第18話 台湾ツーリング(PART 1)
目の前に広がる、繁体字の群れ。
意味は、完全には理解できなくとも、何となく類推できてしまうのが、同じ漢字文化圏のメリットでもある。
季節は10月だというのに、まだ蒸し暑い。
臺灣。
看板に旧字体で書かれた文字が見えた。
「ほお。ここが台湾か」
初めて来る大地、そして僕にとって初めての海外でもあった。
何故、僕がこの台湾にいるかと言うと。
話は、1か月ほど前にさかのぼる。
いつも「唐突」な動きをする、予想がつかない「彼女」が突然、とあるツーリング中に言ったのだ。
「私、台湾に行く」
と。
「えっ」
驚いて、聞き返した僕に、彼女は事もなげに言い放った。
「だから私は台湾に行くって」
「どうしてですか?」
「どうして? そんなの行きたいからに決まってるじゃない」
「……」
僕は、言葉を詰まらせていた。
それは、彼女、袋小路さんがまるで、登山家が「そこに山があるから」登ると言っているのに似ているから、と思ったからだ。
どこまでも貪欲で、己の欲望に忠実、とも言えるのだが、彼女の欲望はついに「海を越えた」と言っていい。
詳しく聞いてみると、袋小路さんは、「台湾をバイクで一周したい」らしい。もちろん、持ち込むのではなく、現地で借りるのだが。
仕方がないので、僕はすぐに思い出し、以前のツーリング中に知り合った、台湾出身の劉さんに連絡をした。
―僕の知り合いの女の子が台湾に行きたいって言ってるんだけど―
返信はすぐに返ってきた。
―お久しぶりです。了解しました。せっかくですからあなたも来たらどうでしょう?―
言われて僕は、
「えっ?」
思わず、声を上げていた。
そして、考える。
(確かに袋小路さん一人で台湾に行かせるのは、危険な気がする。何よりも僕は彼女を一人にしたくない)
最近は、どうも距離感を感じるというか、いまいち仲が進展していないような、僕と袋小路さんの関係。
しかし、僕は彼女を「諦めた」わけではない。
何よりも、彼女を一人で行かせて、劉さんと仲良くなって帰ってくるのも癪だと思った。
独占欲というか、彼女への思いが、思いがけない行動力を発揮していた。
以降は自分でも驚くくらい、迅速に動いていた。
すぐにパスポートを取得手続きを行う。ちなみに、袋小路さんはすでにパスポートを持っていた。
そこから袋小路さんに連絡して、一緒に行くことを告げ、「全て僕に任せてほしい」と言って、飛行機を手配。
もちろん、袋小路さんの要望を聞いて、それを最大限にプランに組み込む。彼女の要望は「バイクでの台湾一周」だった。
さらに、「台湾でバイクに乗るため」の手続きを行う。
通常、日本国外で車やバイクに乗る場合、「国際免許証」が必要だが。
実は台湾は異なる。
・日本の運転免許証(普通二輪・大型二輪)
・日本の運転免許証の中国語翻訳文
・パスポート
・クレジットカード
以上の4つが必要になる。
幸いだったのが、僕にとって、劉さんという現地人の知己がいたことだ。
彼に上記の中国語翻訳文のことを話すと、すぐに、
―僕に任せて下さい―
と言ってくれたのだ。
その通り、彼に任せることにした。実はJAFの「運転免許証翻訳文申請サイト」で中国語翻訳文を作成してもらうことが出来るが、その費用は4,400円かかるらしいからだ。
一方、劉さんに任せれば、FAX代くらいしかかからない。
なので、すぐにFAXで送って依頼。
すぐに用意してくれるのだった。
さらに、飛行機の到着に合わせて、空港に迎えに来てくれることになり、台北市内にある、レンタルバイク屋まで紹介してくれるという。
まさに、「至れり尽くせり」。
そんなわけで、僕たちは10月に大学を休み、台湾へ飛んだ。
日程は、4泊5日。
あまり時間はないので、素早く回らないといけないが、金に関しては、実はほとんどが袋小路さんの父である、冒険家の袋小路鷹志さんが出してくれるのだった。
世界を股にかけて活躍する、大冒険家である袋小路さんの父は、娘が「世界に旅立つ」ことを応援してくれるらしいのだが、それにしても僕に関しては、家族でも何でもない。
それなのに、台湾への往復航空券代を出してくれるという。
ただし、レンタルバイク費用と現地滞在費に関しては別だった。その分に関しては僕が貯金を崩して捻出した。
彼女曰く。袋小路鷹志さんの言によれば、
「海外でバイクに乗るのは、瀬崎くんのバイクライフにとっても、いい経験になる」
だそうだが、太っ腹な人だった。
一応、というより、海外で事故を起こして、怪我を負うと、莫大な治療費を請求されるので、海外旅行保険にも入り、僕たちは台湾へ飛んだのだ。
東京から台北までは、飛行機でたったの4時間程度。
東京から沖縄の那覇までが、約3時間なので、それより1時間足しただけでもう台湾だ。
台湾桃園国際空港。
そこの到着ロビーに降りて、イミグレーションを抜けると、そこに懐かしい劉さんの姿があった。
「晚安」
聞き覚えのないような中国語で挨拶をしてきた、劉さん。
「?」
頭にハテナマークを浮かべていた僕と袋小路さんに、彼は笑いながら、
「こんばんはって意味ですよ」
と説明してくれるのだった。
時刻的には、すでに夕方の16時くらいだったから、「こんにちは」より「こんばんは」の方が正しいのだろう。
ちなみに、「こんにちは」は、台湾でも中国と同じく、「你好」を使うらしい。
気になったのは、その劉さんのすぐ隣にいた、女の人の姿だった。
スラっとした、モデル体型の高身長。サラサラの髪をストレートに下ろし、手足も細くてモデルのようで、顔は小さいし、目は大きい。
はっきり言って、美人だ。
おまけに化粧っ気が少なく、けばけばしくない、ナチュラルな美人だった。
驚く僕に、彼女は、何やら早口の中国語で声をかけて、笑顔を浮かべた。笑った顔は、まるで人形のように可愛らしく、ドキドキしてしまうほどだった。
「ああ。この子は、黄美玲。僕の恋人です」
(マジで!)
思わず、僕は心の中で声を上げていた。
こんな可愛い子が彼女とは何てうらやましい、と。
僕は劉さんに再会したことよりも、黄さんと知り合えたことに喜びを感じるのだったが。
彼女に熱い視線を向ける僕の横顔を、袋小路さんが少し怖いような目で見つめていた。
そして、これから始まる台湾ツーリングに期待を持ちつつも、この台湾の土地で、僕と彼女の停滞していた、微妙な距離感が変化することになろうとは思いもしないのだった。




