第8話 成果ゼロ、それでも生還
冒険者ギルドの朝は、独特の匂いがする。
汗と酒と、鉄。
そして、わずかな血の気配。
アルトは掲示板の前に立ち、次の依頼書を眺めていた。
派手な文字の討伐依頼は、最初から視界に入らない。
「……これ」
【旧坑道・崩落状況確認】
危険度:低
報酬:銅貨
昨日と、ほとんど同じ。
誰も受けない類の依頼だ。
「またソロか?」
背後から、低い声がした。
振り返ると、昨日ギルドで見かけた年配の冒険者が立っていた。
顔に刻まれた傷が多い。
「はい」
「……記録者だろ?」
「そうです」
男は、アルトをじっと見つめたあと、鼻で笑った。
「度胸があるのか、何も考えてないのか……」
どちらでもいい、という顔だった。
「生きて帰ってきたのは事実だ。だがな」
男は、掲示板を指で叩く。
「成果がない。
それじゃ、冒険者とは言えねぇ」
「……そうですね」
アルトは否定しなかった。
討伐も、素材もない。
金にも、名声にもならない。
それが事実だ。
旧坑道は、遺跡よりも生々しかった。
木製の支柱。
剥き出しの岩肌。
ところどころに残る、古い血痕。
「……ここ、危ない」
アルトは、足を止めた。
空気が、動かない。
音が吸われる。
ノートを開く。
《坑道型:崩落連鎖あり》
《支柱:腐食進行》
支柱に触れず、壁沿いに進む。
歩幅を狭くし、振動を抑える。
――戦闘はない。
だが、油断すれば即死だ。
途中、奥から小さな音が聞こえた。
「……」
耳を澄ます。
――多足。
――擦る音。
――天井。
巨大なものではない。
だが、狭所では厄介だ。
アルトは進路を変え、あらかじめ書き留めた退路へ戻る。
その直後。
――ガラッ。
背後で、支柱が崩れた。
土砂が落ち、通路が塞がれる。
「……」
もし、数歩遅れていたら。
そう考えて、喉が鳴った。
だが、立ち止まらない。
記録通り。
予測通り。
アルトは、崩落の様子をノートに追記した。
帰還時、ギルドの空気が少しだけ違っていた。
「あれ? また帰ってきたのか」
「昨日もいなかったか、あいつ」
「……記録者だよな?」
囁きが、確実に増えている。
受付の女性が、今回も報告書を受け取った。
「……今回も、討伐なしですね」
「はい」
「……でも」
彼女は、坑道の図を見つめる。
「崩落位置、正確ですね。
これ、明日以降の依頼、全部止められます」
「……そうですか」
アルトは、それ以上何も言わなかった。
報酬は、やはり銅貨だけだ。
だが、背後で聞こえた声が、少し変わっていた。
「成果はゼロだが……」
「いや、違う」
「“死んでない”」
誰かが、そう言った。
「生きて帰るだけでも、難しいぞ」
アルトは、その言葉を背中で聞きながら、ギルドを出た。
夕方、宿の一室。
アルトはノートを広げていた。
今日の坑道。
支柱の腐食。
崩落の連鎖。
そして、無意識のうちに書いていた一文。
《回避成功率:100%》
「……?」
眉をひそめる。
いつの間に、こんな書き方をしたのか。
ページをめくる。
《再現条件:環境一致》
《生存行動:最適》
「……」
アルトは、ノートを閉じた。
少し、怖くなった。
自分がやっていることが、
ただの“用心深さ”ではない気がしてきたからだ。
それでも。
「……考えるのは、後でいい」
今は、生きる。
それだけで十分だ。
窓の外では、日が沈みかけていた。
ギルドの奥、誰にも見えない場所で、
一枚の紙が、新しく保管棚に入れられる。
《記録者:アルト・レイン》
《討伐実績なし》
《生還率:異常》
成果ゼロ。
だが――
最弱職は、確実に“異常値”になり始めていた。
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