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第百五話「六百年の酒場」



ガランは与えられた部屋のソファに寝転がりながら、ブレイド隊員の制服に仕込んだ小型盗聴器から流れてくる音声に耳を傾けていた。最初はニーナがいじめられているという話を真に受けて、どの野郎が彼女を苦しめているのか突き止めてやろうと思っていたのだが、会議室から聞こえてくる内容は想像とは真逆のものだった。


「東征大陸の法石産出量が30%減?ふざけているのか。帳簿を今すぐ持って来い。横領の匂いがプンプンする」


ニーナの冷たい声が響く。続いて誰かが慌てて弁解する声、そして鈍い音と悲鳴。机が砕ける音。誰かが泣き出す気配。


「次に嘘をついたら、腕の一本じゃ済まないわよ」


ガランは呆れたような笑みを浮かべて通信機を置いた。


「どんな17歳だよ」


独り言を呟く。


「あほくせー」


立ち上がって伸びをする。天井の高い豪華な部屋。壁には金箔の装飾、床には分厚い絨毯。まるで鳥籠だ。いや、違う。犬小屋だ。飼い主に可愛がられる愛玩犬の小屋。


「なるほどこりゃ普通じゃねえや」


ワイン農家の倅にはあらゆる面で似合わない女性だ。馬鹿馬鹿しい。


部屋を見回す。警備兵はいるが、別に閉じ込められているわけではない。「しばらくいてくれ」と言われただけだ。ガランは上着を羽織ると、堂々と扉を開けて廊下に出た。


警備兵が慌てて声をかけてくる。


「ガラン様、どちらへ?」


「街に出て酒でも飲んでくる。息が詰まるんだよ、ここは」


「しかし、ニーナ様の許可が...」


「俺は囚人じゃねえだろ?それとも何か、俺を監禁してるってわけか?」


警備兵は困った顔をしたが、確かに拘束命令は出ていない。


「...お気をつけて」


ガランは片手を上げて答えると、皇居を後にした。


夕暮れの街は活気に満ちていた。新女帝誕生の報道で人々は興奮と不安の入り混じった表情を見せている。街角の大型映像投影機にはニーナの姿が映し出されていた。白い軍服に身を包み、冷たい表情で何かを宣言している。


「これじゃあ冗談抜きでヒモ男だ」


ガランは苦笑いを浮かべる。


「ペットだよペット」


彼にもプライドがある。そこまで身を落とすつもりはない。両親には悪いが、事実を告げるしかないだろう。息子が連れてきた嫁が実は新女帝で、自分はその愛人扱いだと。我ながら女性に手を出した直後、新婚旅行の後の行動としては最低だが、仕方がない。


路地裏の小さな酒場を見つけて入る。カウンターに座ると、店主が顔を上げた。五十代くらいの男で、人の良さそうな笑顔を向けてくる。


「見ない顔だね、兄さん」


「あぁ俺?今仕事なくてよ。ヒモしてるのヒモ。これでなんか飲ませろよ」


ガランは渡されていた金を無造作にカウンターに置く。店主は笑って酒瓶を取り出した。


「そりゃいい身分だ。確かにあんた、なんかあの...なんだっけ俳優に似てるな。えーっと...ほら、あの時代劇に出てた...」


「さあね、よく言われるけど」


ガランは適当に相槌を打ちながら、注がれた酒を一気に煽る。アルコールが喉を焼いて胃に落ちていく感覚が心地いい。


店の隅にあるテレビの映像に目を向けると、またニーナについての報道だった。『新女帝ニーナ・ボム、四大家会議で圧倒的な力を見せつける』という見出しが流れている。


店主も画面を見ながら口笛を吹いた。


「すっげえ美人だな。まだ十七歳だって?信じられねえ」


「あぁ、あんな女いたら何でも言うこと聞いちゃいそう」


ガランは自嘲的に笑う。


「どうせヒモになるならああいうののヒモにでもなりてえんじゃねえの?」


店主が下世話な笑みを浮かべる。


「そうかも」


ガランは酒を飲み干す。


「けどヒモも楽じゃねえのよ。なんか自尊心っつーか...ペットだもんな実質。餌もらって、撫でられて、『いい子ね』って言われて。それで満足できる男もいるんだろうけどさ」


「あんたヒモ向いてないんじゃない?」


店主が新しい酒を注ぎながら言う。


「まあね。だから抜け出してきた。田舎帰って畑耕すつもりでさあ。葡萄でも摘んで、ワイン作って、地道に生きていくよ」


「それがいいかもな。人間、身の丈ってもんがあるからな」


二人は他愛もない話を続けた。店主の息子の話、最近の物価の話、東征大陸の暴動の話。ガランは適度に相槌を打ちながら、久しぶりに普通の人間との会話を楽しんだ。皇居での息苦しい空気から解放されて、ようやく人心地がついた気がする。


しばらくすると、隣に誰かが座った。女性の気配。酒に酔った頭で横顔を見ると、どこかで見たような顔だった。金髪に碧い瞳。白い肌。美しい横顔。いや待てよ、こいつどこかで...


記憶が蘇る。塩化爆弾の騒ぎで皇居に入った時、ブレイド副隊長を一撃で倒したルカヴィ。ニイナ・ボムと名乗った女。とはいえ今は肌色も普通で、ただの美人の客に見える。


「よぉ〜、お嬢さん。お久しぶりー」


ガランは陽気に声をかける。


ニイナも彼を認識して隣に座ったようだった。かすかに微笑む。


「なあ、もう一杯。このお嬢さんに」


ガランは店主に声をかける。


「新たな出会いに」


店主が笑顔で酒を注ぐ。


「どうしたのこんなところで?」


ガランは酔った顔で尋ねる。


「ここの常連よ」


ニイナは注がれた酒を優雅に口に運ぶ。


店主が頷く。確かに見覚えがあるような素振りだ。


「いつ頃から?」


ニイナは店主が奥に引っ込んでいくのを見計らってから、悪戯っぽく微笑んだ。


「六百年くらいかしらね」


「は?」


「この店、父に最初に連れてこられてね。すごい老舗なのよ。もちろん店主は何代も代替わりしてるけど」


ガランは眉を上げた。


「へー、なんかそんな感じにゃ見えないけど。せいぜい五十年くらいの店構えだろ」


「建物は何度も建て替えてるわ。でも場所は変わらない。この路地裏の、この場所」


ニイナは天井を見上げる。


「昔はもっと天井が低かったわね」


「ふーん」


ガランは軽く合わせた。相手がルカヴィだと知っている以上、六百年という数字も冗談では済まないかもしれない。だが今は深く考えたくなかった。


「なんか普通ね」


ニイナが彼を見る。


「私が何者か知ってるはずなのに」


「ほら、あんたあの時爆弾を移動させようとしてたんだろ?皇居から運び出そうとしてた。結果的に被害を防ごうとしてたわけだ。だからワルじゃないだろ、少なくともあの瞬間は。それに今は酒飲みに来た客じゃねえか。俺も客、あんたも客。それでいいだろ」


ニイナは小さく笑った。


「あなたを見かけてね。あなた本当に父に似てるから。こうしてると昔を思い出すわ」


「へー...」


ガランは自分の顔を撫でる。


「そんなに似てるか?」


「剣術が上手いのも似てる。鉄嵐流でしょう?懐かしいわ」


ニイナは遠い目をする。


「そういえば」


ガランは思い出したように言う。


「俺がやっちまったリリスって女、あれも身内?」


ニイナの表情が一瞬冷たくなった。


「あぁあれ?全然違うわ。ただの手駒よ。使えない手駒だったけど。迷惑かけたわね」


「使えない手駒...」


ガランは苦笑いを浮かべる。


「やっぱワルかも」


「そうね」


ニイナも笑う。


「私は間違いなくワルよ」


ガランは杯を高く掲げた。


「じゃあ乾杯しようぜ。哀れな飼い犬に!哀れなヒモに!そして使えない手駒に!」


一気に酒を煽る。ニイナも笑いながら杯を空けた。


「だからちょっと忠告しに来たの」


ニイナの表情が真剣になる。


「何?」


「今すぐってわけじゃないけど、あなたあの女から離れた方がいいわ」


ニイナの表情が真剣になる。


「まあ話せば長いんだけど...私はあの子の先祖よ。だから言える立場でしょ?」


「先祖?」


「現在の領土拡張は破綻する。近い将来、帝国はあの爆弾で終わる」


ニイナの瞳が一瞬、虚ろになる。


「私には見えるの。夢の中で、未来が。この能力で帝国を拡大してきたけれど、今見えているのは崩壊の景色ばかり」


ガランは酒を一口飲む。


「あ、そう...」


ぼんやりと聞き流す。だが奇妙なことに、彼女の言葉を聞いた瞬間、脳裏に一瞬だけ映像が浮かんだ。燃え盛る都市、塩と化した大地、崩れ落ちる皇居。まるで悪夢のような光景。すぐに掻き消えたが、妙にリアルな感覚が残る。


「聞いてる?」


「心配しなさんな」


ガランは苦笑いを浮かべる。


「言われなくてもそうしようと思ってたとこだよ。俺このままじゃヒモだしよ...そこまで馬鹿げたことしたくねえんだ。親にも合わせる顔がねえ」


ニイナは彼をじっと見つめた。


「なんなのかしらね、私たち。その顔に弱いんでしょうね」


「私たち?」


ガランが不思議そうに聞き返す。


「六百年って言ったでしょ?」


ニイナは自分とガランを交互に指差す。


「私、血の繋がりがあるのよ。あなたともあの子とも。遠い遠い血縁だけど」


「六百年も経ったら大抵はそうなんじゃねえか?」


ガランは肩をすくめる。


「この国の人間の半分くらいは、どこかで血が繋がってるだろ」


「それが案外そうでもないのよね」


ニイナは意味深に微笑む。


「特定の血筋は、特定の血筋に惹かれる。そして特定の能力も、血を通じて受け継がれる。予知夢もその一つ。あなたにも少し、その片鱗があるはずよ」


ガランは眉をひそめた。確かに時々、妙に鮮明な夢を見ることがある。そして不思議なことに、その夢の通りになることが稀にあった。船の仕事で危険を回避できたのも、そんな直感のおかげだったかもしれない。


立ち上がりながら、ニイナは最後に言った。


「私の名はニイナ・ボム。初代女帝よ。今はエクリスの琴って組織の長よ…。また会いましょうね、ガラン・ベル」


「おぉ...じゃあまたなあ」


ガランは軽く手を上げる。


ニイナが店を出て行った後、ガランはしばらく考え込んだ。そういえば歴史の授業で習った。初代女帝もニイナ・ボムって名前だったな。まさか本人なわけ...


「いやいや」


首を振って酒を飲み直す。


「考えすぎだ。似た名前のルカヴィが昔話に託けて警告しに来ただけだろ」


だが心の奥で、それが真実かもしれないという予感があった。六百年前の女帝が、なぜ今も生きている?なぜニーナと血が繋がっている?なぜ俺に警告を?


「店主、もう一本」


ガランは空になった杯を差し出す。


「今夜は飲むぞ」

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