立ちしたくない!やだぁ...独り立ちやだぁ...」


ニーナはセラフィナの腕に縋って泣き始めた。まるで迷子の子供のように。


「あ、いやそういうことではなくて!」


セラフィナは慌てた。


「レディとしての独り立ちというか...一人前の女性としてというか...」


必死に説明する。


「私もお手伝いさせていただきます!次に会う時にガラン様を安心させてあげましょう!」


「本当?」


「はい!今は試練の時なのです!」


ニーナはグスグスと鼻を啜りながら頷いた。涙で濡れた顔が、少し希望を取り戻したように見える。


「さあ、まずはお顔を洗いましょう」


セラフィナは立ち上がった。


「会議室での定期報告会があります。全てを完璧にこなして、ガラン様の元に戻りましょう」


ニーナはトボトボと立ち上がった。足取りは重いが、少なくとも前を向いている。


「うん...頑張る」


小さな声でそう言って、洗面所へ向かった。


---


レイはその様子を廊下から見送っていた。セラフィナが戻ってくると、小声で話しかける。


「どうだった?」


「なんとか落ち着きました」


「マジ困ったことあったら旦那様に言った方が良さそうだな」


セラフィナは急に青ざめた。


「今思ったんだけど...」


「何?」


「これ、ガラン様が暗殺でもされたら、とんでもないことになるわよ」


レイも顔色を変えた。


「あ...」


得心がいったように頷く。


「あっちの方の護衛、いるな...」


「絶対必要ね」


二人は顔を見合わせた。ニーナの精神状態は、完全にガラン一人に依存している。もし彼に何かあったら、帝国そのものが崩壊しかねない。


---


夕方、会議室でニーナは報告を聞いていた。顔はまだ少し赤いが、なんとか女帝としての仕事をこなしている。


「東征大陸の暴動は?」


「鎮圧部隊が向かっています」


「法石の産出量は?」


「先月比で3%増です」


淡々と報告を聞き、指示を出す。でも、心ここにあらずなのは明らかだった。時々、窓の外を見て、雷牙号を探している。


「ニーナ様」


セラフィナが声をかける。


「もうすぐ夕食です」


「...食欲ない」


「でも、お召し上がりください。ガラン様が心配されます」


「...分かった」


その名前を出されると、素直に従う。まるで魔法の言葉のようだった。


食堂で、ニーナは黙々と食事を取る。味なんて分からない。ただ機械的に口に運ぶだけ。


「美味しいですか?」


レイが気を遣って聞く。


「...普通」


「雷牙号の食事の方が美味しいですか?」


「...うん」


小さな声で答える。そして、また窓の外を見る。


---


夜になって、ニーナは自室のベッドに横になっていた。天井を見つめながら、自分がかっとなってしてしまったことを考えてじたばたしていた。

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