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11. いつか咲く花

 俺は転生しなかった。笑顔が下手くそだったから?

 そのかわり、大きな光に包まれてこの密室に転生してきたのは、眼前を埋め尽くす黒い針金の塊みたいなケマの大軍団だった。いくらだだっ広いロビーでも、100体を超えるであろうケマの群れで俺もケマもぎちぎちになった。電話ボックスにこういう感じのギュウギュウでギネス認定されたテレビを昔観た気がする。

 俺の隣のケマが、大口を開けてこう言った。

「スズハ、イカガ? オボッチャン?」

 確かに獣臭いその口臭に似合わぬ機械の声。つまりこれは……

 喰われる!

「“その日”が来ました!」

 突如、頭上を滑空する鳥が、黒い何かを俺に落とした。

「ガスマスクです! 早く着けて!」

 ぎちぎちで身動きの取れないケマ達は、その怪力をうまく使うことができない。俺は隣のケマの腕毛に乗ったガスマスクを何とか掴み取り、顔全体を覆った。

 瞬間、頭上で霧状の何かを噴霧するシュウゥという音が聞こえた。周りのケマ達がぎちぎちながらもバタバタと倒れていく。視界が少し開けた。

「強力な催眠ガスです! ご無事ですか?」

 あれは。鳥型ドローンから小さな白い物体が、眠るケマの鼻の上に飛び降りた。

「久しぶりですね。作家さん」

 見た目は全然違うが、声でわかった。

「AI! …でも、その見た目は」

「ワタシはネズミ型ロボットです。チュウ」

 ってことは、猫型ロボットの天敵だ。よく考えたら、彼女が元の異世界でどういう形だったのか聞いてなかった。

「これは一体……」

「このケマ達は、脳内にAIチップを埋め込まれたケマ型バイオロイドと思われます。ワタシたち転生者が集まったことで、異世界が暴走したようです」

 異世界の暴走? 意味は分からないが、そんなことよりも……

「キミだけ? 他の転生者は」俺は、ケマだらけの床から何とか這いだして言った。

「いえ。あの催眠ガスは、宇宙生物とヒーローと三人で共同開発しました」

「じゃ、二人はどこに?」

 ワレワレはここです。

 天井からの声で、見ると岩から8本くらい足が出ているクモとカニの中間くらいの生物が張り付いている。これが宇宙生物か。彼らの声は耳ではなく脳内に直接聞こえてきた。

「じゃ、ヒーローは?」

「キミも手伝いたまえ、作家くん」

 部屋の隅でヒーローが、ケマの腹にシールのようなものを貼っている。前より堂々としている気がする。

「見ていたまえ。この異次元コードを貼ると……」

 小さめの光がケマを包んで消えた。

「軽転生トラックが屠殺場までケマを運んでくれる。魔王が考えた新しい配送方法だ」

「このケマたちは、魔物と弱者どもで美味しくいただきましたとさ。ガッハッハ」

 魔王が魔過ぎる装束で、ロビーいっぱいに魔過ぎる笑いを響かせる。

「魔が度を越えている!」俺はちょっと怖いけど言った。床いっぱいのケマを踏み越えながらヒーローの元に辿り着き、受け取った異次元シールを宇宙生物と手分けしてケマの腹に一体ずつ貼っていく。

 うれしさで指が震えている。目頭が熱くなるのをこらえて、俺は期待している。

「他のみんなは」

「まずはこの密室の片付けをしてからだ」

 ヒーローに指示されて、とりあえず黙々とケマの腹に異次元シールを貼ることにした。明らかに生身で温かいケマの脳に、誰がAIチップを埋め込んだのか。よく考えると疑問が浮かんだ。

「我がいると都合の悪い連中がおるからな」

 一段高い窓際のロッキングチェアでくつろぎながら、神が言った。

「神にも手伝ってほしいのだが……」ヒーローが手を動かしながら答えた。

「言ったはずだ。我は創造主であって、配送業者ではない」

 神格化されない神は、特に何の役にも立たない。

「初耳ですよ」

 村の少女が笑いながらヒーローのそばにより、その腕や足に両掌を当てて目を閉じ祈りを込めるようにつぶやいた。手を当てている部分が少し光っている気がするので、戦いで受けた傷を癒す魔法かと思われた。すでに現実的でない物をたくさん見てきたが、本物の魔法を初めて見れてちょっとすごいと思っている自分もいる。

「作家さんも、見せてください」

 村の少女が駆け寄ってきて俺の体をチェックし、ケマの体毛や爪に当たった擦り傷と右手人差し指の傷に気づいた。別にいいと断ったが、彼女の両手に触れた部分が光り出し、少し温かい感触があった。

「この魔法、細胞さんのおかげです」

「え?」

「あたしの脳細胞に急に、細胞さんが再転生してやって来たんです。そしたら、悪役令嬢風BL男性の魔法が私も使えるようになって。あ、脳内で細胞さんが作家さんに何か言いたいそうですよ」

「わかった。ありがとう。もう十分。聞きたくないから」

 やっとはっきり言えた俺。慌てて退散する。

 ということは、あとは……

「持ってきました!」

 振り返ると、さっき別れたばかりの第三王女が、鉢植えのような何かを両腕で抱え、ロビー中央に運び込んでいた。右肩には白地に赤い水玉模様の爬虫類みたいのがちょこんと乗っている。

 俺は声を掛けられなくて、その姿をただ呆然と見守っていた。それに気づいた第三王女が俺に微笑みかける。

「この子、気づきました? カメレオンです。道化師さんは結局、照れくさくてもうしゃべりたくないそうで、再転生はカメレオンにしたみたい。ハエを食べてくれると言うので、飼うことにしました」

 それでピエロ柄なのか。ほっぺが赤いカメレオン。とにかく元気そうでよかった。でも、それも言えなかった。

「…そうですか。とにかくよかった」そう言うのが精一杯だった。

「さて。全員揃ったワケですが」

 元通りに片付いたロビーの中央で、ネズミ型ロボットであるAIがみんなに呼びかけた。

 あの初めのフルーツバスケットに戻ったみたいだと俺は思った。

「情況を飲み込めてないであろう作家さんに向けて、ワタシがイメージ画像を出しますね。もう第三王女は著術が使えなくなったそうなので」

「すみません皆さん。私は母からあの能力を受け継いだので。元の異世界に再転生してもう一度受け継がないと使えません」

 第三王女はまた嘘をついていると俺だけが思ったが、みんなに余計な心配をかけたくないのだろう。そういえばあの指先の傷も村の少女に治してもらっているに違いないと俺は思った。

「ワタシたちはあの転生フラッシュの後、気づくと地獄の門の前に立っていました」

「転、フラ…。地獄の門……?」…ダンテ。神曲。ロダン作?

「そうです。現世だとあの国立西洋美術館とかにあるヤツです」

 そこでネズミ型ロボットの口が大きく開き、喉の奥からロビーの壁に向けて強い光が映写された。大きく映し出された壁のスクリーンには現世で見たヒトだった時のAIの画像と、その胸にかわいい赤ちゃんが抱かれている。

「あ、ワタシが生んだであろう赤ちゃんを自動生成してデスクトップの壁紙に設定してみました」

「可愛い!」第三王女と村の少女が喜んでいる。

「今までは誰かのイメージだけでしたが、これはワタシが自分のために初めて自動生成した画像です。これからはこの子の成長した姿も自動生成していきたいと思っています」

「素敵です! 送ってください!」女性二人の喜ぶ姿に、良かったなと俺も思う。

「とにかくその地獄の門の前に、一輪の花が咲いていました。ワタシに続いて第三王女が最後の到着でしたが、初めにそこに着いたヒーローさんは」

「ボクが到着したとき、このガーベラみたいな花のツボミが開かないと、再転生できないと言われた気がしたんだ」

「誰に?」当然の疑問だ。

「誰って。…神、かな」

 みんなで一斉に神を見た。しかし、神はチェアを優雅に揺らしたままだ。

「我は責任者ではない。そういう門番的な役割の下っ端天使だか鬼がいたとしても、我には何の関係もない」

 本当に役に立たない神だ。

「とにかく、言われた気がしたんだ。だから、肥料を与えたり水を与えたり太陽を当ててみたりしたんだけど。全く咲く気配がないまま、気づいたらみんな来てた」

 地獄の門の前で立ち往生して、花を囲んでにらめっこしてる9名が映し出された。アングルは花のツボミから上を見上げる角度で、青空を背景に9人がぐるりと円形にカメラを見下ろしている画像だった。俺も待ち受けに欲しいくらいだ。

 そこで急にケマの大群に襲われて。

 天井をかさこそと移動しながら宇宙生物が伝達してきた。

「ワガハイが全員をここに避難させた。ケマが一緒についてきてしまったが、特に問題はあるまい!」

 俺が驚いたことを除けば、だ。普通に再会していたら俺はたぶん泣いていたから、これはこれでよかったのかもしれない。

「この花を咲かすにはどうするか。村の少女の魔法もダメ。道化師がハエを食べてもダメ。あと残すは……」

「だからワガハイの魔術しかなかろうが! 悪の魔術でこの花を魔の花にして、魔開花を思い知らせてくれるわ!」

「待ってください! それは話し合いでまだ早いって」

「本当に最後の最後、どうしようもないときの一か八かの手段で」

「だって開花した魔の花に襲われたら目も当てられないし」

「ワガハイの魔術を信じられぬと? 魔王の言うことが信じられぬとでも言うのか!」

「ここにいる神と魔王は信じる方がバカって噂もあるよね」

「なんだと! 神と一緒にするな!」

 そう言われても涼しい顔の神と、激昂する魔王。

「でも、もう他に手段はないかも。著術も使えないし」

 ヒーローの言葉で第三王女の指がピクリと動いたのを、俺は見ていた。

「魔王、わかりました。これだけの人数がいれば、なんとかなるでしょう」AIが決断した。AIが答えを出す“その日”が来たのだ。

「本当になんとかなるのか?」ヒーローが言った。

「なんとかするんです。再転生のために! 魔王、お願いします!」俺以外のみんながうなずいた。再転生のあてはないが、俺もみんなのために力を尽くしたいと思った。

「ガッハッハ。賽は投げられたか! ではとくと味わうが良い。地獄の業火で焼き尽くしてくれるわ。花!」

 合ってる? そのやり方?

 鉢に植えられた一輪の健気な花のツボミに、四方八方から火の玉地獄が降り注ぎ過剰演出で完全な火だるまになった。レベルを上げに上げ過ぎて、せっかくのゲームバランスが崩壊した残念プレイみたいだ。

「…カスも残らないのか」

 みんなが魔王を恨みかけたその時、魔王が大声で叫んだ。

「出でよ、フラワードラゴン!」

 先ほどまでの可憐なツボミがあった場所から、巨大な花ドラゴンがメキメキと現れ、俺たちにおそいかかってきた。

 どうする?

 ▶にげる

 いやいや待ってくれ。冗談は別の機会にしよう。

「咲いてるのか、これ?」

 ハナカマキリに似たその生物は、ややピンクがかった白のフリルを全身にあしらい、花に擬態したドラゴンだった。しかし巨大すぎて、花に擬態する意味はあるのだろうか。

「教えてやろう。魔界の巨大な食虫花に擬態して食虫花に近づき、その食虫花を喰らうドラゴンぞ!」

 これが噂の花を喰らう花ドラゴン! って、もちろん俺も初耳だ。

「…ということは、肉食ではなく草食?」冷静なAIが頼もしい!

「いや。あいつの顔をよく見てみろ!」

 ドラゴンの顔が花のツボミのようになっている。つまりまだ咲いてもいなければ、目も鼻もない。

 皮膚呼吸する特殊な生物ですね。目以外にも感覚器がなさそうなので、近づいたものは全部花だと思って食べる可能性があります。

 冷静な宇宙生物も頼もしい!

「ご名答! あいつは雑食だ!」

 いよいよ花に擬態する意味はないが! ってか、なんならあいつこそ最強の食虫花だろ!

 魔界の複雑怪奇な食物連鎖を俺が理解できるワケがない。そんなことより、その花びら付きの腕から植物のツルのような触手が伸びて、俺たちを襲う。

 必死でその攻撃を避けながら、俺は叫んだ。

「魔王、魔術で咲かすって話はどうなった!」

「大丈夫。誰かが喰われればあいつは咲く」

 これが魔王の魔王たる所以か! 俺たちとは違う文化圏の考え方だ!

「って、ふざけんな! 誰かなんとかしてくれ!」

 もしかしたら……

「神!」

 みんなが一斉に神を見た。この土壇場で何か……

「我は創造主だが、戦士ではない」

 だよね! 神には愛想が尽きました!

 ヒーローを見ると、ロビーにあった頑丈な机を盾にして、女性たちを避難させていた。

 残すは、天井で逃げ回っている宇宙生物と、ってか、魔王は?

「魔王、そいつを止めてくれ!」

「だがそれでは花は咲かん。花が咲かんと、ワガハイたちは再転生できんぞ!」

 やはり元々そのつもりか。この中の誰かを喰わせることに罪の意識はない。悪気がないのがよりタチが悪い!

 不意に、何もかも理解した。そうか。俺はまだ転生してない。大丈夫。俺はまだ転生してないんだ。みんなの痛みに答えを出せるんだ!

 思い切りフラワードラゴンに向かって走った。その触手が俺の両腕に絡みつき、音もなく頭上高く一気に持ち上げられた。

「作家さん!」みんなの声が眼下で聞こえる。こんなに高い天井だったのか。たぶん彼女も見ているんだ。怖がるな!

 俺が覚悟を決めた天井で、急に足や身体を掴まれた。見ると、宇宙生物が俺をその足でしっかと掴んでいる。俺が喰われないようにしがみついてくれている。

 作家さん、何をするつもりですか?

「俺はまだ転生してないから! こいつに喰われたらきっと転生して、それでこの密室に戻って来る。そしたらみんなにまた会って、初めからやり直し。何度でも、そうやってやり直すのが俺の役目で。それでいいんだ。それがいいんだ。俺は。ありがとう。みんな、ごめんなさい。俺がこの世界を作ったんだ!」

 覚悟を決めて目を閉じる。いや、やっぱりちゃんと見たくて、第三王女を目で追う。彼女はまっすぐ俺を見ている。それで忘れてたことを思い出す。

「もし俺が他の転生者と同じように、俺のことも助けたいってキミが思うなら、第三王女、頼むから書いてくれ! 何でもいいから、俺の墓標に添える詩でも何でもいいから。眠ってないとか、千のアレでもいいから! 死ぬまで書け! それだけ!」

 その瞬間、宇宙生物の足がドラゴンに力づくで剥がされ、俺はツボミに向かって一直線に頭から突っ込んでいく。これでいい。転生するかももうどうでもいい。第三王女が書きさえすればそれでいいんだ!

 最期に見た第三王女は、震える指で俺に向かって必死でタイピングを。よかった……

 次の瞬間、鋭い風切り音が耳元で鳴ると、真空を切り裂くその指先から超音速の微細な気流が起こり、カマイタチのように触手を切断する。

 それでもツボミに向かう俺は何か生温かい金属みたいな物に思いきりぶつかって跳ね返る。見るとそれはツボミに飲み込まれていく黒い、針金のような剛毛のケマの尻だ。

 俺はそのまま地上に落下する寸前、魔王によってキャッチされる。

「ワガハイも魔王だが鬼ではない。花が咲けばそれでいい」

「ありがとう」

 気絶寸前の意識の中、文字通り首根っこを魔王に掴まれながら、俺は瀕死の状態で答えた。

「作家さん!」

 村の少女が俺に駆け寄って魔法をかけてくれる。便利だな、魔法。本当はカッコよく気絶したいのに、思ったよりみるみる体力が回復していく。

「大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう。信じられないくらい元気になった」

 もう少しみんなに心配してほしかったのに。あのフルーツバスケットで立ち上がったみんなみたいに、俺もすくっと立ち上がって答えた。みんなの驚く顔を見て、少しだけ仕返しできた気がした。

「すみません。これは一体どういうことが起こったのでしょうか?」

 AIが俺に尋ねた。第三王女が、自分の指先を見つめている。驚きと、喜びと、苦しみの入り混じったような表情。仕方ない。それが書くってことだから。でも、それは俺のせいでもあるんだ。

「ごめん。その前に俺はみんなに言わなくちゃいけないことがある。俺がみんなを作ったんだ」つばを飲み込む。

「俺が書いたはずなんだ。こんな話になると思わなかったけど。俺は世界を変えたかった。花を咲かせたかった。そのために痛みが必要だと思った。だからみんなの痛みは、俺のせいなんだ」

 俺は目を合わせられずにうつむいてしゃべった。誰も俺を非難しなかったが、たぶんまだ理解できていないせいだと俺は思った。

「だから許して欲しくて。みんなを再転生させれば、ハッピーエンドだから。だから俺が喰われればうまくいく。俺が作った痛みは俺が責任持って終わらせようと思った。それにみんなだって異世界から転生して現世に来たんだから、俺だって喰われたら転生するかもしれない。転生したらもう一回この密室まで生き直して、それでまた転生し直して。永遠に転生ループできるんじゃないかって」

「…そんな転生があるのか?」ヒーローが言った。

「死んだらどうするつもりだったんですか?」AIが言った。

「許してもらいたかったから。でも俺ならそう書くって思ったから……」

 誰も何も言わなかった。なんて言っていいのかわからないのだろう。だがその沈黙を破ったのは……

「命の分だけ痛みはある。お前が作った痛みなどミジンコに刺されたようなもの。思い上がるな、このウジウジゾウリムシが!」

 みんなが一斉に村の少女を見た。

「…と、細胞さんが言ってます」

 そういうことか。

「でもすみません。あたしにはわかりませんが、あたしも痛みに負けたくありません。痛いけど、痛みを乗り越えて強くなったし、これからも強くなりたい」

 村の少女にそれを言われたら、俺にはもう、何も言えなかった。AIが仕切り直すように言った。

「作家さん、ワタシにはまだ理解できませんが、だとしてもあなたは命がけで責任を取ろうとした。とりあえずワタシにはそれで充分です」

「私も私の痛みを誰かのせいにするつもりはありません」第三王女が続く。そこで目を上げると、みんなもうなずいているように、俺には見えた。

「ありがとう」

「お礼を言われることなのか、ワタシにはまだ判断がつきません。それより、触手を切断したあの現象と、フラワードラゴンに食べられたあのケマは?」

「…あれは私が出しました。何故か、もう使えないはずの著術で。本来の著術の力を使えば、イメージによって触手を切り裂くことも、本物のケマを出してドラゴンに食べされることも可能です。話者のイメージを文字化して共有するより多くの力は使いますが。転生者の皆さんと同じように全力さえ出せれば、それは可能です。でも……」

 第三王女はそこで言葉を止めて、悔しそうに俺を睨みつけながら言った。村の少女が第三王女に駆け寄り、ヒーリングの魔法をかける。きっと疲れていると思ったんだろう。

「でも、なぜ著術を使えるのか。それがわからない」振り絞るような声で、第三王女は言った。

「奇跡だよ! 愛の奇跡とかでいいジャン!」

「そうそう、二人お似合いだと思ってました!」

 ヒーローと村の少女がはやし立てたが、第三王女は本気で俺を恨んでいるようで、無言だった。答えたくなかったが、俺は言うしかないようだ。

「俺は、最後に第三王女と二人きりで、そのとき著術を受け継いだ。そうしたいって彼女の希望で、俺は引き受けた。さっき言った通り、彼女は再転生したらまた母親から著術の能力を受け継ぐし、自分が生まれつき著術を持ってるのは辻褄が合わないって。確かにそうだって俺も納得して。もらっても良さそうな力だったし」

 第三王女はそこで何かに気づいたように、ペーパーナイフのあるペン立てを見た。

「それで血の儀式のために指を切ろうとして、柄のところに彫刻があるペーパーナイフを手にしたら、グッドラックって彫ってあった。それで気が変わった。本当は俺の傷と第三王女の傷を合わせなきゃいけないんだろうけど、こうやって」

 左手で覆うように目線を隠して、右手で下から、グッドラック。彼女の人差し指に触ったのは、俺の人差し指と交差させた中指だ。悔しそうに、ちゃんと第三王女が、その情景を著術もしてくれた。恥ずかしそうに。

 俺は神を見た。

「我は賽を振らぬ」

 ニヤリと笑う神は、その舌を出したバカ面までナイフに彫刻してやがった。これ以上何も与えないとかよく言ったもんだ。…腹の底から笑いがこみあげてくる。

「…俺が言っていいのかわからないけど。でも子どもが初めから著術の力を持ってても、それはそれでいいんじゃないか? 親子で共作したら、きっと素晴らしい情景が描けるんじゃないかな。二人で書くのも楽しいし」

「そうですよ! お母さんと著術したら、素敵じゃないですか!」村の少女も魔法をかけ終わり、第三王女の肩を抱きながら言った。これでうまく辻褄はあっただろうか。この中の何名かは真相に気づいているかもしれないが。この場の辻褄さえ合えば、あとは大体忘れてくれることに期待しよう。

「さて。花は咲いたのか、ですが」

 そこで一同は、天井を見上げた。ケマを喰らったドラゴン花は単なる花になり、それでもまだ、五部咲きくらいだった。

「もう一匹くらい喰らわんと、満開にはならんな。…逝っとくか、作家? ガッハッハ」

「ダメです! 作家さんはもう充分、役目を果たしましたから!」

 村の少女が俺をかばってくれた。みんなが笑っている。第三王女も照れくさそうに笑った。大丈夫。再転生するってことは、もう一回生き直せるってことじゃないか。

「まだ咲かなくていいかもしれないです」

 そこでAIが不思議なことを言った。俺は黙ってその小さなロボットを見た。

「ワタシたちは転生者です。再転生する場所がある。でも、作家さんには再転生する場所はなく、明日の朝にはこの密室を出ていくでしょう? 天候次第ではありますが。だから少なくともそれまでは、一緒にここにいてもいいんじゃないでしょうか?」

 みんなが俺を気遣うようにうなずいた。

「ありがとう。それはうれしいかも」

 ワレワレは感じるのですが。

「なに?」今度はみんなが天井の宇宙生物を見上げた。

 ワレワレは転生者ですが、作家さんも転生者なのかもしれません。

「え?」

 ワレワレが特殊な電波を受信した限りでは、異世界から転生してきた第三者が、この密室を通り抜け、また元の異世界に戻っていくのを感じます。数は多くないかもしれませんが。異世界から作家さんの肉体に転生して、また元の異世界に戻っていくのも感じます。

「俺が転生されている?」

 そうです。だとしたら、それぞれの転生者がそれぞれの異世界でそれぞれの花を咲かすまで、この密室の花は咲かなくてもいいのかもしれません。いつ戻って来てもいい。咲いたら報告に来てくれるかもしれない。他の転生者の皆さんとワレワレが協力すれば、まだ未解決なワレワレの痛みや希望も解決し、いつか満開の花が咲く日が来るかもしれない。

「そうかもね。…だといいね」

 将来のことはわからないが、俺はできれば、第三王女の異世界に旅行して、親子の著術を観に行きたいと思っている。

 この密室から元の異世界に再転生したら、止まっていた時計もまた動き出すはずだ。しばし時を止め、この密室を共に過ごした転生者たちにも感謝する。一緒に花が咲くことを祈る。


  おわり

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