第3話 林道の先
ということで、急きょ、僕は週末の土曜日に、袋小路さんとツーリングに行くことになった。
天気予報は、晴れ後曇り、気温が20度前後という、いかにも春らしい、バイクで走るにはちょうどいい気候。
待ち合わせは、同じ寮に住んでいるから、もちろん駐輪場。
しかも連絡先も知っているから、遅れればメッセージを送るか、直接家に行けばいいだけ。
気軽に出かけられるという意味では、同じ大学生、同じ寮というメリットがあった。
そして、約束の午前5時半。
「ふああ。眠い」
普段、この時間は間違いなく、深い眠りの中に落ちている、僕が寝ぼけ眼をこすりながら、ジェットヘルメットを持って、薄いジャケットを着て、駐輪場に向かうと。
「おはよう、瀬崎くん」
瀬崎《《くん》》?
いつもと違う、そして妙に張り切った声に、彼は声がした方に注目する。
赤茶色のライダースジャケットに、下はジーンズ姿。いつものように白いオフロード用のフルフェイスヘルメットを小脇に抱え、早くもやる気満々で、自分のバイクを触っている、袋小路さんが立っていた。
「おはようございます、袋小路さん」
「じゃあ、早速行きますよ。ついて来て下さい」
言うが早いか、ヘルメットをかぶり、エンジンをスタートさせる袋小路さん。
慌てて、自分のスクーターにまたがり、ヘルメットをかぶってエンジンをかける僕。
袋小路さんが乗る、Vストローム250SXは、もうはるか彼方に消えていた。
その後の走行は、もちろん、125ccで高速道路に乗れない、僕のために、下道だけで彼女は房総半島を目指して行くのだが。
1時間くらい経って。
途中の幹線道路沿いのコンビニに彼女は立ち寄った。
そこで、軽くコーヒーとおにぎりを買って、バイクにまたがりながら、彼女は美味しそうにコーヒーを口に含み、おにぎりを頬張っていた。
その横顔を見つめながら、同じくコーヒーを飲んでいる彼女に、僕は問いかけた。
「あの、袋小路さん」
「何かな、瀬崎くん」
「いや、別にいいんですけど……」
と前振りをしつつ、僕はそれとは別に気になったことを尋ねていた。
「袋小路さんって、2年生ですよね?」
「そうですよ」
「じゃあ、僕より1個上ですね。別に敬語使わなくていいですよ」
そう告げると、彼女の表情が目に見えて明るくなった。
「そっか。じゃあ、遠慮なく。休んだら、出発だぞ。ついてこい、瀬崎隊員」
(《《隊員》》?)
もはや自分が、彼女にとってどんな存在なのか、疑問に思いながらも、僕はついて行くのだった。
そして、都内を横断し、渋滞に巻き込まれながら、2時間あまり後。
(えっ。ちょっと袋小路さん)
僕は驚いて、思わず二の足を踏んでいた。
その場所とは、房総半島の中央部。小湊鉄道の月崎駅に近い、細い道で、車はすれ違うのも困難というより、そもそも車が入れないような、「林道」だった。
(袋小路さん。林道は行かないって言ってなかったっけ)
そう思いつつも、インカムを持っていなかった、僕は黙ってついて行くしかなかった。
道は細く、ガードレールなどはもちろんないが、幸いそこは道の両脇が崖などではなく、もし万が一道から逸れても、死ぬことはないと思われた。
ただ、林道というだけはあり、路面状態は決してよくなく、ヌタヌタとした泥のようなものが道に溜まっており、下手をして滑って転倒すると、大変なことになりそうな道だった。
そして、やがて10分ほども走ると。
(おおっ! 何だこれ)
目の前に現れた、大きな素掘りのトンネルに、僕は目を見張った。
ちょうど、トンネルの周りが天然の土壁のような壁に包まれ、自然の中にぽっかりと開いた、不思議な素掘りトンネルが、その威容を現す。
辺りには、鳥の鳴き声くらいしか聞こえない静寂の空間。
そんな中、エンジンを切った、袋小路さんが、自らのバイクをトンネルの真ん中に寄せ、スマホで写真を撮っていた。
僕もバイクを降り、近づいて、声をかける。
「袋小路さん。ここは?」
「月崎トンネル。房総半島には素掘りトンネルが多いんだけど、ここは美しいよ」
林道を走らないはずのツーリングが、最初から林道を走り、そして、この感動する光景に出会った。
僕は、袋小路さんの恐らく意図的な「計画」に騙された形になったが、この意外な展開にむしろ感謝するのだった。
さらに、旅は終わらなかった。
その後、今度は別の林道に入って行く、袋小路さん。
さすがに、林道初心者で、しかも小型スクーターの僕のことを考慮して、がっつりとしたダートの林道は避けてくれたようだが。
今度もまた、狭い道幅と、苔むした落ち葉が目立つような、名もわからないような林道に連れて行かれる僕。
なんとかついて行くものの、さすがに排気量が2倍も違うので、僕はついて行くのがやっとだった。
そして、今度は山肌を縫うように登って行き、少し開けた見晴らしがいい場所で、彼女はバイクを停めた。そこにはちょうど、風景に埋もれ、忘れられたように佇む、東屋があった。
彼女は、手にバーナーや袋麺、ペットボトルを持ち、そこに歩いて行った。
同じようにバイクを停め、風景を眺めながら、彼女に続く僕。
千葉県の房総半島には高い山がない。ないのだが、低い山の上から山や森、丘を眺めることが出来る場所がたくさんある。
その中の一つ。房総半島の南側にある、林道の先、山の上の東屋で、彼女は準備を始めた。
何をしているのか、と僕崎が気になって覗くと、東屋の木のテーブルの上にはバーナーに袋麺が二つ。そして、1リットルのペットボトルのミネラルウォーターだった。
どうやら彼女がわざわざ用意してくれたらしい。
時刻はちょうど昼時。
「もしかして、ここで?」
「そう。今日は天気もいいし、外で食べると美味しいよ」
「ありがとうございます」
例を告げると、彼女は微笑んだ。
彼女は手慣れていた。恐らくキャンプの経験があるのだろう。
テキパキと水をコッヘルに入れると、バーナーにライターで火をつけ、後は待つだけ。
ただし、小型バイクに持ち込んだバーナーとコッヘルのため、一度に二人分の食事は作れない。
やがて、コッヘルの中の水がぐつぐつと煮立ってくる。
「はい。お先にどうぞ」
「ありがとうございます」
彼女から手渡されたのは、そのコッヘル。どこにでもあるカレー味の袋麺。それと、割り箸だった。
3分待っている間に、彼女は自分の分も用意する。
そして、実際に食べてみると、
「美味しいです。自然の中で食べるだけで違いますね」
「でしょでしょ。君もこの楽しさに目覚めるかな」
嬉しそうに破顔しながら、彼女は自らのラーメンのために準備を始めるのだった。
考えてみれば、同じコッヘルを使っているので、これは言わば「間接キス」になるのだが、普段の暗い感じの彼女からは想像ができないほど、この時の彼女は生き生きとしていた。
その後、一旦林道を離れ、道の駅に寄ったり、帰り際に食事を摂ったりしながら、帰り道もゆっくりと下道で帰ることになった。
これが、彼女との初めてのツーリングであり、ある意味、「デート」でもあった。
どこか、浮世離れしていて、不思議な女性、袋小路亜里沙。
僕と袋小路さんのツーリングはまだ始まったばかりだった。