第7話 最弱職、ソロで生き残る
冒険者ギルドの掲示板は、今日も騒がしかった。
討伐依頼。護衛依頼。
派手な報酬と危険度の文字が並ぶ中、その下――
ほとんど誰も見向きもしない紙切れが貼られている。
【遺跡外縁部・簡易調査】
危険度:低
報酬:銅貨数枚
「……これでいい」
アルトは、その依頼書を剥がした。
周囲の視線が、刺さる。
「え? あれ受けるの?」
「ソロで?」
「……記録者だよな?」
小声の囁き。
だが、誰も止めはしない。
止める価値もない、という空気だった。
受付の女性が、ちらりと依頼書を見て眉をひそめる。
「調査依頼ですけど……戦闘は想定していません。ただし、遺跡です」
「大丈夫です」
「……ソロですよ?」
「はい」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
命の扱いに、慣れている顔だった。
遺跡外縁部は、森の奥にひっそりと口を開けていた。
石造りの入口。
中は崩れかけ、魔物が住み着くほどではない――はずの場所。
「……静かすぎる」
アルトは、立ち止まった。
風の音。
鳥の声。
入口付近だけ、不自然に音が反響しない。
ノートを開き、過去の記録を確認する。
《遺跡型:空洞多》
《入口付近:落とし穴率高》
アルトは、足元の石を小枝で突いた。
――崩れる。
石が沈み、下から乾いた音が返る。
「……やっぱり」
一歩下がり、壁沿いに迂回する。
それだけで、最初の罠は回避できた。
戦っていない。
魔法も使っていない。
ただ、記録通りに動いただけだ。
遺跡の中は、薄暗い。
奥に進むにつれ、空気がわずかに冷たくなる。
アルトは歩幅を一定に保ち、壁と天井を観察し続けた。
――足跡。
――引きずった跡。
――天井の煤。
「……通ってる」
魔物か、人か。
どちらでもいい。
重要なのは、「何かがいる」という事実だ。
アルトは進路を変え、脇道に入る。
遠回りになるが、安全だ。
数分後。
背後から、何かが動く気配がした。
「……」
振り返らない。
足音の間隔を数える。
――二足。
――軽い。
――単独。
ゴブリンだ。
だが、追ってはこない。
アルトは、歩調を少しだけ速める。
角を曲がり、柱の影に身を潜める。
ゴブリンが現れた。
「……」
こちらに気づいていない。
アルトは、石を一つ拾い、反対側の通路に投げた。
音。
ゴブリンが、そちらを見る。
その隙に、アルトは逆方向へ移動する。
――戦わない。
――逃げる。
それだけでいい。
調査は、想定より早く終わった。
崩落箇所。
罠の位置。
魔物の痕跡。
すべてをノートに記し、アルトは遺跡を出た。
空が、少しだけ夕焼けに染まっている。
「……生きてる」
思わず、そう呟いた。
達成感はない。
誇りもない。
ただ、生き延びただけ。
だが、それで十分だった。
ギルドに戻ると、受付の女性が目を丸くした。
「……戻ったんですか?」
「はい。調査、終わりました」
報告書を差し出す。
彼女は中身に目を通し、首を傾げた。
「……討伐なし。素材なし」
「はい」
「……でも、詳細ですね」
罠の位置。
魔物の行動範囲。
崩落の危険度。
「……報酬は、これだけになります」
銅貨を数枚。
「ありがとうございます」
アルトは受け取り、軽く頭を下げた。
そのやり取りを、少し離れた場所から見ている男がいた。
年配の冒険者だ。
「……記録者が、ソロで帰ってきた?」
誰に言うでもなく、呟く。
「運が良かっただけだろ」
別の声が重なる。
アルトは、それを聞いても何も思わなかった。
――そうだ。
――運が良かっただけ。
そう思っていた方が、楽だ。
だが。
ギルドを出る直前、背中に視線を感じた。
振り返ると、受付の女性が、何かを紙に書き留めている。
小さく。
目立たないように。
アルトは気づかない。
だが、その紙には、こう書かれていた。
《記録者・アルト=要観察》
最弱職は、
まだ誰にも評価されていない。
それでも――
確実に、何かが動き始めていた。
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