1. はじまりは戸締り
その夜、たまたま離島のペンションとホテルの中間のような宿泊施設に、ビジネスや観光の目的で10名の男女が宿泊していた。
辺境ということもあり、施設の管理者は17時には不在となり、家に帰ってしまう。翌朝、宿泊客は鍵をフロントに置いて帰るシステムだ。
季節は秋から冬への変わり目だが、19時過ぎに、突然の暴風雨が施設を襲う。
各部屋の天井に設置されたスピーカーから甲高い音が鳴り、緊急の館内放送が流れる。
島内は外出禁止のため、宿泊客が自ら、各部屋の窓と玄関のシャッターを閉めていただけるよう、お願いいたします。
それぞれの部屋の窓ガラスが割れないように、各々で窓の外にあるシャッターを下ろす。また、玄関のシャッターを閉めようとして、ちょうど宿泊客が全員、玄関前のロビーに集まり、その中の男性二人が、玄関の外側にある頑丈なシャッターを閉めた。
これで、完全な密室である。
少しばかりの緊張と不安で、なんとなくロビーに集まったみんなが、そこに1台だけあるテレビをつけて緊急速報を眺めている。
「こわいですね」誰かがつぶやく。
「そうですね。…なんか、修学旅行みたいな感じもあるけど」少し笑いが漏れる。
「修学旅行と言えば、枕投げとか。懐かしいですね」
「気分転換にコイバナでもしますか?」さすがに飛ばし過ぎたジョークだ。
「コイバナはちょっと。自己紹介もしてないし」
「自己紹介か。そういえば小学校で昔、自己紹介代わりのフルーツバスケットをしましたね」
何気ない一言のつもりだったが、なぜか全員が俺のほうを見た。まさか、本気でやるとは思わなかった。
だだっ広いビクトリアンスタイル風のロビーに椅子が人数分あって、館内で唯一のテレビがロビーに1台だけあって、まだ19時台で寝るまでに時間もあった。密室に閉じ込められたお互いの素性を少しでも知っておきたいとか、さらによく見ると割と同じ年代の、20代半ばの男女10名だったことも、たぶん少なからず関係あったのかもしれない。
恋リアとまではいかなくとも、学生気分がまだ少し残っている年代の、新しい関係性が生まれるかもしれない期待と不安が渦のように絡み合っている暴風雨の真ん中で、天井のシーリングファンから吹き降ろされる風が少し興奮を帯びている気さえする。
「…じゃ、誰から始めますか?」
「まずは、フルーツバスケットを提案したあなたから」
9名の男女が半円形に俺を囲んで椅子に座り、俺の口から発されるであろう次の言葉を見守っている。別に提案のつもりはなかったので照れくさいながらも、急いで質問を考える意識が、完全に外の暴風雨からは離れていった。
「それじゃ、その。 …実は自分は、異世界からの転生者だよーっ、って人」
軽いつかみのつもりだった。不安を紛らわすための冗談。
しかし、目の前の男女9名が、何かにつかれたようにすくっと立ち上がるのを見た時、俺は驚きより先に恐怖のような悪寒が背筋を走った。
「え! ウソ!」
「マジで? 僕だけじゃなくて?」
「みんな、そうなの?」
「まさか、俺だけだと思ってたのに……」
互いに質問し合う9名を横目に、俺はとにかく、ワケはわからないがルールなので、一番近い左端の空いている椅子にとりあえず座った。
「え、今?」
「座る? この状況で?」
椅子の前に立っていた男女が、驚きの表情で俺を見下ろしてくる。そんなこと言われても。
「ってか、本当なの? みんな転生者って」
「どこから? みんなどんな異世界からこの現世に転生してきたの?」
無言で見上げる俺を無視する各々の声が驚きで大きくなっているらしく、高い天井のロビー内で言葉が粒のようにぶつかり合って反響し、一人一人の会話をうまく聞き取ることができない。
「ちょっと待って。一旦、落ち着こう。一回、真剣に自己紹介しない?」
「そうね。じゃ、向かって一番右端の人から」
俺から一番遠い反対側にいた男性が指名された。
「あ、オレは異世界から来ました。あ、みんなそうか。異世界での職業は、魔王でした。あ、職業って言うか、魔界の王でした。じゃ、次、隣の方」
「あ、ボクは、異世界ではみんなを怪獣から守る、ヒーローでした! よろしく! どうぞ、次の方」
「あたしは、のどかな村に住んでいる子供でした。事故で光のエネルギーの魔法が暴走してしまい、光の粒が空から降ってきました。それが善なのか悪なのか、その影響を調べられ、治療が必要と診断されたあたしたちは、体の一部に印が残る治療魔法を受けました。あ、長くなるので、次の方……」
「オレっちは小人症の宮廷道化師だったグシャ。金持ちの魔除けとして、モノマネや軽口をたたくペットとして飼われていた愚者だったグシャ。グシャシャシャシャ。次いくグシャ」
「ワレワレは、宇宙生物でした。ある惑星の先住生物を根絶やしにして、平和な生活を送っていました。では、次の生物は……」
「神だ。我は創造主として、ある異世界を作った。しかし、神が別の異世界に転生するとは思わなかったな。次はお前だ」
「あ、ウチは細胞でした。普段は魔法を使う悪役令嬢でしたが実は女装で、真の姿はモフモフケモミミスパダリBL男性の脳内にある、ニューロン細胞の一つでした。小さいながらサブにドムの指示を出すためビリビリ働いていました! 次の方はどんな役割でしたか?」
「つまり、魔法使いで意地の悪い令嬢の衣装をまといつつも、実は獣の耳と毛が生えているイケメンかつ支配的で攻める側の同性愛者の男性の脳細胞だったんですね。かくいうワタシは、人々を笑顔にする愛玩用のAIでした。しかしなぜ一介のプログラムにすぎない私が現世で生物に転生したのか、ずっと考え続けています。次の人はいかがですか?」
「私は、ある王国の第三王女でした。みなさんのように自己紹介できる特徴がないので、すみませんが。それでは次は、椅子に座っていらっしゃるあなたが最後ですよね。あなたは異世界でどんな暮らしをされていたのですか? このフルーツバスケットを提案されたということは、もしや、全てを見通せる預言者だったのでしょうか?」
必然的に左端に座った俺が最後になることは、みんなの自己紹介の途中で気づいていたのだが、異議を申し立てる隙など全くない雰囲気にのまれ、さっきから冷や汗が止まらない俺は……
「俺? 俺は、その、今、大学院生で、異世界物の小説を書く素人の作家をしています」
「まぁ、異世界では作家さんでいらっしゃったのですか?」
「いや、異世界ではなくて、今の、この現世で……」
そりゃそうだ。第三王女をはじめ、俺以外の9名全員が不思議そうな顔で俺を見下ろしている。
「では、異世界では何を?」
「あの……。転生してないです」
「え?」
「いや、転生って。だってそりゃ、当たり前でしょ? 確かに、もしかしてなんかあったらって淡い期待して、なんならド忘れしてるだけなのかなって、皆さんのおかしな自己紹介聞きながら必死で異世界の記憶を思い出そうとしましたけど。ないよ! あるワケないジャン。でもだって、普通は俺の方が普通であって、皆さんの方が非常識だって、ってか今この空間自体が異世界って感じで」
「…あぁ」
「ね、そうだ、そりゃがっかりするよね! でも、困ってます。…嘘ですよね? さっきからみんな、自己紹介。ノリで嘘ついてるんでしょ?」
憐れみを浮かべた9名の表情と、救いを求めて目が泳ぐ俺。バタフライのように激しい瞬きをしながら救いの浮き輪を求める溺れかけの俺の瞳に映ったのは、意外にも魔王だった。
「おほん。ワガハイは嘘などつかん」
「ワガハイ? さっきはオレでしたけど?」
「いや、みんなが一人称を改めたので、ワガハイもワガハイと名乗るが。ワガハイは魔界の王として魔物軍団を率い、弱き生き物どもを支配してきた」
「本当ですか?」
「魔王であるワガハイを疑うのか?」
「むしろ魔王って信用できるんですか?」
「待ってください」
不毛な水掛け論に割って入ったのは、第三王女だった。
「確かに、元魔王の言うことなんて信用できない、それはみんな同じ気持ちです」
「マジか!」
「でも、私にまかせてください」
第三王女はそういうと、両手の平を頭上に掲げた。
「まさかオヌシ、現世でも魔法が使えるのか? ワガハイも何度も試したが、元の異世界の能力は何一つ発現しなかったぞ!」
「いや、魔法ではないのです。古代から王家に伝わる血文字の著術です」
「なに? それはいったい?」
「うまく言語化できないので、感じてください」
そう言うと、第三王女は掲げた10本の指で空中を引っ搔くような動作を、まるで大気にタイピングしているかのような……
「見える、ワガハイの眼前に元の異世界の風景が!」
「転生者じゃない俺にも、確かに。…しかしこれは?」
「他者のイメージを文字化して共有しています。見てください。あれが元の異世界の魔王です」
そこでは、過剰に魔な感じの魔王が勇者をなぶり殺しにしていた。
「あれが魔王。魔が過ぎる!」
「ガッハッハ。もちろんこの現世では穏便に暮らしておるが、異世界では歯向かうものは皆殺し、やりたい放題じゃった」
「でも、転生してるってことは、やっぱりホラ、セオリー的には一回死んだってことですよね。やりたい放題とかカッコつけて、結局、もっと強い勇者に殺されたんですか?」
「ふ。オヌシ、異世界だったら八つ裂きにしておったぞ。勇者なぞ、ワガハイの足元にも及ばぬわ」
魔王の支配は完璧だった。武力というムチだけではなく、生かさず殺さずのアメも使い分けていた。弱者から年貢や税金や生贄などの搾取を行いつつも、程よい自由も与えることで、弱者同士が無気力かつ小競り合いをするように仕向け、さらに配下の魔物どもに弱者への監視を徹底させた。
「ふふ。それでも監視を突破する勇者も数名いたが、所詮ぬるま湯の自由で育ったチルい勇者など全て返り討ちにしてくれたわ!」
「すごい! 第三王女の著術のおかげで、魔王の支配のいやらしさが立体的に可視化できました! チョジュツも著術って書くんですね!」
「悔しいがワガハイも説明ゼリフを大幅に短縮できたぞ!」
「魔王、ではなぜ死んだんですか? 寿命が来たってことですか? 魔王に寿命ってなさそうですけど?」
「いや、寿命ではない」
魔王は弱者への支配に気を取られるあまり、配下の魔物軍団に充満していた不満を解消することができなかった。弱者からより厳しく搾取しろ、迫害して殺せと叫ぶ不満分子の魔物どもを無視するだけでなく、反乱分子として処刑までしていた。
「それで、子分である魔物のテロにあったってことですか?」
弱者をこれ以上こき使い搾取したところで資源は増えないことを、魔王は知っていた。むしろ死を意識した弱者の群れに反乱されるだけ。
しかし配下の魔物どもは、もっと喰らいたい、もっと交尾したいと魔王に要求した。その貧しさのはけ口が、弱者への暴力や迫害へとつながった。
このままでは全滅の危機を察した弱者の群れは窮鼠となり、必死に甘言を弄し魔物を謀った。魔王を倒せば、もっと資源を独り占めできると。そして弱者はひそかに作った武器を魔物に渡し、魔王はその武器によって魔物どもに倒されたのだ。
「その後はどうなったか、わかるんですか?」
「…倒されたワガハイはすぐ眩い光に包まれ赤子として現生に転生したので、その後の異世界のことはわからんが。たぶん、バカな魔物どもは、弱者の群れに倒されていたかもしれんな。知恵の優劣はときに単純な暴力を圧倒する力がある」
「では、弱者の群れが勝ったと」
「さて? 逆にあるいは、弱者どもは魔物に蹂躙され、全滅したかもしれん」
「しかし、魔王が倒されたことで、みんなが平和的に生活できた可能性はないんですか?」
「ワガハイは魔王だが、搾取するだけが魔王ではない。むしろ程よく分配を行っていた。分配する先導者のいない烏合の衆の未来は悲惨だと心得ておる」
「魔王として私利私欲は肥やさなかったと」
「愚か者。私利私欲を肥やさぬ魔王などおるか! 魔王たるもの、私利私欲を肥やすのが嗜みぞ。…しかし、そうだな。確かに少し、肥やし過ぎたのかもしれん。魔物どもには骨だけではなくわずかな肉もしゃぶらせねばならなかったか」
「犬じゃないですからね。ってか、犬も骨だけじゃ死にますし。その認識だと、自覚されているより相当厳しい支配をされていたのかも」
「そうじゃな。弱者どもも、魔物どもも、どちらも豊かに暮らしていれば、あるいはもう少し平和的に共存できたのかもしれぬ。ワガハイはそれを学ぶために、現世に転生したのかもしれんな」
「そうかもしれないですね」
「小僧。ワガハイがもし再転生する機会を得られたなら、そのときは魔物と弱者どもが共に妥協できるギリギリのアメとムチで異世界を支配出来る気がしてきたわ。貴様と話したおかげだ。ガッハッハ」
そのとき、暴風雨が館に衝突したような轟音と共に、二つの大きな明るい光が眼前に迫り、笑顔の魔王を飲み込んで消えた。眩さと衝撃で目がくらみ数秒間、倒れ込んだみんなが起き上がると、魔王はどこにもいなかった。
「え?」
「今の、何?」
「あの、…トラックじゃないですか?」
「え?」
「光の感じとか。大型のトラックの間隔じゃなかったですか?」
「大型トラックのヘッドライト。確かに」
ヘッドライト、大型トラック、魔王の笑顔、そして転生……
「僕は、死にません」
「いや、そいつは魔王でもないし転生もしてない」
「ですよね」つまらない冗談だ。
「とにかく、これでわかりましたね」第三王女がキラキラした目で俺を見た。
「あなたが魔王に気づきを与え、改心した魔王は、転生トラックに惹かれて成仏しました」
「え、認識違くない?」
「冗談です。きっと魔王は元の異世界に再転生してもう一度、程よい支配と言う名の搾取を始めたのではないでしょうか?」
「搾取はするんだ」
「魔王ですから」
「そうだね。外国人に土地を買われるのが嫌なら、国民が先に全部買えばいい。声高に叫ぶ人から順に金を出して、クラファンでも使って、自分の責任で金を出して国を守ればいい。国のルールがおかしければ国に言えばいい。それをしないのは国民が他人任せで弱いのと、貧しいから。国民が弱くて貧しいから、より弱く貧しい外国人への迫害が起こる。迫害が起これば争いも起こるし、最悪それで外国人が全員いなくなったら」
「海外の金持ち武器商人が、いよいよ戦争を全力で持ち込ませて、殺し合いで大儲けするでしょうね。武器商人も人でなしじゃないし、殺し合いたい者のために武器を売るのは正義ですからね」
「間違っても武器商人自身が殺されないように、自分とは関係ない土地で関係ない連中が殺し合いたくて殺し合うための武器を売ることこそ、彼らのマーケティングの基本だからさ」
「自分が武器商人だったらどこの誰をどう誘導して武器を売るのが最も得か? 自国に戦争を持ち込ませないために逆算するのが賢い選択かもしれませんね。しかしこのアフタートークみたいな、余分なお説教みたいな会話もコミで、全転生完了ってことですか?」第三王女の瞳が眩く光る。
「…俺に聞く?」
「でも、あなたがフルーツバスケットを提案しなければ、魔王も再転生することはなかったでしょう? 最後に魔王の背中を押してトラックに飛び込ませたのもあなたでしたし」
「それはしてない。だいたい第三王女だって自己紹介では謙遜してたけど、魔王の再転生に著術で加担してたし」
「…つまり私たちは、共犯者ってことですね?」
いたずらがバレた子供のように笑う第三王女の笑顔に、続く言葉を飲み込んでしまう俺。
「あ、言い過ぎてたらごめんなさい。とは言え、私も自分が異世界から転生した理由を知りたかったのですが。まさかこんな形でその可能性がやって来るとは、いろいろ不安な気分です」
「…そう」
「あなた、本当に転生者ではないのですか?」
「いや。俺は、本当に、何も知らない」
「そうですか……」
ロビーを静寂が包み込む。
「…あの!」
その静寂を破り口を開いたのは……
つづく




