第24話 彼女の世界
出逢いがあれば、別れもまた必然的にある。
しかし、それがある日、唐突に訪れると、人は必ず動揺する。
何千年も繰り返されてきた人の摂理だが、僕にとって、それはあまりにも唐突だった。
「えっ。袋小路さんがいない、ですか?」
それはある土曜日に、寮で昼飯を食べていた時のことだった。
年が明けて2月に入り、2週間ほど経った頃。僕たちはいつものような大学生活に戻ったが、実はしばらくの間、僕は大学で袋小路さんの姿を見かけなかった。骨折から復帰してからは大学にも来ていたのだが。
それどころか、寮でも姿を見かけなかった。
もちろんバイク、つまり彼女の愛車でもあるスズキ Vストローム250SXの姿もなくなっていた。
普段は、学校に通って、昼休みも学校で昼食を食べることが多い僕だが、土日はたまに寮の食堂を利用する。
そこで、同じ寮に住む、男女が会話をしていたのだ。
彼らは、袋小路さんとも親交があるらしい。もっとも僕とはほとんど交流はなかったが。
先ほどの会話は彼らがしていたことで、僕はそれを聞いて、居ても立っても居られず、聞き返していたのだ。
「そう。最近、全然見ないからおかしいなと思って、寮長からスペアキーを借りて、彼女の部屋に入ってみたの。そしたら、もぬけの殻だったわ」
そう説明したのは、袋小路さんと同学年、同学部に所属する、大学2年生の女子で、彼女とは部屋が隣同士だという。
まるで人の気配がしない隣室に、先日から不審な気持ちを抱いていたらしい。
ちなみに、部屋の鍵に関しては、袋小路さんはわざわざ鍵をかけてからドアの下から部屋に入れていたという。つまり、部屋の中に鍵だけあった状態らしい。
荷物は元々少なかったのもあるが、いつの間にか運び出したらしい。
「もぬけの殻? 袋小路さん、一体どこに行ったんですか?」
慌てた調子、というよりも、鬼気迫る勢いで、僕は身を乗り出して聞いていたらしい。
聞かれた彼女たちの方が驚いていた。
「し、知らないわ。だから探してるのよ」
これでは、埒が明かないし、進展はない。
そう判断した僕は、昼食を食べながらも、内心、不安な気持ちで、真っ先に彼女の親友でもある、西部るみかへLIMEメッセージを送った。
―袋小路さんはどこに行ったんですか?―
と。
いつもは、僕がメッセージを送ると、遅くとも2時間、早ければ5分もしないうちに返してくる、西部さん。
しかし、その日は異様なほど返信が遅かった。
「ちっ」
埒が明かない。僕は苛立っていた。
おまけに、袋小路さん本人にも、LIMEメッセージで、
―どこにいるんですか?―
と送ったが、既読にすらならなかった。
一応、先程の女子が言ったように、念のために僕も寮長からスペアキーを借りて、袋小路さんの部屋を覗いて見た。あの女子が嘘をついているとは思えなかったが、自分の目で確かめたかったからだ。
そこには、生活感のかけらもない、ただ無に近い、白一色のがらんとした空間だけが広がっていた。
何も告げずにいなくなった、袋小路さん。
僕は、すぐさま西部さんに連絡を取った。LIMEによる通話機能を利用した。
「はい」
電話口の彼女からは、いつもの明るさは感じられず、どこか暗い声音が聞こえてきた。
「瀬崎ですけど」
「瀬崎くん。どうしたの?」
「どうしたの? じゃないですよ。袋小路さんはどこに行ったんですか?」
僕が、強い口調で尋ねると、彼女は恐れていたかのように、弱々しい声を上げたのだった。
「瀬崎くん。実は亜里沙は……」
「何ですか?」
苛立たしいというか、もはや1分1秒すら惜しい思いで、僕は電話口で大きな声を出す。
すると、
「旅立つんだって」
一瞬、それが嫌な意味での「旅立つ」だと勘違いしそうなくらい、否定的な意味に思えた。
そう。この世から「旅立つ」のかと思ったのだ。
だが、幸いなことに、それは違っていた。
「どういうことですか?」
尋ねると、彼女は喉の奥から絞り出すように、残念そうな声を上げた。
「私のところに亜里沙からメッセージがあったんだ。あの子は、大学を退学して、世界に旅立って、冒険家として生計を立てるって」
「そんなバカな!」
思わず声を上げており、電話超しに西部さんが驚く、小さな声が聞こえた。
「瀬崎くん。無茶なお願いだと思うけど、あの子を止めてくれない?」
「えっ?」
「明日、7:56発、キャセイパシフィック航空、香港行き、UX0857便。それに乗るって」
「何を考えてるんですか、あの人は?」
少し怒りの感情すら湧いてくる僕は、彼女に裏切られたとさえ思うのだった。
込み上げてくる感情を、無関係の西部さんにぶつけるようにしゃべっていた。
「わからない。けど、相当な決心だと思う」
「じゃあ、何で僕たちに一言も相談がなかったんですか?」
「知らないわ。私だって何も聞かされてない」
彼女もまた、悲しいということはわかるのだが、唐突すぎて僕の感情の整理が追い付いていない状態だった。
「そもそも今、どこにいるんですか?」
「それがわかれば、とっくに追いかけてるよ」
「スマホは?」
「電源が落ちてる」
「クソっ。わかりました」
「あっ」
何か言いかけた西部さんを放っておいて、僕は慌てて電話を切った。
そして、苛立つ感情と、同時に悲しい感情、言いようのない複雑な感情をごちゃまぜにしながら、彼女のことを思うのだった。
(一体、今頃、どこにいるんだ、袋小路さん。そして、何を考えているんだ。僕の存在は、袋小路さんにとって、その程度だったのか)
と。
こんな大事なことを何も相談してくれない彼女。
僕は悲しかったし、納得はしていなかった。
だが、同時に貴重な情報をくれた、西部さんには感謝していた。
恐らくだが、親友である西部さんにだけは、袋小路さんは何かを打ち明けたのだろう。
それを僕には口止めしていたのかもしれない。
そもそも朝の7時56分発の便というのが、異常だ。
通常、海外に行くなら、空港に2時間前には着いて、各種の手続きをする必要がある。チェックイン、手荷物検査、出国手続きなどなど、国内便より時間がかかる。
なので、7時56分発なら、早朝の5時台に成田空港に到着しないといけない。八王子にある寮からその時間に朝から行くのは、物理的に無理がある。
つまり、彼女は成田空港近くに宿を取り、翌朝早くに旅立つつもりなのかもしれない。
だが、それでも僕は一言、言いたかった。彼女にだけは。




