第10話 林道と廃墟
8月。
大学が長期の夏休みに入り、まだ大学1年生の僕と、大学2年生の袋小路さんは、就職の問題を気にしなくてもいい、ある意味では最も自由で、人生で一番「いい時期」の夏休み。
学生ゆえに金はないけど、時間はあった。
そして、同じ寮に生活しているから、学校が休みでも、寮の昼食時間などに食堂で顔を合わせることがあった。
ある時、彼女が周りの寮生たちの目を気にするように、遠慮がちに食事中に声をかけてきた。
「今度の火曜日。ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「え、はい」
いきなり声をかけられたから、戸惑いつつも僕は素直に頷いた。
彼女は、それを確認すると、すぐに離れていった。周囲の目がある時は、相変わらずどこかよそよそしい、というか遠慮している節がある彼女。僕との関係を詮索されるのが嫌なのかもしれない、と考えると、僕は少し複雑な気分ではあった。
その後、食事が終わって、部屋に戻ると、すぐに彼女からショートメッセージが届いた。
(待ち合わせは駐輪場じゃなく、このコンビニで。午前6時)
照れ臭いのか、それとも僕との関係が知られたくないのか、彼女がURLを張り付けて、指定してきた待ち合わせ場所は、いつもと違っていた。コンビニはすぐ近くにあるから、大して変わらない気がするが。
そして、次の火曜日の朝。
快晴だった。
おまけに猛烈に暑い一日だった。
朝から気温が30度近いし、日中の最高気温が35度を超える予報の、猛暑の一日。
家からバイクで5分ほどのコンビニに午前6時に向かうと、すでに彼女のVストローム250SXは駐車場に停まっていた。
相変わらず、小さなリアボックスを申し訳程度に乗せているだけの、実に簡素な積荷だった。
彼女は、その脇で缶コーヒーを飲んでいた。その様が1歳しか年が離れていないのに、大人っぽく見える。
「おはようございます」
「おはよう」
バイクを降りて、挨拶を交わす。
さすがにこの異常な暑さに配慮して、お互いにかなりの薄着の軽装だったが、それでもバイクに乗る以上、転倒することを考えて、お互いが長袖、長ズボンにはしていた。
彼女に行き先を聞くと。
「奥武蔵グリーンライン、あと中津川林道と廃墟」
素っ気ない感じで目的地だけが提示されていた。
機嫌が悪そうにも見えるが、それが照れ隠しなのか、本当に機嫌が悪いのか、はわからなかった。
だが、僕としては袋小路さんと一緒にツーリングに行けるだけで、個人的には嬉しかった。
まずは幹線道路の国道16号を通り、途中から折れて、埼玉県の飯能市に入る。
そこから幹線道路の国道299号を通って、真っ直ぐ進むと、秩父方面に行けるが、袋小路さんが選んだのは、そこから明らかに頼りない、細い林道だった。
ある意味、「林道マスター」とも言える、彼女のバイク、そしてライディング技術が生かされ、彼女はぐんぐん細い山道を登って行くので、僕はついて行くのがやっとの状態。
やがて、山道を登りきると、今度は、深い森に包まれた、静寂に包まれた長い林道が待っていた。
幸い、かつての端上林道のような、えぐれた道がない、舗装された道が続くが、それでも幹線道路に比べたら、路面状況は格段に落ちる。
デコボコした凹凸の多く、路面はところどころひび割れており、さらに砂や細い木片が落ちているような道で、中央線もないので、およそ1.5車線くらいしか道幅がない。
そんな細い道を彼女のバイクは実に楽しそうにガンガン走って行く。
一方で、僕はまだ慣れていないのと、初めて走る道だから、余計に慎重に走って、彼女に何とかついて行くのがやっとの状態。
やがて到着したところは、開けた場所で、砂利道の駐車場になっており、「刈場坂峠 標高818米」と書いてある木の板が立っていた。
バイクのエンジンを止め、袋小路さんが降りる。
僕もまた、エンジンを切って、ヘルメットを脱ぐ。
「かりばさかとうげ? 818米ってなんですか?」
「違うよ。かばさかとうげ。米ってのは、昔の表記でメートルのことなんだ」
「へえ。でも綺麗ですね」
眼下に広がるのは、奥武蔵の青々とした山の稜線。晴れているから、山の塊が綺麗に見えた。
ここで小休止を取るが、トイレくらいしかないため、すぐに出発。
その後は、僕にはどの道を通ったかもわからないまま、ひたすら細い林道の山道を走ることになった。ただ、木々に囲まれているだけで、日差しが遮られるので、猛暑とはいえ、不思議と涼しい感覚がする道ではあった。
やがて、定峰峠に入り、そのまま秩父の街中に降りて行く。
その後、主に国道140号を走り、秩父の中心部からどんどん離れて、再度、深い山に入る。
国道から大きなダム湖を眺めながら、やがて標高が上がったところで、右折。
そこから先はトンネルが続くが、明らかに交通量が少なく、信号機もない山道に入った。
後で知ったことだが、ここは県道210号、「中津川三峰口停車場線」という道らしい。
さらに奥に進んだところで、前を走る袋小路さんのVストローム250SXは左折して、進んで行ったが。
やがて停まった。
僕も停まるが。
「通行止」
と書いてある看板と、ロープが張ってあり、その先には進めなくなっていた。
「袋小路さん」
シールドを上げて、声をかけると彼女は首を振って答えた。
「通行止めみたい。仕方ないね。林道じゃよくあることだ」
そう言って、Uターンし、元来た道を戻る。
今度は、先程の分岐点を左折し、さらに頼りない、細い林道を走って行った。
幸い、道はダートのような未舗装路ではなく、一応は舗装路だったが、それでも僕は内心、不安だった。
(こんな山奥でバイクが停まったら)
と、当然考えてしまう。何しろ途中から携帯電話の電波が完全に圏外になっていたからだ。
やがて、街灯もない、真っ暗なトンネルに入った。
(怖いなあ)
と、男の僕でさえ思うような、細くて、頼りない、夜には走れないような暗いトンネルを抜けると。
やがて、彼女は古ぼけた、木造平屋の建物の前でバイクを停めた。
そこは、看板を白く塗りつぶしてあり、元が何の建物かわからなかったが、かろうじて赤い郵便ポストがあったので、類推はできた。
「ここは?」
バイクを停め、ヘルメットを脱いで訪ねる。
「旧日窒鉱山の郵便局。昔は栄えていたところだよ」
袋小路さんは、バイクを降りて、そのバイクの後ろに郵便局の建物が入るような構図で写真を撮った。
僕としては、何とも物悲しいほどに、人気が少ない場所で、頼りないというか不安をかき立てるような場所に思えた。
しかし、彼女はさらに奥へバイクを走らせる。
続いて行くと、道端には崩れかけた建物跡や、明らかに廃墟のような建物、鉱山施設と思われる建物が現れる。
さらに、奥に行くと、路面がガタガタになり、木々の向こう側に古い木造建築物が見えてきた。
その辺りで、彼女はまたバイクを停めた。
「あれは、小学校の跡。この先には社宅跡もある」
指を指して森の奥に見える木造建築物を指した。その口ぶりから、恐らく彼女は以前、ここに来たことがあるのだろう。
結局、その後も廃墟のような建物を見て、写真を撮り、林道の途中で、いつものようにバーナーとコッヘルで作る袋麺の昼食を食べて、夕方には帰途に着いた。
ただ、改めて走ってみて、帰りの道すがら僕は思うのだった。
(袋小路さんは、変な道ばかり走りたがる)
と。
彼女は、まだ20歳くらいなのに、まともな道を走る、いわゆる「まともなツーリング」には一切興味がないような、辺鄙な道、林道ばかり走りたがるのだ。
その辺りに、彼女の謎というか、秘密があるのかもしれない。
そう思うのだが、では「何故、袋小路さんがそんな道ばかり走りたがるのか」という理由については、彼女の背景や生い立ちを知らない以上、今の僕にはわからないのだった。
それを知るには、もっと深く彼女のことを知らないといけない。
ただ、恐らく僕は彼女に「惹かれて」いるのだろう、ということは気付いていた。
夏休みは続く。




