第1話 辺境の工房と最初の客
本日は複数話投稿予定
ザァァ……。
風の音。それ以外には何も聞こえない。
ここは王国北方の辺境地ミルウッド村のはずれ。森との境界線に、工房「呪いの装備工房 アッシュフィールド」はひっそりと、まるで世捨て人のように佇んでいた。
工房の主は、ノア・アッシュフィールド。若き錬金術師だ。
今、彼は作業台にかかりきりだった。
色褪せた金髪を無造作に後ろで束ね、灰色の瞳は手元の乳鉢に集中している。
パチッ……。
乳鉢の中の黒紫色の液体が、時折小さな火花を散らす。鼻を突く硫黄の匂いと、甘ったるい腐臭が混じった奇妙な臭気が、工房の空気に重く漂っていた。
いつも通りの汚れたエプロン。また新しい染みが一つ、増えている。
チリン……。
風が工房の扉を揺らし、頼りない鈴の音が鳴った。
だが、次の来訪者は、そんなか細い音とは無縁だった。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
「ん……?」
ノアの眉が、ピクリと動く。
地響きだ。それも、かなり近い。
床が、棚が、ガラス器具がカタカタと不協和音を奏でる。
ドシン! ドシン! ドシン!
「……またか」
ノアは小さくため息をつき、作業に戻ろうとした。
だが――
バァァァン!!
凄まじい破壊音。
工房の貧相な木の扉が、蝶番から吹き飛び、内側へ向かって派手に転がった。
土埃がもうもうと舞い上がり、入口に巨大な影が立つ。
「オイ! ノア! いるかァ!!」
腹の底から響くような、怒声に近い大声。
影が工房へ一歩踏み込む。
ズシンッ!
床が軋み、天井からパラパラと乾いた土が落ちてきた。
赤銅色の毛皮。天を突く巨大な二本の角。筋骨隆々たる、山のような巨躯。
魔王四天王の一角、「豪腕」のボルガロスだった。
「……」
ノアは、ちらりと視線だけを向けた。そして、また手元の作業へ戻る。
スポイトで慎重に試薬を吸い上げ、乳鉢へ――
「オイ! 聞こえてんのか、コラァ!」
ガンッ! とボルガロスが近くの作業台を拳で叩く。
幸い、そこには頑丈な鉄塊しか置いていなかった。
「てめぇの工房は、客への挨拶もなしか!?」
「……扉を壊すのが挨拶か、ミノタウロス」
ノアの声は、抑揚がなく平坦だ。顔は上げない。
「弁償は期待している」
「あァ? この程度、風でも壊れるだろうが!」
ボルガロスは悪びれもせず、蹴破った扉の残骸を足で小突いた。
「それよりノア! 緊急の用件だ! さっさと手を止めろ!」
「……今、手が離せない。見てわからないか」
ピチャ、と最後の一滴を垂らし終えたノアは、乳鉢の中身が安定するのを待つ。
「わかるか、そんなゴチャゴチャしたもん!」
ボルガロスは工房の中を見回し、顔をしかめる。
「相変わらずだな、この犬小屋は。埃っぽいし、変なモンばっかり転がしやがって」
床に転がっていた『眉毛だけが燃える呪いの小手』の残骸を、ボルガロスは巨大な蹄でガリッと踏んだ。
「ん? なんか踏んだぞ」
「……それは以前、お前が持ち込んだ依頼の失敗作だ」
ノアは淡々と言う。
「正確には、『絶大な威力を誇るはずが、なぜか使用者の眉毛だけを綺麗サッパリ焼き払う呪いの小手』だったか」
「そ、そうだったか……? ああ、アレか! おかげでしばらくマヌケ面になったやつか!」
ガハハ、とボルガロスは豪快に笑うが、すぐに真顔に戻る。
「いや、そんな昔話はどうでもいい! 今日の俺は機嫌が悪いんだ!」
ドカッ! とボルガロスはその場に腰を下ろそうとして、手頃な大きさの樽に尻を乗せた。
ミシッ……バキィッ!!
樽はボルガロスの体重に耐えきれず、無残に砕け散った。
中から、乾燥させたカエルのようなものがバラバラと飛び散る。
「……それは貴重な『呪声ガエル』の干物だったんだが」
ノアがようやく顔を上げ、ボルガロスを睨む。その灰色の瞳には、明確な非難の色が宿っていた。
「知るか! 小せえこと言うな!」
ボルガロスは尻についた木片を払いながら立ち上がる。
「こっちはな、魔王四天王様だぞ! もっと敬意を払え、敬意を!」
「……客に敬意を払う前に、工房の備品に敬意を払ってほしいものだな」
ノアはため息をつき、ようやく乳鉢から手を離した。どうやら一段落ついたらしい。
「それで? 四天王様が、こんな辺境の『犬小屋』に何の用だ。また厄介事か?」
「うぐっ……」
ボルガロスは一瞬言葉に詰まる。図星らしい。
「や、厄介事というか……まあ、その……なんだ……」
さっきまでの威勢はどこへやら、急に歯切れが悪くなる。
その巨体に似合わず、視線をあちこちに泳がせた。
ノアはじっとボルガロスを見つめる。
このミノタウロスが工房に来るときは、大抵ろくなことにならない。
だが、彼が持ってくる依頼は、ノアの錬金術師としての探求心を刺激するものでもあるのだ。特に、「呪い」という禁忌の領域においては。
「……金がないなら、帰ってくれ。うちは慈善事業じゃない」
「金ならある! ……たぶん」
「たぶん、か」
ノアは肩をすくめた。
「で、用件は?」
ボルガロスは、ゴホン、と一つ咳払いをした。
そして、苦虫を噛み潰したような、あるいは、ひどく便秘に悩んでいるような複雑な表情を浮かべた。
「ノア……」
その声は、先ほどまでの怒声とは打って変わって、妙にしおらしい。
「また……お前の、その、なんだ……変な知恵を借りたい」
言葉を選びあぐねている様子が、その巨体と裏腹にどこか滑稽だった。
「頼む! 今回ばかりは、お前の力が必要なんだ!」
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