第3話 呪いの選定
「『代償』、だと……?」
ボルガロスの顔がわずかに引きつった。
ノアの口からその言葉が出るときはろくなことにならないのを経験上知っている。
「……具体的に何をすりゃいいんだ。金か? それともまたどこぞの気味の悪い沼から光る苔でも取ってこいってのか?」
「フッ……」
ノアは、今度は隠すでもなく面白そうに喉を鳴らした。
「金や素材は成功報酬として後でしっかりもらう。ここで言う『代償』は、もっと直接的で……お前自身の問題だ」
「俺自身の……?」
ボルガロスは眉をひそめる。
ノアは立ち上がり、工房の奥、ひときわ異様な雰囲気を放つ黒いカーテンのかかった棚へと向かった。
ゴソゴソと何かを探る音。時折、カチャリ、という硬質な物音や、得体の知れない低い唸り声のようなものが微かに聞こえてくる。
ボルガロスは思わずゴクリと喉を鳴らした。
あのカーテンの奥は、この工房の中でも特にヤバい物が保管されている場所だ。
やがてノアは三つの物を盆に乗せて戻ってきた。
一つは、黒曜石のように鈍い光を放つ禍々しいデザインの篭手。
一つは、動物の頭蓋骨を加工したような不気味なペンダント。
そして最後の一つは、血のように赤い液体が満たされた手のひらサイズの水晶の小瓶。
ドン、とノアはその盆を作業台に置いた。
「さて、どれがいい」
「……どれがいい、じゃねぇよ。説明しろ、説明を!」
ボルガロスは盆の上の品々から目を逸らしつつ叫んだ。
どれもこれも見た目からして呪われてそうだ。
「まあ、そう焦るな」
ノアはまず黒曜石の篭手を取り上げた。
「これは『魂喰らいの篭手』。試作品だ」
彼は篭手をボルガロスに見せつけるように掲げる。
篭手からは微かに冷気が漂っているように感じられた。
「効果は絶大だ。装備すれば、お前の腕力は今の三倍以上に跳ね上がる。さらに、傷を負っても瞬時に再生する自己修復能力も付与される。あのグリフォンの再生力とやらに十分対抗できるだろう」
「なっ……! それは本当か!?」
ボルガロスの目がカッと見開かれた。
腕力三倍、自己修復。まさに今の彼が求めている力だ。
「おい、それだ! それがいい! 今すぐそれをよこせ!」
「待て。まだ『代償』の話を終えていない」
ノアは冷ややかにボルガロスの興奮を制する。
「この篭手は文字通り装備者の『魂』の一部を喰らう。使うたびにお前の生命力、いや存在そのものが希薄になっていく。長時間使えばいずれ廃人になるか、最悪……消滅する」
「ひっ……!」
ボルガロスは顔を真っ青にして後ずさった。
「い、いらねぇ! そんなモン使えるか!」
さっきまでの勢いはどこへやら、ぶんぶんと首を横に振る。
「だろうな」
ノアは表情一つ変えず篭手を盆に戻し、次に頭蓋骨のペンダントを指差した。
「次はこれだ。『狂戦士の首飾り』。これは装備者の闘争本能を極限まで高める。痛みを感じなくなり、疲労も忘れ、ただひたすら敵を殲滅するまで戦い続けることができる。いわゆるバーサーカー状態だな」
「おお……?」
ボルガロスは少し身を乗り出す。痛みがなくなり、疲れ知らず。それも魅力的だ。
「代償は?」
「理性を失う」
ノアはこともなげに言った。
「敵味方の区別がつかなくなり、目の前の動くもの全てを破壊し尽くす。お前の強大な力でそれをやらかしたら……まあ、味方がいればの話だが大惨事になるだろうな。そして効果が切れた後は、数日間、虚脱状態から抜け出せなくなる」
「……うぐぐ」
ボルガロスは唸った。
それはそれで使いどころが難しそうだ。味方を巻き込むのは避けたい。
「他のはないのか、もっとこう……マシなやつは!」
「マシかどうかは、お前が決めることだ」
ノアは最後に、血のように赤い液体が入った小瓶を手に取った。
「これが最後の手持ちだ。『血染めの戦斧』を鍛え上げるための触媒……いわば呪いの核となる秘薬、『ドラゴンの憤怒』だ」
小瓶を軽く振ると、中の液体が妖しく揺らめいた。
「これを使ってお前の武器――戦斧がいいだろう――を鍛え直す。完成した武器は、お前自身の血と生命力を糧に凄まじい破壊力を得る。振るうたびに切れ味が増し、敵の魔力防御すら切り裂くだろう。グリフォンの硬い鱗も、再生する肉体も、まとめて断ち切れるはずだ」
「血と生命力を糧に……?」
ボルガロスは訝しげに聞き返す。
「ああ」ノアは頷く。「武器がお前の血を吸い力に変換する。使えば使うほどお前は消耗するが武器の威力は青天井だ。だが、気をつけろ。この呪いは武器に血の渇望を与える。一度戦闘で血を吸わせれば、武器はさらなる血を求めてお前を煽り、支配しようとするだろう。もしお前がその渇望に負ければ……」
ノアはそこで言葉を切り、ボルガロスの顔をじっと見た。
「武器がお前を喰らうか、お前が血に狂った破壊者となるか。そのどちらかだ」
工房に重い沈黙が落ちる。
ボルガロスは額に脂汗を滲ませながら、盆の上の三つの選択肢――というより三つの呪いの入り口を睨みつけていた。
魂を喰われる篭手、理性を失う首飾り、そして血に狂う可能性を秘めた戦斧の核。
どれもこれもまともな代物ではない。
だが、あの忌々しいグリフォンの素早い動きと、何度叩いても再生する姿が脳裏をよぎる。
このままでは埒が明かない。
そして、四天王としてのプライドが敗北を許さない。
ノアは黙ってボルガロスの決断を待っている。
その灰色の瞳は、まるで高価な品定めをする商人のようにボルガロスの葛藤を楽しんでいるかのようにも見えた。
「…………」
ボルガロスは太い腕を組み、唸り声を上げ続ける。
やがて意を決したように顔を上げた。
その目には悲壮な覚悟とわずかな狂気が宿っている。
「よし……!」
ボルガロスは血のように赤い液体が入った小瓶を指差した。
「その……『血染めの戦斧』とやらに、賭けてみるか!」
その声は決意に満ちていた。
「俺の血と魂で、あのクソ生意気なトカゲ鳥を八つ裂きにしてくれる!!」