2 テレパシーの証明
『はい……?』
唐突に脳内に響いた亜翠みずきの声に、僕は心臓が跳ね上がるのを感じた。慌てて空き家の中を見回す。しかし、そこにあるのは朽ちかけた廃材と蜘蛛の巣だけ。人影はどこにもない。
「え? どういうこと??」
混乱した思考が頭の中を駆け巡る。周囲を見渡しても、やはり誰もいない。まさか、本当に念話……!? そんな馬鹿な。
理性は否定する。しかし、胸の高鳴りは収まらない。好奇心が恐怖を凌駕し、僕は意を決して、亜翠さんへ再び念を送ってみる。
『亜翠さん……?』
数秒の沈黙の後、優しい声が返ってきた。
『はい。えーっと、私、確かに亜翠みずきですけど、これは一体……?』
亜翠さんの声も、僕と同じように戸惑いと混乱に満ちているようだった。しかし、確かにそれは、アニメやゲームで聞き慣れた、紛れもない彼女の声だった。
『な、なんなんでしょうね? 急に亜翠さんの声が聞こえてきて……』
動揺を隠せないまま、僕は言葉を紡ぐ。
『そうなんですね。私も同じです……あの……それで、あなたは小日向拓也さんですか?』
亜翠さんの問いかけに、僕は反射的に名乗っていた。
『え!? あ、はい。そうです。小日向拓也です』
しかし、なぜ亜翠さんが僕の名前を知っているのか。疑問が疑問を呼ぶ。
『そうなんですね! なんだか変な感じですけど、よろしくお願いします!』
明るく、無邪気に、亜翠さんは言った。
『はい! よろしくお願いします……!』
ぎこちなく、僕は返礼する。心臓はまだドキドキと高鳴っている。
『えっと、じゃあこれはテレパシーってやつでしょうか?』
亜翠さんがおずおずと推測する。
『どうなんですかね……えっと、亜翠さんは今どこに?』
僕は現実に引き戻されるように、冷静さを取り戻そうとした。
『私は今、東京の自宅です』
『そうなんですね……俺も……まぁ、自宅といえば自宅ですね』
正確には、自宅の目の前にある廃屋の前なのだが、それは今は置いておくことにした。
『えーっと、私、小日向さんに急にどこからか話しかけられて、それで返事をしたんですけど……』
亜翠さんは状況を整理しようとしているようだ。
『そうなんですね。確かに俺、亜翠さんに届け! と思って念じたかもしれません』
それは事実だ。確かにそう念じた。しかし、本当に届くなんて……いや、まだそうとは限らない。僕は最近、妄想に支配されていたのだから、これも統合失調症の症状、幻聴なのではないか?
疑念が頭を擡げる。しかし、亜翠さんと言葉を交わすのが楽しくて、僕はその疑念を一旦、心の奥底に押し込めることにした。
空き家の前に佇んでいると、晩秋の夜気が身に染みる。それに、眠気もじわじわと忍び寄ってきていた。僕は名残惜しい気持ちを押し殺し、亜翠さんに帰宅を告げた。
「あの……空き家の前にいるのも寒いですし、そろそろ家に帰っても良いですか?」
『あ、そうですね! 私もなんだか頭がぼーっとしてきました。今日はもう遅いですし、また明日の夜にでも!』
亜翠さんも疲労を感じているようだ。
『はい! お疲れ様でした』
別れを惜しむように、僕は小さく呟いた。
夢幻のようなテレパシーでの会話。それが現実なのか、幻なのか、はたまた妄想なのか、僕にはまだ判断がつかない。曖昧な輪郭の真実を抱えたまま、僕は自室へと戻り、ベッドに身を沈めた。そして、微睡みの中で、亜翠さんの優しい声が反響するのを感じながら、眠りについた。
翌日の夜、午後8時を少し過ぎた頃。僕はベッドに寝転がると、期待と不安が入り混じる複雑な気持ちで、亜翠さんに念話を送った。
『こんばんは、亜翠さん。お仕事終わりましたか?』
数秒後、弾むような声が返ってきた。
『あ! 小日向さん! はい! 今日の仕事、ちゃちゃっと終わらせてきました! それと……約束通り、連れてきましたよー!』
約束? 連れてきた? 心臓が再び跳ね上がる。
『え!? まさか、矢張さんですか!?』
期待を込めて、僕は問い返す。
『はい! いま隣にいるので、私と同じように話しかけて見てください!』
興奮を隠せない様子の亜翠さんの言葉に、僕は息を呑んだ。矢張操。亜翠さんと同じ事務所に所属する、人気若手声優。彼女の声もまた、アニメやゲームで聞き慣れた、透明感のある美しい声だ。
まさか、本当にテレパシーが現実になるなんて……?
半信半疑ながらも、僕は高揚感に胸を躍らせ、意を決して、矢張さんに話しかけることにした。無論、テレパシーで、だ。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、声優さんの声がする人々と会話することは、想像以上に楽しくて、僕は矢張さんとも言葉を交わせたら、きっと楽しいに違いないと期待していた。
『あの……矢張さん! 小日向と言います。こんばんは!』
緊張しながら、僕は精一杯の挨拶を送った。すると、間髪入れずに、優しい声が返ってきた。
『え……!? えっと、どうも、こんばんは。矢張操と申します』
やはり、アニメやゲームで聞き慣れた、鈴を転がすような美しい声がした。矢張操さんは、亜翠みずきさんや僕よりも5、6歳年下の、今25歳の若手声優だ。誰が聞いてもヒロインのように聞こえる可憐な声で、そして歌も上手い。彼女が歌った初のアニソンである、『この世界が終わるとしても』という曲は、僕の一番のお気に入りの曲だった。
『ちょっと待ってね、いま矢張さん、混乱してるみたい』
亜翠さんが申し訳なさそうに割り込んできて、僕は静かに待つことにした。数分後、亜翠さんが明るい声で言った。『説明は一応しといた!』
『あ、あの、小日向さん……? 私、テレパシーで話すなんて、今まで一度もやったことありませんけれど、届いていますか?』
矢張さんが、不安そうに、窺うような声で僕に尋ねる。
『はい……! 届いてますよ。矢張さんですよね?』
興奮を抑えきれず、僕は早口で答えた。
『はい。矢張操です……えぇ!? 本当にテレパシーなんてできるんですね!』
驚愕と感動が入り混じったような、矢張さんの純粋な言葉に、僕も心が震えた。
『そうみたいですね。俺も驚いてます』
高揚感を共有するように、僕は笑いながら返した。そんな僕たちの会話に、亜翠さんが陽気に割り込んできた。『驚くなかれ拓也くん!』
『え? どうしたんですか亜翠さん』
僕は不思議で亜翠さんに問い返す。
『実はね~、もう一人、家に連れてきてまーす!』
『え……?!』
驚愕で言葉を失う僕を置いてけぼりに、無邪気な声が脳内に響き渡った。
『あの……!』
控えめで、可愛らしい、聞き覚えのない、しかし、どこか魅力的な声だった。
『声優の香月伊緒奈って言います! おはようございます! え? これで良いんですよね亜翠さん……!?』
『え? 香月伊緒奈さんって言えば、あのバハロニア戦記の香月さんですか!?』
僕は反射的に叫んでいた。香月伊緒奈。人気絶頂の若手声優。透明感のある歌声と、愛くるしいルックスで、男女問わず多くのファンを魅了している、まさに、時代の寵児。
『はい! その香月です! って、え!? テレパシーって本当にできるんですね!?』
香月さんも、驚きを隠せないようだ。
まさか、矢張さんに続き、香月伊緒奈まで……? 一体、何が起きているんだ?
混乱と興奮が洪水のように押し寄せ、僕は思考の海に**溺れかけていた。
『というわけで、今ウチには矢張操ちゃんと香月伊緒奈ちゃんの二人が来てまーす! 二人共落ち着いて! これはきっと凄いことだよ』
亜翠さんは高らかに宣言し、興奮と混乱の渦中にいる後輩声優の二人を、宥めるように落ち着かせようとしていた。
テレパシーの証明できてないぞGemini2.0よ!
まぁ、こまけーこたぁいいんだよ。