第5話 素材調達の小冒険
工房の薄闇の中、赤黒いオーラを放つ戦斧は、まるで生きているかのように不気味な脈動を繰り返していた。
ノアはその前に座り込み、最後の仕上げに必要な手順を頭の中で反芻する。
(……『ドラゴンの憤怒』は馴染んだ。呪印も安定している。だが、このままだとただボルガロスの血を際限なく吸い続けるだけの扱いにくい代物にしかならん)
呪いをより強く、より指向性を持たせ、そして何よりも所有者であるボルガロスを完全に喰らい尽くしてしまわないための「鎖」が必要だった。
「チッ……やはりアレが要るか」
ノアは舌打ちし、工房の奥にある素材棚の一角を睨んだ。
そこには彼が以前に収集した様々な魔物の骨や牙、爪などが並べられている。
だが目当てのものはどうやらストックが切れているらしい。
「面倒だな……」
重い腰を上げ、ノアは壁にかけてあった古びた革の鞄を手に取った。
中にはいくつかの小瓶に入った調合済みの錬金術薬、投擲用の小さな爆薬、そして護身用の短剣などが無造作に放り込まれている。
普段工房に引きこもりがちな彼にとって、素材調達のための外出は正直なところ億劫でしかなかった。
「……仕方ない」
工房の壊れた扉(ボルガロスが蹴破ったまま放置されている)を跨ぎ、ノアは工房近くの森へと足を踏み入れた。
目指すは森の奥深くにある古い廃墟。
そこには今回の仕上げにうってつけの素材――『怨嗟を宿す獣骨』が手に入る可能性がある。
特定の魔物が強い怨念を抱いたまま死んだ際に、その骨に残留するとされる曰く付きの素材だ。
ザッ、ザッ……。
枯れ葉を踏みしめる音だけが静かな森に響く。
太陽の光も届きにくい薄暗い森の中は常に湿った空気が漂い、時折得体の知れない獣の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
「グルルル……」
不意に道の脇の茂みから涎を垂らしたゴブリンが三匹、錆びた棍棒を手に飛び出してきた。
ノアのような単独行の人間は格好の獲物に見えたのだろう。
「……邪魔だ」
ノアは足を止めず懐から小さなガラス玉を取り出し、ゴブリンたちの足元へ無造作に投げつけた。
パリンッ! と軽い音と共にガラス玉が割れ、中から刺激臭のある紫色の煙が立ち昇る。
「ギャッ!?」
「グゲェ!?」
煙を吸い込んだゴブリンたちは、途端に目を白黒させ、喉を押さえてその場に崩れ落ちた。
力な即効性の痺れ薬だ。
戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的な展開だった。
ノアは痙攣するゴブリンたちを一瞥だにせず、その脇を通り過ぎる。
無駄な力は使わず、知識と道具で効率的に脅威を排除する。
彼の戦闘とはこういうものだ。
しばらく進むと森の雰囲気が変わった。
木々の密度が増し、より一層空気が重くなる。
目的の廃墟が近いらしい。
それはかつて小さな砦だったと言われる石造りの建物だったが、今では壁のほとんどが崩れ落ち、蔦に覆われ、見る影もない。
「……ここか」
廃墟の入り口らしき場所に足を踏み入れた瞬間、ビリビリとした嫌な気配が肌を刺した。
怨念、あるいは強い負の魔力が渦巻いている。
(……やはり、いるな)
慎重に奥へと進む。崩れた石材が散乱し、足場が悪い。
しばらくして廃墟の中庭らしき開けた場所で、ノアは目的のものを発見した。
小高い祭壇のような石の上に一際大きく、そして禍々しい気配を放つ黒ずんだ獣の骨――『怨嗟を宿す獣骨』が鎮座していた。
表面にはまるで血管のように赤い筋が浮かび上がっている。
「……ビンゴだ」
ノアがそれに近づこうとした、その時だった。
ゴオオォォォッ!!
地響きと共に、獣骨の背後から巨大な影がゆっくりと姿を現した。
それは、体長3メートルはあろうかという全身が黒い鱗で覆われた狼型の魔物だった。
爛々と輝く赤い両目には知性の光がなく、ただ純粋な飢餓と殺意だけが燃えている。
その口からは絶えず腐臭を伴う黒い瘴気が漏れ出ていた。
「……ヘルハウンド、それも上位種か」
ノアは冷静に呟く。
あの獣骨はどうやらこの魔物によって守られているらしい。
小物とは明らかに違う圧倒的なプレッシャー。
ヘルハウンドはグルルル……と喉を鳴らし、ノアから目を離さずにゆっくりと距離を詰めてくる。
一筋縄ではいかなそうな相手だ。
ノアは静かに鞄に手をかけ、次の行動に備えた。
「さて……どう料理してくれるか」
その口元にはわずかな緊張と、それ以上の好奇の色が浮かんでいた。