第百二話「哀れな男の嘆き」
軍用船の一室で、三人がテーブルを囲んでいた。
カードが配られ、チップ代わりの豆が積まれている。部屋には酒瓶が何本も転がり、すでに相当な量を消費したことが見て取れた。
「いやあ、お強いですねぇ」
レイが苦笑しながらカードを集め、配り直す。
「俺、もう三連敗ですよ」
「運が良いだけだ」
ガランが酒瓶を傾けながら答える。顔は赤く、目は虚ろだった。
「まじでさあ……」
深いため息をつく。
「俺は、いい笑いもんだぜ」
「何がです?」
セラフィナが尋ねる。彼女も頬が赤く、普段の堅さが抜けていた。
「家でさ、息子が嫁見つけて帰ってきたって、親父もお袋も大喜びでよ」
ガランが自嘲的に笑う。
「近所全員呼んで、挨拶までしたんだぜ。『これからよろしく』ってニーナが頭下げて、みんな拍手して」
酒を煽る。
「その一週間後に嫁が消えたなんて、どう説明すりゃいいんだ……」
頭を抱えて項垂れる。
「そこ?」
セラフィナが呆れたように言う。
「もっと重要なことがあるでしょう。新女帝と関係があったという事実の方が——」
「じゃあ何か?」
ガランが顔を上げる。
「女帝様のヒモか、俺は?」
グラスを乱暴に置く。
「こうなったら、もうニーナの……いや、ニーナ様か? その顔写真が帝国中に配られるんだろ?」
「ええ、明日には全土に」
レイが頷く。
「近所にどう言われるか……」
ガランが頭を振る。
「『あら、ガラン君の嫁って女帝様だったのね』『道理で急にいなくなったと思ったわ』『結局、若い女帝様の情夫扱いされるに違いねえ』」
声真似をしながら続ける。
「『都で囲われてるんでしょ?』『いいご身分ね』『親は恥ずかしくないのかしら』」
「考えすぎでは?」
セラフィナが慰めるように言う。
「田舎の情報なんて知れてるし……たまにニーナ様が顔を見せれば、そこまで怪しまれないで済むかも」
「元々輸送業なんですから、仕事で都に来てるって言えば——」
「第一よぉ」
ガランが遮る。
「こんなお偉いさんの詰めてる帝都のど真ん中なら、すげえ男が放っておかねえだろ」
テーブルに突っ伏す。
「俺の立場なんてねえよ……どうせ四大家の若い男に持ってかれちまうんだ」
「それは……」
レイが言いよどむ。
「お前らも言ってたろ」
ガランが恨めしそうに二人を見る。
「『ニーナを妻にするのは諦めろ』ってさあ……そりゃそうだよなあ……」
また酒を飲む。
「なんだよ新女帝って……前もって言えよ……」
ガランの声が震える。
「ミラクルにも程があるだろ……なんでそんなのが俺の船に転がり込むんだ……」
「運命ですかね」
レイが苦笑する。
「いや、もしかしたら」
ガランが顔を青ざめさせる。
「お手つきした俺を、その将来の夫が殺しに来るかも……」
「そんな物騒な」
「いや、あり得る!」
ガランが立ち上がる。
「『庶民の分際で女帝様に手を出しやがって』とか言われて、闇討ちされるんだ!」
よろめきながら、レイの腰の短剣を指さす。
「もう俺はおしまいだよ……もうその軍用短剣で一思いに殺してくれ……」
「やめてくださいよ」
レイが慌てて短剣を隠す。
ガランは手に持っていたカードをぶちまけて、机に突っ伏した。
机の上には、説明用の資料が散らばっている。アジョラ女帝の日記、血縁関係の検査書類のコピー、家系図。ガランも一通り目を通し、事情を理解しているようだった。
「こんなことなら……」
ガランが呟く。
「もっと前に、モニカあたりを家に連れ込んどけば良かったんだ……」
「モニカさん?」
「ああ、うちの船のメカニックだ」
ガランが説明する。
「それで何も起こらずに、俺は女帝様のお抱え商人ってことで、万事丸く収まったってのに……」
急に怒りが込み上げてきたのか、二人を睨む。
「なあ、お前ら」
「は、はい?」
「ブレイドのお前らが、ちゃんと小さいニーナを守っとけば」
ガランが責めるように言う。
「俺も、こんな不意打ちの、身分違い甚だしい結婚未遂なんてしなくて済んだんだ……」
「それは、その……」
セラフィナが申し訳なさそうに俯く。
「このまま家に戻ったら」
ガランが鼻をすする。
「『新婚旅行で俺がしくじって離婚させられたバカ男』認定される……」
「ぷっ」
レイが吹き出した。
「あはははは!」
「なっ、何がおかしい!」
「いや、だって」
レイが机を叩きながら笑う。
「昨今聞く、新婚旅行離婚ってやつですか!」
「レイ!」
セラフィナも注意しようとしたが、彼女も笑いが止まらない。
「確かに……ふふっ……新婚旅行で嫁が女帝になったなんて……ぷっ」
「笑い事じゃねえよ!」
ガランが怒るが、酔いも手伝って、自分も苦笑してしまう。
「くそ……確かに笑えるな……」
三人とも酒が入って、すっかり船員たちと似たような雰囲気になっていた。
その時、扉がノックされた。
「失礼します」
兵士が入ってきて敬礼する。
「ニーナ様がガラン船長をお呼びです」
場の空気が一瞬で凍りついた。
「え?」
ガランが酔いが醒めたような顔をする。
「じゃあ、その人が呼んでるらしいですよ」
セラフィナが立ち上がる。
「別れ話?」
レイが無神経に言う。
「うっ……」
ガランが頭を抱える。
「いや、もうそっちの方が清々するかも……」
鼻水を啜りながら呟く。
「はっきり言われた方が……」
パシッ。
セラフィナがレイの頭を叩いた。
「馬鹿なこと言わないの」
そして、ガランに向き直る。
「船長」
真剣な表情になる。
「個人的には、本当に申し訳ないと思ってます」
「セラフィナ……」
「ご両親は、きっと理解してくれますよ」
慰めるように続ける。
「こんな事情なら、仕方ないって……」
「ご近所は……」
言いかけて、言葉に詰まる。
「まあ……その……」
「だろうな」
ガランが苦笑して、残っていた酒を一気飲みする。
「うぅ……」
項垂れながらも、よろよろと立ち上がる。
「ほら! ブレイド諸君!」
大げさに両手を広げる。
「哀れな召使いを、女帝様の元へ連れて行ってくれ!」
顔を真っ赤にしながら、自嘲的に笑う。
「庶民の分際で、恐れ多くも女帝様のお召しだ!」
「船長……」
レイが同情的な視線を向ける。
「行きましょう」
セラフィナがガランの腕を取る。
「大丈夫ですよ、きっと」
「何が大丈夫なもんか」
ガランがふらつきながら歩き出す。
「俺の人生、終わったよ……」
廊下を歩きながら、ガランは呟き続けた。
「親父に何て言えばいいんだ……『息子の嫁は女帝様でした』って? 笑い話にもならねえ……」
レイとセラフィナは、黙って彼を支えながら歩いた。
二人とも、この哀れな男に同情していた。
ただ恋に落ちただけなのに、相手が悪すぎた。
運命の皮肉に翻弄される男の背中は、どこか哀愁を漂わせていた。




