第19話 台湾ツーリング(PART 2)
4泊5日の台湾ツーリングが始まった。
劉さんと黄さんは、僕たちをわざわざ桃園空港まで迎えに来てくれて、そこから、予約したホテルまで案内してくれるという。
桃園空港から台北市内までは、MRT(地下鉄)で直通で行けるので、交通の便はいい。
ちなみに、台北には台北松山空港という空港もあり、そちらの方が市街地に近い。
地下鉄の中で、僕は思わず黄さんと話す機会を得たのだが。
残念なことに、彼女は劉さんほど日本語が達者ではなかった。かろうじて話せる程度で、あまり流暢には話せない。
「黄さん。士林夜市に行きたいんだけど」
「士林夜市? MRT、劍潭駅近く」
笑顔で答える彼女が、何とも可愛らしくて、他人の彼女とはいえ、僕はドキドキしていた。
台湾には、可愛い女の子が多い、と聞いたことがあるが、幸先のいいスタートだと思った。
ガイドブックを開き、これが食べたい、と僕が指差したもの。
それは、
「魯肉飯? どこでもある」
綺麗な発音の中国語、というより台湾華語と、片言の日本語で彼女は答えてくれるのだった。
その日、予約したホテルは、思ったより豪勢なホテルで、もちろん僕と袋小路さんの部屋は別々だったが、快適に過ごせるのだった。
荷物を下ろした後、早速、僕たちは台北で最も有名な夜市、つまりナイトマーケットに行くことになり、劉さん、黄さんに案内してもらうことになったのだが。
その前に、僕たちは、ある意味、台湾の「洗礼」を浴びることになる。
ものすごい数のバイクの群れ。いや、スクーターの群れが、信号機待ちをしていた。
そう。時刻はちょうど、夕方の18時頃になっていた。
通勤をする人間にとって、一日の終わり、これから帰宅ラッシュの時間だった。
そして、台湾特有の「ラッシュ」の光景がそこに広がっていた。
―グォオオオオーン!―
それら無数の、もはや何台、何十台いるのかもわからないような、大量のバイクの「群れ」が信号機が変わったと同時に、一斉に爆音を響かせて動き出した。
その様は、圧巻で、もうもうと煙る排気で、辺りが煙るほど。そして、猛烈な爆音が鳴り響く。さらにクラクションまで響く。
(うるさい)
と思えるほどの強烈な音。
これこそが、台湾をはじめとする、特に東南アジア諸国では有名な「バイク通勤」の光景だった。
結局、士林夜市で、目当ての魯肉飯(滷肉飯とも)を食べることが出来た僕は、満足だった。
隣に座ったのは、あの黄さんだった。
「これ、何で出来てるの?」
僕が尋ねると、ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべて、僕の食べる様子を眺めていた彼女は、困った顔をした。
そして、
「Uhh.Minced Pork Rice」
と英語で言った。
どうやら日本語で説明できなかったらしい。
それを察した、劉さんが気づいて説明してくれた。
「豚バラ肉を醤油のスープで甘辛く煮込んで、ご飯にかけたものだよ」
と。
「へえ」
台湾に行ったら、食べて見たかったもの。それがこの魯肉飯。確かに、黄さんが言うように、珍しい物ではなく、夜市を中心に街のあちこちで気軽に食べることが出来る料理でもあったし、もちろん、味は非常に美味しいし、ある意味、日本人の舌に合う料理だった。
辛すぎず、甘すぎず。
僕はその後、黄さんの案内で、台湾名物の芒果冰(マンゴーかき氷)を食して、夜市を満喫し、夜遅くにホテルに帰って、さすがにその日はぐっすりと眠りに着いたのだった。
翌朝。
僕と袋小路さんが、劉さん、黄さんと待ち合わせしている、バイク屋に向かうと。
「早安」
まるで花が咲くような、可愛らしい笑顔で迎えてくれたのは、あの黄さんだった。
おそらく「おはよう」と言ってるのだろう、と察した僕だが、肝心の劉さんがいない。
今日は、面倒なバイクレンタルの手続きを、現地人で翻訳も出来る劉さんがやってくれるはずだったのだが。
「劉さんは?」
僕が尋ねると、彼女は困った表情で、
「うーん。すぐ来る、と思う」
とだけ答えた。
結局、待つこと10分ほどして。
「ごめんなさい。遅れました」
走って現れたのは、劉さん。それもスクーターでやって来た。
劉さんは、台北特有のバイク渋滞に巻き込まれたと言っていた。
そして、日本から用意してきた、免許証の中国語翻訳文をバイク屋に渡す。
あとの手続きは、すべて劉さんがやってくれた。
価格交渉から、値切り交渉まで。これが非常にありがたいのだった。
何しろ僕も袋小路さんも、中国語はさっぱりだったからだ。
さらに、驚くべきことに、劉さんが口に出した。
「今日だけは、僕と黄も付き合いますよ」
と。
「えっ? いいんですか?」
「いいですよ。台湾は初めてでしょうし、バイクの走り方も教えます」
どこまでも、「いい人」の劉さん。
そして、僕たちはバイクを借りた。正確にはスクーターだった。
僕が借りたのは、台湾メーカーのkymcoのGP125という125ccのスクーター。袋小路さんが借りたのは、同じく台湾メーカーのSYMのGT125という、125ccのスクーター。
ちなみに、劉さんは、元々持っている、SYMのJOYMAX Z250という250ccのスクーターで、黄さんを後ろに乗せて案内してくれるそうだ。
台湾では、日本でよく見るような、いわゆる「バイク」的なバイクはほとんど見かけない。
台湾二大バイクメーカーと言える、kymcoとSYMが造っているのは、ほとんどスクーター。実は一部、kymcoは4輪バギーも造っているが。
とにかく、圧倒的に台湾ではスクーターが多い。
そして、準備をして早速1日目がスタートする。
袋小路さんの要望を取り入れて、大きな島である台湾を一周する冒険が始まった。
通常、こうした島では、海が見えるように「時計回り」が一般的だが、この旅をある意味、主催した袋小路さんは、台湾が右側通行であることに配慮して、「反時計回り」に回ることを提案した。もちろん僕はそれに従ってプランを作成した。
つまり、1日目は台北から海沿いに回り、台湾第二の都市、台中を経て、台南まで。
2日目は、台南から台湾第三の都市、高雄を経由し、最南端から台東、そして花蓮へ。
3日目は、花蓮から東海岸を北上し、最北端を経由して、再び台北へ。
というルートだった。
しかし、
―ビィイイイイーー!―
「うわっ!」
早速、僕は洗礼を浴びていた。
(そうだ、右側だった!)
普段の「慣れ」というのは恐ろしい。
ほとんど無意識のうちに、出発してすぐに左車線に入ろうとして、思い切り対向車からクラクションを鳴らされていた。
左車線ではなく、右車線。
さらに二段階右折ならぬ、二段階左折。
そして、
「バイク専用レーンまであるのか」
驚いたのは、バイクのマークが描かれた専用レーン。
日本でも最近では、自転車専用レーンというのが存在するが、バイクが圧倒的な数を占めるここ台湾では、バイク専用レーンというのが、至るところに存在する。
さらに、
「速ええ!」
信号機待ちからのスタートダッシュ。
台湾のバイクライダーたちは、それがはっきり言って、めちゃくちゃ「速い」。日本人的にはスピード感がおかしいのだ。
それらに慣れていかないと、ここ台湾ではバイクを乗りこなせない。
ある意味、日本という「おとなしい国」とは全く違う、喧噪とスピードと、しかし人の優しさはある国、それが台湾だった。
旅は続く。




