3. 晴れた日には空を仰いで
「聞いてほしいお話があるのですが……」
背後から呼びかける声がした。急なタイミングながら振り返ると、三番目に自己紹介した彼女は……
「よければ、少しお休みしてから。いかがですか?」村の少女だ。
「…そうですね。少し休憩しましょうか」
そこにいる8名が手近な椅子に座ろうとして、俺も含め全員からため息が漏れた。ひそかな笑いが起こる。ほぐれた緊張の量で、思ったより疲れていた自分に気づく。
天井を見上げると、相変わらずシーリングファンがゆっくりと回っている。少し前まで高揚感を煽っていた羽が、今見ると他人行儀な冷風をかき回す刃に見えた。
壁の時計に目をやると、まだ19時台のまま。…いや、そんなはずはない。すでに2時間は話した気がする。
「第三王女、あの、時計が」俺が指さした先を、第三王女もぼんやりと目で追う。
「え? …あ、止まってますね」
やはり少し疲れた声で、お互いに顔を見合わす。ついさっきまで見知らぬ他人だったのに、いつの間にか……
「紅茶、入れますね」
次の番を待つ村の少女が、思い立ってキッチンの方へ廊下を歩いて行った。他に2名の女性と、1名の男性も後を追う。確か、細胞と、AIと、神。だったか。
「ふふ」思わず笑みが漏れた。
「なんですか?」
「細胞と、AIと、神。って、なんなんだって思っちゃって」
「え?」
第三王女も俺の目線に気づき、暗い廊下を曲がって消える、4名の男女を目で追った。
「…確かに、細胞と、AIと、神、でしたね」
「ね」
「今まで再転生したのも、魔王と、ヒーローでしたし」
「そして次は、病気の、女の子」
「ですね」
「…なんでだと思う?」考えるよりも先に言葉が口を衝いた。
「え?」
「俺、わかんなくて。なんでこんなことになってるのか。俺がみんなに巻き込まれたと思うけど、でもなんか、俺だけみんなと違うってことで、むしろみんなを巻き込んでしまった気もする。誰に聞いても仕方ない気がするけど、ホント、どうなってるんだろう」
別に答えが欲しかったからじゃない。ただ少し安心したくて聞いただけ。それは自分が一番よくわかっていた。だが第三王女は、俺の問いの向こう側を見つめるように、奇妙な能面のように答えた。
「わかったからと言って、解決するとは限らないのかも」
「え?」
「なんとなく、ですけど」
「紅茶ができました!」
男女4名が紅茶を持ってきて、みんなに配ってくれた。温かい、ダージリンか。
「湯気まで美味しく感じる」嘘偽りない、俺の心から漏れた言葉だ。
「よっぽど疲れてたんですね」
その笑顔に、ふと疑問がよぎる。
「第三王女こそ、あの著術って、体力を使いそうですけど?」
「いえ。話者のイメージを文字化して共有することは、そこまでの労力ではありません」
「そうなんだ。あ、そういえばさっきのネズミの相談の脚色、すごくよかったですよ。驚くほど情景が浮かびました」
「え。あ、ありがとうございます。そんな、著術を褒められるなんて」
膝の上で湯気が立つカップを見つめる彼女の、存外うれしそうな横顔に俺も、冷えた体と心が少し温まったように感じた。
「あたしも、あの寓話、すごくいいなって思いました」
第三王女の隣に、3番目に自己紹介した転生者である、村の少女が立っていた。
「ありがとうございます。あ、そこに余っている椅子があるので、どうぞ座ってください」
残されたそれぞれで談笑していたが、村の少女がこちらに話しかけたのに気づいて、申し合わせるでもなく自然に、またロビーに静寂が訪れた。
「そうですね。そろそろですかね」俺も覚悟を決めなければならないみたいだ。どうしてかは知らないが、告解を聞く牧師のような役割を担ってしまった。
村の少女は、逡巡しながら語り出した。
「あ。その前に、まず、言わなくちゃと思ってて」
「なんですか?」
「あの、あたしは、死んでないんです」
「死んでない?」新しい展開だ。
「でも、転生はされたのでしょう?」第三王女も同じ疑問を口にした。
「はい。転生はしています。転生と言うか、生き直しと言うか。あの、私は異世界で、眠っています。異世界で眠ると、こうやって現世に来るんです。現世で眠ると、異世界に戻ります。でも最近は、現世にいることのほうが多くて。現世で寝ても、だんだん異世界に戻らなくなってます」
「…異世界に戻りたい?」
「いえ。戻りたくないって思ってました、さっきまでは」
村の少女は、あるきっかけから眠りの時間が増えていった。昔はそんなことなかったのに、起きていたくなくて、異世界から逃げ出したくて、眠り続けているうちに、気づくと現世に現れるようになっていた。
「あ、第三王女。著術のサポート、ありがとうございます。あたしからも一言お礼を言っておきたくて」村の少女が小さく微笑んで頭を下げる。
「いえいえ。お気になさらずに、続けてください」第三王女は虚空に指を滑らせながらも、優しく微笑み返す。
「あたしは、どこにでもある異世界の、のどかな村に住んでいる一人の子供でした」
川はせせらぎ、小鳥はさえずり、空は澄み渡り、太陽は暖かく照らす。当たり前の異世界の、後で気づく幸せを絵に描いたような光景だった。第三王女の著術のおかげで、10才くらいの村の少女がひざまずいて花を摘み、リースを編んでいるのが見えた。
「その時は、よくわかっていませんでした。事故で光のエネルギーの魔法が暴走していたことを。あの青空の輝きの中に、光の粒が紛れていたことを」
異世界の夜を照らす明かりや重い物を早く運ぶ車に、光の魔法を封じ込めた石が使われていた。安全かどうかなんて空気と同じくらい当たり前すぎて、少女には思いもよらなかった。
石に光の魔法を封じ込めるための作業所で、事故は起きた。石は爆発し、異世界の広い範囲に光の粒が降り注いだ。
「でも、それが善なのか悪なのか、今でも答えは出ていません」
光の粒を近くで浴びた子供たちは、その影響を調べられ、治療が必要と診断された子供たちは、体の一部に印が残る治療魔法を受けた。村の少女にも、その印が残っていた。
「これでいいと思っていました。大したことではないと。これで本当に治るのなら気にしないと」
しかし今度はその治療が本当に必要なのか、大人たちが争いを始めた。
治療は必要ないと言う者。必要な子にだけ治療したという者。光の魔法に賛成な者。反対の者。村の復興の妨げになるから黙っていろと言う者。
あげく、治療を受けた子どもたちの声は置き去りにされ、大人たちが争う声ばかりが広まっていった。子どもたちの痛みを統計としての数字に置き換えて、わかった気になろうとする大人たちの前で……
「もう、黙っていようと思いました。眠っていようと。何も思い出したくない。生まれる前に戻りたい。こんな異世界になんて、生まれたくなかった。そして気づいたら、この現世にたどり着きました。私は普通のどこにでもいる女の子で、普通に生活をして、普通に恋愛をして、普通に健康で。元の異世界に戻る理由は、もうどこにもないと思っていました」
「それでいいと思うよ」俺はうなずいて答える。
「ええ。あなたにとっては、ここが本当の世界かもしれないですよ」
慰めになっているかわからないが、二人とも言わずにはいられなかった。
「そうですね。さっきまで、本当にそう思っていました。でも、怖かった。眠るのが。異世界に戻ってしまうんじゃないかって。恐ろしくて、眠ることができなくて。もう、死んでも生きても一緒だって。…そう思っていました」
闇夜の屋上で虚空を見上げ、眠らない魔法があるならかけてほしいと祈る少女の姿を見て、俺は何も言えなかった。
「結局、元の異世界にもこの現世にも、逃げ場なんてなかった。でもさっきのお二人が再転生するのを見て、どこにも居場所がないなら逆にどこか好きな場所に居場所を作れるんじゃないかって、ちょっとだけ思ったんです。
それについこの前、SNSでありましたよね。病気で亡くなった方の書き込みが拡散して、その書き込みに胸を打たれたたくさんの方から、寄付が届いたって」
「俺も見た。ついこの前だね」
眼前の少女が必死でこらえているのは涙だけではなく、何年も殺し続けてきた感情の高まりだと、痛いほどわかった。
「あたしは、まだ死んでない。あたしの痛みや苦しみは、不慮の事故や単なる病気じゃない。
あの光の粒が善か悪かはわからなくとも、あの粒が降らなければ、あたしたちは調べられなかった。あの光の粒が降ったせいで、争いが起こり、それによる不安や痛みを感じることになった。あたしたちはただ痛みをこらえて治療を受けただけなのに、さらに争いによって傷ついている。
でも、光の粒の善悪や、治療の善悪についての争いは、あたしたちの存在とは全く別の話です。
あたしたちは、誰かを非難したいのではなく、みんなと同じ、生きる居場所がほしいんです」
村の少女は、自分でも思いがけないような表情で、でもしっかりと笑っていた。
「 光の粒には善悪も意味もない。でも、この事実と向き合って、あのSNSの書き込みから生まれた気持ちのように、みんなで乗り越えていきたいって居場所ができたら、あの事故にも意味があったといつか振り返れるかもしれない」
「きっと来るよ」
俺の口からはそんな上っ面の言葉しか出ないのに、村の少女は笑顔のまま、逆に俺たちを励ますように言った。
「たぶん、作家さんと第三王女にしか、できないことがまだあります。少なくともここにいる方たちは、きっとそう思っているはずです」
そしてまた、吹き飛ばされるほどの衝撃と眩い閃光で気を失うような瞬間があり、目を開けると、村の少女はいなくなっていた。
「…来るよね。その日が」
「来ますよ。もしもその日がまだモタモタしてるんなら、いっそ私の手で連れて来ます」
SNSの書き込みにも力があるのなら、第三王女の著術にだって……
「そうだね。…それじゃ、次の方ですよね。わかってます」
4度目の声をかけられそうな気配がして、俺は先に答えた。そこにいたのは……
つづく




