第8話 「血染めの戦斧」完成
「……チッ。面倒な奴らに目をつけられたもんだ」
村長たちが半信半疑、しかし明らかに恐怖の色を浮かべて去って行った後、ノアは一人毒づいた。
あの村長の怯えきった目は、今後さらに厄介事を持ち込んでくる可能性を示唆している。
だが今はそれよりも優先すべきことがある。
ノアは工房の奥、鍛冶場へと戻り、中断していた作業を再開した。
革袋から、先ほど手に入れたばかりの『怨嗟を宿す獣骨』を取り出す。
黒ずんだそれは、ズシリとした重みと共に握る手にまでビリビリとした負の気配を伝えてきた。
「……いい素材だ。これならあの斧に相応しい『魂』を込められる」
ノアは獣骨を金床に乗せ、特殊な薬液を染み込ませた布で丁寧に拭き清める。
それから小槌とタガネを使い骨の一部を粉砕し、また一部を薄く削り出した。
その粉末と削りカスを、例の『ドラゴンの憤怒』とその他いくつかの秘匿された触媒と共に坩堝に入れ、再び炉の火にかける。
グツグツ……コポコポ……。
坩堝の中身が煮詰まり禍々しい赤黒色の液体へと変化していく。
工房内に先ほどまでの異臭に加えて、魂を直接刺激するような形容しがたい圧迫感が満ち始めた。
ノアはその液体を、赤熱させていた戦斧の刃に最後の仕上げとして丹念に塗り込んでいく。
ジュウウウゥゥ……!!
これまで以上に激しい音と蒸気が上がり、刃の色が深紅から、まるで血を吸ったかのようにどす黒い赤へと変貌していくのがわかった。
そして刃の表面に刻まれた呪印がまるで生きているかのように、より一層強く、そして不吉な光を明滅させ始めた。
カン……! コン……!
最後の調整として、ノアは斧の柄頭や刃の付け根に削り出した獣骨の破片を装飾のように、しかし呪術的な意味合いを込めて嵌め込んでいく。
それはまるで斧に獣の牙や爪を与えるかのようだった。
――そして、ついに。
カツンと最後の獣骨片が嵌め込まれた瞬間。
戦斧全体から、ブワァッ!! と、これまでとは比較にならないほどの強烈な赤黒いオーラが噴き出した。
それはもはやオーラというより、凝縮された呪いそのものが形を持ったかのようだ。
工房の気温が数度下がり、壁にかけられた道具類がガタガタと激しく震え、遠くで飼われているらしい犬の悲鳴のような遠吠えが聞こえた気がした。
「……完成、か」
ノアは額の汗を拭いもせず目の前の作品を見据えていた。
そこに鎮座する「血染めの戦斧」は、まさに圧巻だった。
元々巨大だった斧身はさらに一回り大きく、そして分厚くなったように見える。
その刃は光を一切反射せず、どこまでも深い闇のような赤黒色に染まっている。
ところどころに埋め込まれた獣骨の破片は、まるで斧と一体化したかのように禍々しい紋様を描き出し、そこから赤い呪印の光が血管のように明滅していた。
そして何より斧全体から立ち上るオーラ。
それは見る者に原始的な恐怖と同時に、抗いがたいほどの破壊への渇望を抱かせる強烈な「呪い」の波動そのものだった。
ただそこにあるだけで空間が歪んでいるかのような錯覚さえ覚える。
ノアはその戦斧をゆっくりと手に取った。
ズシリ、とした重みが腕に伝わる。
だがそれはただの金属の重さではない。
怨念と、血への渇きと、そしてこれから振るわれるであろう破壊の予感が凝縮された魂の重みだった。
「ククク……これは傑作だ」
ノアの口から思わず乾いた笑いが漏れる。
これならばボルガロスも満足するだろう。いや満足しすぎるかもしれない。
その代償の重さをあのミノタウロスがどこまで理解し、御しきれるか。
その時だった。
ドン! ドン! ドン!
工房の外から以前よりもいくらか遠慮がちな、しかし紛れもないあの足音が近づいてくる。
そして壊れた扉の隙間から巨大な影がヌッと顔を覗かせた。
「ノア! 例のブツは……できたのか……?」
ボルガロスの声だ。その声には逸る気持ちと、わずかな不安が混じっている。
彼は工房の中へ足を踏み入れ――そしてノアが手にしている「血染めの戦斧」を見た。
ミノタウロスの巨大な両目が、信じられないものを見たかのようにカッと見開かれた。
その口が言葉を失って半開きのまま固まる。
「そ……それは……」
彼の本能が目の前にある武器の持つ尋常ならざる力を感じ取っていた。