第22話 台湾ツーリング(PART 5)
台湾ツーリング2日目後半。
台湾第二の都市、高雄を通過。
台湾本島最南端にある岬を回り、この旅も折り返しとなる。
台湾の東側に入ると、さらに野趣に富んだ景色が広がる。
東部にある、台東にて。
「何、これ。真っすぐ!」
先頭を行く彼女がバイクを停め、降りてヘルメットを脱いで、はしゃぎながら、写真を撮っていた。
僕も同じようにバイクを停める。
そう。そこに広がっていたのは、坂の向こうに広がるひたすら真っすぐな直線。地平線が見えるような、鮮やかな直線道路だった。
まるで北海道を思わせるような大陸的な直線道路。そこに感動して、袋小路さんも僕も写真を撮る。
北海道にある直線と違うのは、住宅街が広がる、その先に地平線が見えることだったが。
初めて来た場所だし、ガイドブックにも載っていない、むしろ観光地でもない場所。
僕は気になって、劉さんにメールを写真つきで送ってみることにした。
その返信が来るまでの間に、先に進む。
やがて、来た返信を、コンビニでの休憩中に袋小路さんにも紹介しながら見ることにした。
「台九線關山鹿野段だそうですよ。台湾で一番長い14キロの直線道路なんだそうですよ」
「へえ。北海道みたいね」
「袋小路さん。北海道、行ったことあるんですか?」
「うん。父に連れて行ってもらったことがあるよ」
「いいなあ」
僕は、いまだ見たことがない北海道の地に思いを馳せていた。
その後、台東から花蓮へ。
花蓮で、もう一泊することになる。もちろん、恋人同士でもない僕たちは、別々の部屋に泊まったのだが。
翌朝。朝食代わりに、宿近くのコンビニで色々と買ってきた彼女と、宿のロビーで軽い朝食を摂った時のこと。
「豆漿って書いて、豆乳か。うーん。日本人的には何だか気持ち悪い名前ね」
そんなことを口にしながら彼女はストローで豆乳を飲んでいた。
「何故ですか?」
「知ってる? あのね、日本語には脳漿って字があってね、脳室、つまり脳の内部の空間を満たす液のことを指すの。脳脊髄液とも言うんだけどね」
「へえ。だから」
妙な雑学を知っている人だと思うのだった。
その後、一気に北へ行って、有名な九份へ。
台湾随一の一大観光地と言っていい有名な土地で、斜面に築かれた街の中に、所狭しと様々な飲食店や土産物屋が立ち並ぶ。別名は「九份老街」とも言う。
日本でもアニメ映画の舞台になったことで知られるが、実際に行ってみると、なかなかすごい山の上に街があり、狭い路地や階段が多く、観光客が多いと、道ですれ違うのも大変なレベルになる。
ともかくここで、僕たちは休憩がてらにランチを取ることになった。
ここでは、台湾でも人気があるという、鳳梨酥(=パイナップルケーキ)を食べながら、日式の紅茶を飲んで、くつろいだ僕たち。
台湾一周まではあと少し。このまま海岸沿いに進み、基隆から新北を回れば、あっという間に台北に着いてしまう。
その後は、バイクを返して一泊して帰るだけになる。
名残惜しいので、僕はここで外を歩く無数の観光客を眺めながら、改めて彼女との貴重な時間を楽しむことにするのだった。
「前から聞きたかったんですが、何で、袋小路さんは、いつもオフロードばかり走ろうとするんですか?」
今さらながら根本的なことに突っ込んでいた。
「オンロードがつまらないわけじゃない、って前に言ってましたけど、結果的にいつもオフロードですよね」
ついでに、僕は思っていたことをこの際だからぶつけてみた。
すると、彼女は口元に微笑を浮かべ、
「そうだね」
と言ってから、切り出した。
「日本のオフロードなんて全然大したレベルじゃないよ」
と。
僕にとっては、全然大したレベルなんだが、それはともかく話の続きを聞いてみることにした。
「私は、小さい頃から父のバイクに乗せてもらってたってのもあるんだけど、実は海外でもバイクに乗せてもらったことがあるんだ。まあ、小さかったから運転したことはないけどね」
「へえ。そりゃすごいですね」
「海外の道路事情って、日本ほど良くないんだ。デコボコの道だらけだし、日本みたいに道路自体にきっちりお金をかけないから、メンテもしない。まあ、早い話がどこもオフロードみたいな道ばかりなの」
「それで?」
「うん。いつか私が海外に自分の足で行って、自分のバイクで走る時に、少しでも役立つかもしれない。そう思って、せめて国内ではオフロード中心に走って、勘を養おうと思ったんだ」
その口ぶりで、僕は薄っすらだが、気づいてしまうのだった。
やはり、彼女の「目」はすでに世界に向かっている、と。
この狭い日本では、彼女のような変わり者で、スケールの大きい人は合わないのかもしれない。
だが、同時に、彼女が世界に行くことは「僕と離れる」ことを意味している。
そのジレンマというか、二律背反のような状態が僕を苦しめることになる。
つまり、①彼女が世界に旅立つ=彼女と別れる。②彼女と一緒にいたい(彼女が世界に旅立たない)=彼女と別れないが、彼女の可能性を詰む。ということになるからだ。
「応援したい」とわざわざ口に出して言った以上、僕が取るべき選択肢は①しかないのだが、それでもどこか割り切れない物はあった。
結局、この命題の答えが出ることなく、僕たちは無事に台湾一周ツーリングを終えて、最後にレンタルバイク屋にスクーターを返却して、改めて清算した。
運が良かったのか、それとも事前に劉さんがしっかり交渉してくれたのか、追加料金を請求されるようなトラブルもなく、僕たちは最後の夜として、今度は台北市内の別の夜市に行くことになる。
台湾を満喫して、そして、さらに翌日。
台湾桃園国際空港に、再度、劉さんと黄さんがやって来た。
彼らは、僕たちに台湾での旅行の感想を聞き、色々と教えてくれた上に、最後には、搭乗ゲート近くまで見送ってくれるのだった。
「再見!」
「また会おう」という意味で、再見。
僕たちは、台湾に別れを告げたのだった。
一応、日本に戻る飛行機の中で、袋小路さんは照れながらも、
「ありがとう」
と、告げるのだった。
「何がですか?」
「台湾でのツーリングについて、全部瀬崎くんが手配してくれた。助かったわ」
「そんなこといいですよ。袋小路さんのためですから。それに僕も袋小路鷹志さんからお金を出してもらったので、これくらいは全然。お父さんにありがとうございます、と伝えておいて下さい」
「……うん、わかった。本当に、ありがとう」
少し照れ臭そうに目を逸らしながら、それでも精一杯の感謝の気持ちを伝えてくる彼女の姿が、とても可愛らしく思えた。
この旅がきっかけで、僕と彼女の仲は進展した気がしたのだが、二人の未来は、意外な方向へと進んで行くことになる。




