第8話 不機嫌な袋小路さん
それから1か月ほど経った。
その間、納車して間もないはずのCRF250Lに、僕はほとんど乗れていなかった。
理由は単純で、「梅雨」が邪魔したからだった。
夏は暑い、冬は寒い、雨が降れば面倒になるし、風が強ければ流される。
そうした様々な「困難」を考慮してもなお、「楽しい」と思える人しか、本当の意味でバイクを楽しめないのだ。
梅雨の晴れ間のほんの少しの間だけ、近場に少しだけ走ることはしていたが、僕は悶々とした日々を送っていた。
それは、「バイクに乗れない=袋小路さんとの接点がなくなる」ことに対する恐怖でもあった。
僕と袋小路さんを繋ぐもの、それは「バイクしかない」からだ。ある意味、非常に脆い関係とも言える。何かの拍子でどちらかがバイクを降りた場合、この関係はあっけなく崩れるだろう。
そんな状態のまま、7月中旬。
その間、僕と彼女は全くと言っていいほど、一緒にツーリングには行っていなかった。
ようやく関東で梅雨明け宣言が発表された。
僕は、天気予報を見て、勇み立っており、早速、スマホのショートメッセージを使って、袋小路さんにメッセージを送った。
―袋小路さん。今度の日曜日、晴れ予報なので、どこかにツーリングに行きませんか?―
と。
しかも、返信は割と早く、
―いいよ―
と帰ってきたので、僕は喜び勇んで、その日を待ち望むことになった。
ところが。
日曜日の朝。バイクが置いてある駐輪場に行くと。
そこに立っていたのは、バイクに乗る格好をまったくしておらず、ラフな、というよりももうパジャマみたいな部屋着と言っていい、ピンク色のスウェット上下を着て、ボサボサの髪のまま、化粧っ気のない顔で出てきたばかりの、眠そうな袋小路さんだった。足にはサンダルのようないわゆるクロックスを履いていた。
「袋小路さん。おはようございます」
しかも、僕が挨拶をしても、彼女は気だるそうに、
「ああ、おはよう」
とだけ返してきて、どこかダルそうというか、やる気をまったく感じないような態度だった。
「今日のツーリング、楽しみです」
しかし、そう元気な声を上げた僕が耳にしたのは、最も聞きたくはない言葉だった。
「ああ、ごめん。今日、行けない」
「えっ? どうしてですか?」
「どうしても」
「何でですか? 理由を教えて下さい。僕、楽しみにしてたんですよ」
食らいつくように、彼女を引き留めようとする僕に、袋小路さんは残酷とも言える一言を浴びせてきた。
「だから、どうしても」
「理由を聞けないなら、納得できません」
「しつこいなあ。行かないったら、行かない。じゃあね」
そのまま眉間に皺を寄せ、彼女は立ち去って、マンション入口の方に歩いて行った。
「ま、待っ……」
と言いかけて、僕は思い出して、口をつぐんでいた。
―亜里沙の嫌いな物―
―しつこい男、だって―
西部さんに言われた一言が頭の中で、反芻しており、僕はその場を動けなくなっていた。
結局、予想外の反応に戸惑い、僕はショックを受けて、その日のツーリングは取りやめにして、一旦、自分の部屋に戻った。
そして、スマホを何となく眺め、袋小路さんの言葉を思い出して、改めてショックを受けていた。
今日の袋小路さんについて、僕は思うのだった。
(明らかに不機嫌だったな。僕、何もしてないはずだけど)
思い当たる節は何もない。なのに、彼女がやたらと不機嫌。
少しでも気になる異性がいると、こうした態度を取られると、妙に気になってしまうものだ。
その時、僕は思い出していた。
(そういえば、西部さんの連絡先、知ってるんだった)
初めて教室で会った時、ついでじゃないけど、西部るみかの電話番号も聞いていたのだ。ついでに、彼女は通信アプリのLIMEもやっており、そっちもお互い交換していた。
一応、
―亜里沙のことで、何かあったら相談して―
とは言われていた。
迷うことなく、僕は西部るみかのLIMEにメッセージを送っていた。
―袋小路さんのことで話があります。今日、時間ありますか?―
と。
しばらくして、
―OK。12時に京八駅前に来て―
あっさりと連絡が来たのだった。