第11話 スーパー林道にて(前編)
結局、僕は袋小路さんの背景や生い立ちを知らないまま、長期の夏休みに入って、それに合わせるようにバイトを入れていたから、彼女とはあまり顔を合わせることがなくなっていた。
寮にある食堂もまたお盆休みに入り、僕は彼女と会えない寂しさと一抹の不安を抱えながら、日々、バイトに勤しんでいた。
何しろ、「バイクは金がかかる」乗り物だ。
大型バイクなら車検代、税金。
250cc以下のバイクには車検はないが、日々のメンテナンス費用、オイル交換代、店に持って行けば工賃もかかる。
さらには、スクーターでは必要がなかった、きちんとしたライディンググローブにシューズ、ジャケットまで一通り揃えるだけであっという間に金欠になる。
おまけにガソリン代も最近は高かったのだ。
というわけで、大学生活の貴重な1年目。長い長い、2か月近くもある夏休みに、僕は彼女、袋小路さんとほとんど出かけることがなかった。
満を持してこちらから誘ったこともあったが、
―ごめん。用事がある―
との素っ気ない返答が返ってきただけ。
元々、バイクに乗っていない時は、決して社交的とは言えない彼女。僕は「嫌われているのかも」と不安にすら陥っていた。
そんなこんなで、9月。
まだまだ残暑厳しい、「夏」と言っていい季節。
諦めかけていた僕の元に、一通のメッセージが入った。
―今度の日曜日、林道に走りに行くけど、来る?―
―行きます!―
もちろん、袋小路さんからで僕は喜び勇んで返信を返していた。
そして、日曜日。
待ち合わせは、いつもの寮の駐輪場、かと思いきや。
―狭山PA外回り、午前5時―
彼女が指定してきた時間は正直、「常識外れ」すぎて、僕は面食らっていた。
(5時! えっ、午後じゃないよね)
朝の5時。
メッセージを見返してみても、確かにそこには午前5時、と書かれてあった。
狭山PA(外回り)は、圏央自動車道にある、小規模なパーキングエリアで、八王子市にある、この寮からは約50分~1時間程度で行けるが、そうすると逆算して、午前4時には寮を出発する必要がある。
(大体、寮で一緒に出発すればいいじゃないか)
と、あえて一緒に行くことを拒むかのような態度を取る彼女に、僕は不満を抱く。
だが、誘われて嬉しくないわけではなかったので、そのまま当日を待って、出発することにした。
午前3時に起床。めちゃくちゃ眠い状態で、準備をして、午前4時頃にヘルメットを持って、寮の駐輪場に向かったが。
(もういない)
なんと驚くべきことに、袋小路さんのVストローム250SXの姿が、駐輪場にはなかった。
現在時刻、午前4時。まだ夜も明けておらず、真っ暗だ。
なのに、すでにいないということは彼女はそれより前に出発したことになるし、どこかに寄ってからPAに行くつもりなのかもしれない。
とりあえず、答えはわからないので、僕も準備をして出発。
この時期の、夜明け時間はおおむね午前5時から5時15分頃。
東の空がまだ全然明るくならないうちに、寮を出発。八王子市の市街地を通り、あきる野インターチェンジから圏央道に乗り、ようやく東の空が薄明るくなり始めた頃、予定より早く、午前4時50分頃に狭山PAに到着。
もちろん、彼女はいた。
バイクから離れた場所で、一人缶コーヒーを口に含んでいた。
僕の姿を見ても、ニコリともしない袋小路さん。一体、何を考えているのか、僕はわからないまま、一応、バイクを降りて彼女に挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日はどちらへ?」
「そう言えば話してなかったね。群馬県にある御荷鉾スーパー林道」
「聞いたことないですね」
「まあ、オフロード乗りの間では有名だけど、一般観光客が行くところじゃない」
相変わらずぶっきらぼうというか、少し不機嫌にも見える、どこか素っ気ない口調の袋小路さん。
前にあったような、生理による不機嫌さとは違うようだが、どうもテンションが低いように思えた。もっとも怒っているような感じでもなかったが。
とりあえず、僕は「何故こんなに早い時間に?」と聞く余裕もなく、すぐに出発する、と言い出した彼女に従って、狭山PAを出発。
時刻は午前5時頃。
ようやく東の空が明るくなり、黄金色の空を見せ始めていた。
前を走る袋小路さんのバイクは、この圏央道から関越道に入り、そのまま北上。幸い、朝が早いため、日曜日にも関わらず、道は空いていた。
毎週末に行楽渋滞を引き起こすことで有名な関越道も、まだ眠っていたのだ。
東から強烈な朝日を浴びながら、彼女のバイクを追いかけ、やがて本庄児玉インターチェンジで降りると、彼女は途中、コンビニに立ち寄った。
僕も続いて、バイクを降りる。
そこで、軽く朝食のパンとコーヒーを買い込み、いきなり駐車場でそれを口にし始めた彼女に、僕は気になっていたことを尋ねる。
「袋小路さん。どうして、こんな朝早くに?」
「ああ。だって、渋滞嫌だし。それに……」
「それに?」
「バイク乗りにとって、早朝の夜明け前はゴールデンタイムなんだよ」
「ゴールデンタイムですか?」
「そう。1日で最も美しい夜明け前の時間。その静寂さと神々しさを眺めるチャンスだからね」
それを聞いて、僕は、彼女は意外にも、と言うと失礼だが、「詩人的」だと感じるのだった。
朝日に照らされて輝く、彼女の横顔を見ながら、僕も買ってきたおにぎりを頬張る。
時間的には、まだ午前6時台。
すでに場所は、群馬県に入っていたが、田舎の県道に面したこの辺りは、人気もなく、もちろん交通量もほとんどない。
その後、再度出発。
やがて、20分ほどで大きな看板が置かれた交差点に差し掛かった。
そこには、「みかぼ高原オートキャンプ場」と書かれた大きな看板や、それ以外にいくつかの看板があった。
彼女はフルフェイスヘルメットのシールドを上げ、
「ここからが御荷鉾スーパー林道。とりあえずついて来てくれる?」
と言ってきたので、僕は頷いた。
この林道は最初から舗装林道だった。
なので、何の変哲もない、ただの細い山道を20キロほども走った。
ある意味、拍子抜けするくらいの普通の道に思えた。
だが、やがて先頭を行く、袋小路さんのバイクが、とある大きな茶色の看板の前で止まった。そこには「みかぼ森林公園」と書かれてあった。
フルフェイスヘルメットのシールドを上げた彼女が、後ろの僕に声をかける。
「ここから先が本格的なダートだよ」
と。
御荷鉾スーパー林道の本気が、この看板から試されることになる。
僕と彼女の、思いがけない、スーパー林道ツーリングが始まる。




