第百一話「仮面の下で」
メルベルは執務室に戻るや否や、広報部を召集した。
「緊急発表だ。すぐに帝国全土に配信しろ」
広報官が慌ててペンを取る。
「内容は?」
「新女帝の御出現だ」
メルベルが堂々と告げる。
「亡きアジョラ様のご息女、ニーナ・ボム様が、帝国の混乱を憂いて名乗りを上げられた」
「ご息女ですって!?」
広報官たちが驚愕する。
「安全のため、密かに教育を受けておられたのだ」
メルベルは嘘を織り交ぜながら続ける。
「先の塩化爆弾テロ事件でも、陰ながら活躍されていた。民を守るため、ついに表舞台に立つ決意をされたのだ」
「なんと……」
「写真は? 肖像画は?」
「すぐに手配する」
メルベルが頷く。
「美しい方だ。金髪に赤い瞳、まさに神々しいお姿だ。民衆は熱狂するだろう」
執務室を出て、家族の待つ控え室へ向かう。
「父上!」
メルベルは興奮を隠せずに、エンキドゥの手を握った。
「最高の滑り出しです!」
「ああ、あの力は凄まじかった」
エンキドゥも震え声で応じる。恐怖と興奮が入り混じった複雑な表情だった。
「力と恐怖! 圧倒的な支配! そして美しさ! 完璧な血統!」
メルベルが拳を握りしめる。
「これだ、これこそが新帝国の目指す場所だ!」
ラムザも静かに頷いた。
「姉上には……」
少年は言葉を選びながら続ける。
「亡き母上の面影を感じます」
「そうか」
メルベルがラムザの頭を優しく撫でる。
「よし、そうだ、ラムザ。ニーナ様によくお仕えしろ」
「はい」
「ニーナ様はお前のことを気に入っているようだ。まだ宮廷のことで不慣れなことも多いだろうから、しっかりとお前から知っていることを教えて差し上げるんだぞ」
「分かりました、兄上」
ラムザが真剣な表情で頷く。
「姉上のため、帝国のために、僕は全力を尽くします」
「写真を公開したら、民衆は飛びつくぞ!」
エンキドゥが興奮気味に言う。
「あの美貌、あの威厳! まさに女神の再来だ!」
「即位式も急がねば」
「そうだな、混乱が収まらないうちに——」
家族三人が、熱心に計画を練り始める。
メルベルは内心で歓喜していた。
(今まで、あの四大家の横暴にはうんざりしていた)
母アジョラが亡くなってから、実質的に軍事行動も外交も、全て一人で背負わされていた。誰も責任を取ろうとせず、失敗すれば全てメルベルのせいにされる。
(だが、ニーナがいれば——)
あの化け物じみた力があれば、四大家を完全に制御できる。もう、あの連中の顔色を窺う必要はない。
(父上との確執も、もう過去のことだ)
今は同じ目標に向かって進める。それが何より嬉しかった。
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一方、与えられた自室に入ったニーナは、呆然と立ち尽くしていた。
部屋の豪華さは、想像を絶していた。
天井には金箔の装飾、壁には名画の数々、床には最高級の絨毯。調度品の一つ一つが、おそらく一般市民の年収を軽く超える値段だろう。
「ニーナ様、お着替えを——」
侍女が四人、恭しく控えている。
「……いい」
ニーナは力なく手を振った。
「外に出てて。用があれば呼ぶから」
「しかし——」
「出て」
冷たい声に、侍女たちは顔を見合わせた。しかし、アジョラ様も時々こうだったことを思い出す。
「畏まりました」
静かに退室していく。
一人になったニーナは、上着を乱暴に脱ぎ捨てた。ブーツも放り投げ、ソファーにどかっと身を投げ出す。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
テーブルの上に、高級そうな酒瓶が置かれていた。おそらく何十年物のワインだろう。
「どうせ飲んでも分からないわよ」
栓を抜き、グラスも使わずにラッパ飲みする。
アルコールが喉を焼く。でも、心の痛みは消えない。
「あのクソばばあ……」
イナンナの嘲笑が、頭から離れない。
「下々の農家の長男? ふざけんな!」
思い出すだけで、怒りが込み上げてくる。
「そうよ、幸せなお嫁さんになりたいわよ!」
酒瓶を握りしめる。
「何が悪いのよ! 普通の女の子みたいに、好きな人と結婚して、子供産んで——」
感情が爆発した。
「夜も可愛がられたことなさそうな、枯れたババアが!」
ガシャン!
手近にあった花瓶を叩き落とす。おそらく歴史的価値のある陶磁器が、粉々に砕け散った。
「クソ! クソ! クソ!」
次々と物を投げつける。何百年物の壺、純金の置物、象牙の彫刻。全てが怒りの犠牲になっていく。
「なんで私が! なんでこんな目に!」
テーブルをひっくり返す。ガラスの天板が派手に割れ、破片が飛び散る。
「ガラン! ガランはどこ!?」
椅子を壁に投げつける。壁紙が破れ、漆喰が剥がれ落ちた。
扉の外では、侍女たちが顔を見合わせていた。
「アジョラ様にそっくりね……」
年配の侍女が渋い顔で呟く。
「アジョラ様も、最後まで癇癪の連続だったわ」
「ええ、優しい時は天使のようで、怒る時は嵐のように……」
別の侍女が震え声で続ける。
「無礼を働いた者は、死ぬか大怪我をするか……私の同僚も、アジョラ様の機嫌を損ねて片腕を折られたことが」
「血は争えませんね」
「でも、仕方ないわ。これが女帝というもの」
部屋の中から、また何かが割れる音がした。今度は窓ガラスのようだ。
突然、ニーナの絶叫が響き渡った。
「ガランを呼んで! 今すぐに!」
ガシャン!ガシャン!バリン!
次々と物が壊れる音。まるで室内で嵐が吹き荒れているかのようだ。
「すぐに連れてこい! 何してるの! 聞こえてないの!?」
「今すぐよ! 今! この瞬間に!」
ドアが激しく叩かれる。
「入りなさい! 何をボサッと立ってるの!」
侍女たちは顔を青ざめさせて、恐る恐る部屋に入った。
「に、ニーナ様!」
部屋の中は戦場そのものだった。
割れた花瓶、砕けた壺、ひっくり返った家具、引き裂かれたカーテン、壁に突き刺さった銀食器。床一面に破片が散らばり、高級な絨毯は酒で汚れている。
その中央で、ニーナが鬼のような形相で立っていた。髪は乱れ、目は血走り、手には割れたワインボトルの首を握っている。
「ガランはどこ!?」
「あの、それは……」
「今すぐ連れてきなさい!」
壁に向かってワインボトルを投げつける。赤いワインが、まるで血のように壁を伝い落ちた。
「一分以内に! 一秒でも遅れたら——」
法力が微かに漏れ出し、室内の空気が震える。
「は、はい! すぐに手配いたします!」
侍女の一人が震え声で答える。
「でも、ガラン様は別の船に——」
「だから何!?」
ニーナが叫ぶ。
「連れてくればいいでしょう! 飛ばせばすぐじゃない!」
「そ、それはメルベル様の許可が——」
バキッ!
ニーナの法力が暴発し、近くの柱にひびが入った。
「メルベルなんて関係ない! 私が女帝よ! 私の命令が全て!」
侍女たちは這うようにして部屋から逃げ出した。
「す、すぐにメルベル様にお伝えします!」
ニーナは荒い息をつきながら、破壊し尽くした部屋を見回した。
(ガラン……会いたい……)
怒りの奥底に、切ない思いが渦巻いている。
(なんで、こんなことに……)
窓の外では、帝都の夜景が輝いている。
百万の灯りが瞬く、世界最大の都市。
その全てを支配する立場に、17歳の少女は立たされていた。
「ガラン……」
呟きながら、また新しい物を探して投げつける。
高級ワインの空瓶が、いくつも床に転がっていた。




