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第百十話「女帝の追跡」




寄港地の市場は夕暮れの光に染まっていた。聖火祭のための食材を選びながら、ガランは背後に感じる二つの視線に内心で苦笑いを浮かべていた。


モニカとアティ、二人とも買い物についてきている。関係が終わって間もないのに、ちょっとまずいかな?いや、けど引きずってもしょうがない。そう思いながら、女性陣を労いつつ買い物を続ける。


「船長、この魚はどうです?」


モニカが新鮮な魚を手に取る。


「いいね。聖火祭の焼き魚にぴったりだ」


「じゃあ、私はこの野菜を」


アティも負けじと野菜を選び始める。


俺ってモテるなあ、と悪い気はしない。とはいえ、どうするか。二人同時はまずい。すぐに決めないといけないが、決めればどちらかの女性が船を降りそうだ。やっぱ俺ってクズなのかなあ、と思いつつ、食材を抱えて船へと戻る。


港に近づくと、どうも雷牙号の周りが慌ただしい。見慣れない光景に、ガランは眉をひそめた。船の隣には、どう見ても田舎の港には似つかわしくない新型の小型軍用戦闘艦が停泊している。流線型の船体、最新式の法石エンジン、どこからどう見ても帝国軍の最新鋭艦だ。


「何あれ?」


モニカが警戒心を露わにする。


「まさか...」


アティは嫌な予感に顔を青ざめさせた。


---


近づいていくと、見覚えのある顔が現れた。ブレイドの小隊だ。ディアスが立っていた。笑顔を浮かべているが、どこかぎこちない。顎のあたりに包帯が巻かれている。


「よう、ディアス」


ガランが声をかける。


「顎は大丈夫か?」


「まあ、良くはないです」


ディアスは苦笑いした。


「塩化爆弾の時の侵入者にやられましてね。おかげで裏方に回されました。これからは小隊長はセラフィナになりました」


「あー...」


ガランの脳裏に嫌な想像が浮かぶ。いやいや、まさか。


「まあ、想像の通りでして...」


ディアスは肩をすくめた。


「連絡無視でものすごくお怒りというか...怒りを通り越して、もう怖すぎて誰もこのことに文句も言えないんですよ」


「マジかよ」


「四大家の会議でも暴れ回って、今や誰も逆らえません。まあ、一理ある話でしたから、もうそのまま見送りにね...」


ディアスは続けた。


「アジョラ様の隠れ家はまだありますからね。任務の続行を押されまして。そういうわけで、中でお待ちなので」


「中って...まさか」


---


三人は恐る恐る船内に入った。そこには、かつて船に乗っていたブレイドの面々、レイ、セラフィナたち、そして...


白い軍服を着た女性が立っていた。


金髪が夕日に輝き、赤い瞳が真っ直ぐにガランを見つめている。ニーナだった。彼女はガランを見ると、額に青筋を立てて、満面の笑顔で歩み寄ってきた。その笑顔が怖い。とてつもなく怖い。


「わー...」


ガランは思わず呟いた。


ここまでするか?暇な身分では絶対ないはず。まさか国のトップがこんな田舎まで船の航行情報を調べて追跡してくるとは、予想の斜め上すぎる。


「連絡するって言ったわよね?」


ニーナは笑顔のまま、ガランの胸ぐらを掴み上げた。身動きできない怪力。小さな体のどこにこんな力があるのか。


「お、お前、ここで何してる?仕事は?」


「質問してるのはこっちよ」


ニーナの瞳が爛々と輝く。


「連絡を何回入れたと思う?215回。無視したわね?」


215回。数えていたのか。ガランは冷や汗が流れるのを感じた。


「落ち着け」


ガランは必死に説得を試みる。


「無理な話だったんだ。夫婦生活なんて無理に決まってる。ソフトに終わらせようと思ったんだよ。確かに褒められたことじゃねえけど!俺なんか釣り合わねえよ!」


ニーナの体から紫電が走った。法力が暴走しかけている。


「あははは!」


彼女は高らかに笑った。


「どこの誰が釣り合うって?会議聞いたでしょ?あなたの仕掛けた盗聴器」


ガランは息を呑んだ。バレていた。


「全員バカばっか。死ぬほど退屈だったわ」


ニーナは続ける。


「釣り合うかどうかは私が決めるわ。あんだけ夜に嬲りものにして逃げようなんて、死にたいわけ?」


ブレイドの面々は疲れ果てた顔で遠くを見ていた。もうなんでも好きにしてください、という諦めの境地に達している。船員たちも同様に、聞かなかったことにしようと必死だった。


「そ、それは悪いと思ってるけど...」


ガランが弁解しようとする。


「悪い?私の体?何が悪い?」


「いや、そういう意味じゃ...」


レイは窓の外を見た。夕日綺麗だなあ、現実逃避したい。セラフィナは青い顔をしていた。これからこの人の世話をこの狭い船か、あの軍用の船でつきっきりで見るのか?絶対に殺される。


---


ニーナは視線をアティとモニカに向けた。にっこりと笑う。その笑顔が恐ろしく冷たい。


「いい化粧ね、先輩方。香水もいい匂いね」


「やっばぁ...」


二人は同時に呟いた。絶対に殺される。


ニーナは急に真面目な表情になった。


「母の残した隠れ家、最大級のものがまだ残っています。バンカーを開けられる人間は限られています。そこに塩化爆弾の基本理論の情報が残されている。敵との遭遇も予想されます」


彼女は堂々と宣言した。


「これは卑劣なテロを封じ、帝国を守るための最も重要な作戦です」


「よく言うよ...」


レイがボソリと呟いた瞬間、ニーナから手を向けられて、慌てて土下座した。


「申し訳ありません!」


「私は船に乗り込むので、護衛艦にはブレイドと機材が積まれています。これは最重要任務です。荷物はここで全て下ろしなさい」


ジャックが呟いた。


「ニーナ様こっち乗る必要ねえんじゃ...」


法力の放電がピシッと足元に当たった。


「いってえええええ!?」


ジャックが飛び上がる。


「じゃあ早速乗り込みましょう」


ニーナは優雅に振り返った。


「モニカ、アティ、ちょっとこっちに来て」


手招きされた女たちはガックリと項垂れて、トボトボとついていく。まるで処刑台に向かう囚人のようだ。


---


男の船員たちは、ある意味安堵していた。


「ヒモ船長、荷物下ろす書類にサインしてください!」


トムが爆笑しながら言う。


「船長、きっと近いうちに刺されて死にますね」


ジャックも笑う。


「過ぎたるはなお及ばざるが如しって言うか、俺そこまでモテなくてもいいのかなって、なんか希望湧きました」


「バカがよ」


ガランは舌打ちしながら書類にサインする。


その時、船から叫び声が響いた。


「ガラン!早く来て!」


ニーナの声だった。命令口調。逆らえない威圧感。


ガランは慌てて走っていく。レイは船員たちに気軽に手を振った。


「じゃあまたよろしくー」


「お前らも大変だな」


トムが同情的に言う。


「慣れました」


レイは遠い目をした。


「生きてるだけで儲けものです」


セラフィナは逃げようとした。


「じゃあ私はあっちの船で...」


「隊長、あなたはこっち!」


レイがニヤニヤ笑いながら引き止める。


「お世話係!なんのために女性が選ばれたと思ってるんですか?」


「最悪...」


セラフィナはため息をついて、雷牙号に入っていく。


---


船内では既にニーナが指揮を執っていた。


「出発準備!目的地は北東の山岳地帯!」


「了解です、女帝陛下」


ディアスが敬礼する。


ガランは操縦席に座りながら呟いた。


「なんで俺の人生、いつもこうなんだ...」


隣でニーナがにこりと笑った。


「逃げたら殺すわよ」


「...了解」


雷牙号のエンジンが唸りを上げる。聖火祭の飾り付けが風に揺れる中、船は夕闇の空へと上昇していく。


モニカとアティは船の隅で身を寄せ合っていた。


「私たち、生きて帰れるかな...」


「分からない...」


レイとセラフィナも諦めの表情で計器を確認している。


「これが俺たちの運命か」


「もう何も考えたくない」


---


ガランは操縦桿を握りながら、深いため息をついた。結局、逃げることはできなかった。女帝の執念恐るべし。でも、どこか安堵している自分もいる。彼女がまだ自分のことを...


「何考えてるの?」


ニーナが覗き込んでくる。


「いや、何も」


「嘘つき」


彼女は笑った。その笑顔は、葡萄畑で見せていたものと同じだった。一瞬、時が巻き戻ったような錯覚を覚える。


「今度逃げたら、本当に殺すから」


「分かったよ」


雷牙号は闇に包まれた空を進んでいく。目的地は、アジョラの最後の隠れ家。

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