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勇者は魔王を倒さなければ死ぬことができない

作者: 牛飼山羊

◆◆◆




少年は魔族の子で、生まれながらにして奴隷だった。


この世界には人族と魔族、二つの知的種族が存在しているが、千年前に人族の青年――――勇者が、魔族の王――――魔王を倒して以来、魔族は人族の奴隷となっていた。

魔族は奴隷としての世代を重ねるうちに弱体化し、魔力も、強靭な肉体も失ってしまった。

かつて宿敵であった人族に対し、魔族ははるかに格下の、弱く卑しい生物として扱われるようになっていた。


人の支配下において、魔族にはなんの権利もなかった。

そのため少年は物心ついたときにはすでに働いていた。


毎日明け方から深夜まで、水汲みや耕運や掘削や肥溜めの処理といった、過酷な汚れ仕事に従事した。

食事は人の残飯で、寝床は家畜小屋の中だった。

毎日唾を吐かれ、殴られ、蹴られていた。

家族はいなかった。

死んだのか、どこか別の場所にいるのかもわからない。

名前は与えられなかった。

主人の暴言ばかり浴びて育ったため、ろくな言葉を知らず、当然文字も読めなかった。

なにかを考える力もなかった。

いつも眠くて、腹が減っていて、身体中が痛かった。

満身創痍の彼に、自身の境遇を嘆くことは、疑問に思うことはできなかった。

意思も気力もなく、ただ命を繋ぐだけの毎日だった。



ある日少年は虫の居所が悪かった主人に足の骨を折られてしまった。

解放骨折で、完治する見込みはなかった。

彼は捨てられた。

路肩で横たわり、蠅にたかられながら、ただ死を待った。

涙はでなかった。

希望を抱いたことのない彼は、絶望することもなかった。

周りには自分と同じように、使いものにならなくなって捨てられた魔族がたくさんあった。

ほとんどは死んでいた。

そのうちに魔族の骸を回収する荷車がやってきて、彼らは回収されるだろう。

細かく砕かれ、家畜の餌となるだろう。

もちろん骸の回収と解体を行うのも、奴隷である魔族だ。

少年は自分がばらばらに砕かれ、豚に食われるところを想像した。

嫌だとも、怖いとも、思わなかった。

彼は身体より先に、心が死んでしまっていた。


「かわいそうに」


そんな少年を拾ったのは、同じ魔族ではなく、人族の青年だった。

青年は折れた少年の足を撫でた。

温かい光が患部を包んだ。

腐って蛆の湧いていた足は、瞬く間に完治した。


「きみ、一人かい?」


青年の問いに、少年は答えなかった。

けれど青年は少年を抱きあげ、言った。


「じゃあ、今日から僕がきみの家族だ」


青年の腕の中は、治癒魔法の光以上に、温かいものだった。



青年に拾われたその日から、少年の名前はシャルクとなった。


シャルクは青年と、青年が面倒を見る魔族の子どもたちと生活を共にするようになった。

青年は人の寄り付かない森の中で、主人に捨てられた魔族の子を養育していた。

そんな人間に出会ったのははじめてだった。

人族にとって魔族は家畜も同然の存在のはずだった。

しかし青年は、魔族の子らを人の子と同じように扱った。

家族として大切にしていた。惜しみのない愛情を注いでいた。

名前を与え、家を与え、温かい食事を与えた。

それだけでなく、家事や読み書き、人族の社会の仕組み、礼節、剣術や魔法といったさまざまな分野の教育を施していた。


「人族と魔族はたしかに異なる生き物だ。でも、僕らの間に差はない。僕らは対等な生き物だ。きみたちが魔族の子というだけで、生まれながらに奴隷とされることは間違っている」


それが青年の信念だった。

青年は両族が対等な種族として共存する社会を夢見ていた。


青年に養われる魔族の子らは、みな感化され、同じ夢を持つようになった。

シャルクも例外ではなかった。

いつか奴隷としてではなく、人と同じ権利を持つ者として、社会に参入したい。

誰も奴隷にならなくていい、魔族のための国を作りたい。

シャルクは夢をみた。

天を穿つような大きな城をたて、そのてっぺんから世界を見渡すことを。

その玉座を、これまでのお礼として、青年にプレゼントすることを。



しかしその夢は叶わなかった。

シャルクが青年に拾われて、数年たったある日のこと、森の中に大勢の人族の兵がやってきた。

それは人族を統べる大帝国の兵だった。


兵たちは家を焼き、魔族の子らを殺した。


奴隷の分際で、と罵りながら。

畜生が人の真似事をするな、と嘲りながら。


魔族は奴隷として扱わなければならない。

決して庇護してはいけない。

これは帝国が制定する法律だった。

魔族の保護は、極刑を免れない重罪だった。

青年はそれを子どもたちに教えなかった。

人と対等になるという夢がいかに難しいことか、青年は子どもたちにあえて明かさなかった。

夢を奪いたくなかったのだ。

希望を抱いてほしかったのだ。

だから子供たちは、ろくな抵抗もせずに殺された。

青年の教えた剣術も魔法もろくに使うことなく、理由のない暴力はいけないという教えを守り、死んでいった。


シャルクもまた、なぜ仲間たちが殺されるのかわからず戸惑うばかりだった。

そして戸惑っているうちに、刃が振り下ろされた。


しかしシャルクの身体に触れたのは、冷たい刃ではなく、温かい人肌だった。

青年がシャルクを庇ったのだ。

背中を袈裟切りにされた青年は、抱きしめたシャルクごと地に倒れ伏した。


「……すまない、シャルク」


青年は震える声で言った。


「ぜんぶ僕のせいだ」


青年は泣いていた。


「逃げてくれ」


青年の涙を見たのは、これがはじめてだった。


「生き延びて、強くなって――――」


青年は抱擁を解き、最後の力を振り絞って、シャルクを森へ突き飛ばした。



「みんなの仇を、討ってくれ」


背後から、兵士が再び青年に切りかかる。

青年の身体は崩れ落ちる。


シャルクは青年に、仲間たちの骸に、燃える家に背を向け、駈け出した。

深い森の奥へ。

果てのない絶望へ。



シャルクは三日三晩駆け、峻険な岩山の頂に立った。

そこには一本の剣が突き刺さっていた。

それは魔族に伝わるおとぎ話の剣だった。

引き抜いた者は、魔王となり世界に君臨するという。

シャルクはそれを引き抜いた。

剣は柄から刀身まで一点の光もない黒色をしていた。

それを手にしたシャルクもまた、頭のてっぺんからつま先まで、漆黒に色を変えた。

鋭利な鱗が全身を包み、大きな尾と角が生えた。

シャルクは怪物となった。

魔力も膂力も跳ね上がり、剣のひと薙ぎで森を瘴気の満ちた谷に変えることができるようになった。


力を手にしたシャルクは、復讐をはじめた。


容赦も躊躇もなかった。

彼は目につく人間すべてを殺した。

人の作ったものは城でも街道でも田畑でも破壊した。

魔族は彼に追従していった。

数百年間、人族の奴隷に成り下がっていた魔族たちは、その本懐を取り戻していった。


シャルクは世界にあった半分の国を滅ぼし、半分の人族を殺した。

数多くの魔族を奴隷の身から解放し、やがて彼らに王として祀られるようになった。


シャルクは魔王になった。

魔族に、およそ千年ぶりに誕生した王だった。


魔王となったシャルクは天を貫くような巨大な城を建造し、その頂に置いた玉座から世界を見下ろした。

世界はすっかり様変わりしていた。

今では人族にとって魔族は無害な奴隷ではなく、生命を脅かす天敵だった。

世界の半分はシャルクのものになっていた。

けれど彼は、まだ足りない、と思った。

世界のすべてを手にするまで、人族をすべて根絶やしにするまで、彼の憎悪が消えることはない。


シャルクは賛同する魔族に自分の力を分け与え、軍勢を仕立てた。

そして残る半分の世界を滅ぼすため、人族最大の帝国へ侵攻をはじめた。


帝国陥落は、しかし目前になって食い止められてしまう。

地方を制圧し、首都に乗り込もうとした魔王軍は、一人の男によって壊滅させられてしまう。


人族に、勇者が現れたのだ。


男は勇者のみが抜くことを許されるという伝説の剣を携え、たった一人で、魔王軍を壊滅させた。

破竹の勢いだった。

勇者は魔族から帝国を守っただけでなく、魔族が侵略した地を次々に奪い返していった。

勇者の登場で形成は逆転し、魔王軍は追い詰められていった。


魔王城に向かってくる勇者に対して、魔王はさまざまな刺客を差し向けた。

しかしすべて返り討ちにされてしまった。

やがて勇者は魔王城にたどり着いた。

シャルクの腹心の部下たちを殺し、踏みにじり、玉座まで駆けあがってきた。


シャルクは憤怒で我を失った。

また奪われるのか、と。



――――僕の大切なものはいつも人に奪われる。

――――人さえいなければ、先生も、みんなも、死ぬことはなかった。


玉座にたどり着いた勇者の姿を、魔王は拝むことができなかった。

憎しみに囚われたシャルクは、もはや生きとし生けるものすべてを破壊するだけの兵器と化していた。


――――僕が死ねば、また魔族は奴隷にされてしまう。

――――人の機嫌ひとつで殺される、脆弱な存在に戻ってしまう。


同胞の仇を討つためにはじめた人族の殲滅だった。

けれどいつしか彼の目的は、復讐だけではなくなっていた。

シャルクは魔王として、魔族の繁栄のために、戦っていた。


――――新しい世界をつくるんだ。

――――魔族がふつうに暮らしていける、魔族のための世界を!


シャルクは渾身の一撃を、勇者に向けて放った。

しかし勇者は倒れなかった。


「これで終わりだ!」


瀕死の勇者は、最後の力を振り絞って、会心の一撃を放った。

そのひと振りは、巨大化したシャルクの身体を袈裟切りにした。


「――――先生?」


絶命する直前、シャルクは自我を取り戻した。

そして見た。

勇者は、あの日自分を庇って死んだはずの、青年だった。






◇◇◇




少年は人族の子で、凡庸な田舎の農家に生まれ育った。

農夫の子として生まれ、農夫の子として死ぬ運命にあった。

けれど少年はある日、探検にでかけた森の中で、大木に突き刺さる純白の剣を見つけた。

それははるか昔、人族と魔族が戦争をしていた時代の遺物だった。

それ抜いたものは勇者の使命を帯び、魔王を倒す力を授けられるという。

しかし人族が魔族を奴隷とする現在、魔王など現れようもなく、勇者の剣の存在は忘れさられていた。

少年はそれが勇者の剣とも知らず手に取った。

そしていとも簡単に引き抜いた。


途端に、少年の全身は魔力で漲り、身体は少年のものから成熟した青年のものへと変化した。

少年は驚きながら、剣を軽く振り上げた。

すると雷鳴が轟き、森中が白い稲光で包まれた。


木々にも、地面にも、影響はなかった。

けれどその一振りは、森で伐採を命じられていた魔族の奴隷集団を消し炭にした。


こうして、農夫の子ベルガは勇者となった。


人族に、およそ五百年ぶりに誕生した勇者だった。



勇者となったベルガには、しかし倒すべき敵がいなかった。

魔族は人に隷属する脆弱な生物で、王を持つどころか、人に害をなすこともなかった。

人の世も平和で穏やかだった。小規模な災害や金品のためなら人殺しも厭わない盗賊団はあったが、人がたくさん死ぬような戦争はなかった。

ベルガは持て余した力で人の世のさらなる平和へ貢献することもできなかった。

彼が手にした力は魔族にしか使えないもので、勇者の剣では人を傷つけることはおろか、樹木のひとつ切り倒すこともできなかった。

ベルガはひどく落ち込んだ。

これでは人より先に大人になっただけではないか、と。


高名な歴史学者のもとで、自身の引き抜いた剣が勇者の証であることを知ったベルガは、少なからず喜んだ。

ベルガは凡庸な少年だった。

秀でたところのない、ただの農夫の子どもだった。

だから彼は勇者になれることを喜んでいた。

物語に出てくるような英雄に自分がなるのだと思うと、興奮してならなかった。

けれど蓋を開けてみれば、勇者とはただの称号だった。形骸化した象徴でしかなかった。


落ち込むベルガを、両親や兄弟、農村の人びとは慰めた。

男前になってよかったじゃないか。

平和が一番じゃないか。

勇者になって悪いことはないだろう。

いまはいなくても、これから魔王が現れるかもしれない。

いまそのときのために、力を蓄える期間だと思えばいい、と。

突然青年の姿になったベルガを、人びとは温かく迎え入れた。

村の奴隷を一掃してしまったことを責める者もいなかった。

奴隷なんてまたどこからか買ってくればいい。

勇者様を一人誕生させたことに比べれば、安いもんさ、と。

人びとは、姿が変わってもベルガがまだ十歳の少年であることを忘れていなかった。

彼らは他のどの少年が傷ついてもそうするように、温かい言葉でベルガを励ましてやったのだった。


ベルガは彼らの労わりを真剣に受けとめ、立ち直った。

――――いつか魔王は必ず現れる。

――――そいつを倒すために、僕は選ばれたんだ。

素直なベルガは、村人の言葉を真に受け、修行をはじめた。

剣と魔法の研鑽に心血を注いだ。


彼は知らなかった。

その剣は、誰にでも引き抜くことができたということを。

勇者になれるものが剣を抜けるのではない。

剣を抜いたものが勇者になるのだということを。



待てど暮らせど、魔王は現れなかった。

ベルガが剣を抜いてから、百年の月日が流れた。

彼は老いなかった。

剣を抜いた時に変化した青年の姿のまま、この百年を生き続けた。

親兄弟はみな老いて死んでいった。

いまでは村は彼の世代の孫たちが取り仕切っている。

彼だけが、若い姿のまま取り残されていた。

そのころには、ベルガは右に並ぶ者がいない凄腕の剣士になっていた。

攻撃魔法から治癒魔法まで、幅広く網羅した全能の魔法使いにもなっていた。

けれど、彼が力を発揮する場面は現れなかった。

魔王が現れる兆しはかけらもなく、魔族は子どもでも簡単に殺せてしまう脆弱な存在のままだった。

ベルガの剣も魔法も、魔族にしか使うことはできない。

けれど弱体化した魔族に剣技や魔法を用いる機会はない。

魔族を懲らしめたければ鞭で打てばいい。魔族を殺したければ棍棒で殴ればいい。

岩をも両断する剣技や、天地を揺るがす大魔法など、必要ないのだ。

ベルガは倦んでいた。

ベルガは孤独だった。

いつか魔王を倒しに行かなければならないから、と、彼は百年間家庭を持つこともしなかった。

やがて同世代の人間が老い、死んでいくと、村で彼は異端者扱いをうけるようになった。

老いない彼を村人は気味悪がった。

彼との結婚を望む女はいなかった。


自分が勇者になる前の姿を知る最後の人間、幼馴染が老衰で亡くなると、ベルガは村を出た。

人の寄り付かない、深い森の奥に入り、そこで自らの命を断とうとした。


「――――ちょっとあなた、なにやってるの!?」


首に刀身をあてた、そのときだった。

突然彼の前に現れたその女性は、彼の頬を、渾身の力で打ち据えた。


「馬鹿な真似はやめなさい!」


それは彼の人生で最も重い一撃だった。



シターシャは羊飼いの娘だった。

群れからはぐれた子羊を探しているうちに、森の奥に入り込み、帰り路を失ってしまったという。

ベルガは魔法を用いて、子羊を見つけてやった。

それから子羊とシターシャを、彼女の村がある森の浅瀬まで連れて行ってやった。


ベルガはすぐにその場から立ち去ろうとしたが、シターシャはそれを許さなかった。


シターシャはベルガを家に連れ帰った。

祖父と父母、シターシャを長女とする七人の姉弟からなる、大家族の家だった。


「うちは見ての通りの大所帯でね、働き手はいくらあっても足りないの。どうせ捨てるつもりの命だったんなら、わたしに拾わせてよ」


そうして、ベルガはシターシャと共に暮らすようになった。

大家族と過ごす日々は、毎日がお祭り騒ぎだった。

喧しく、賑やかで、自分の存在意義を考えている暇もなかった。


倦んでいたベルガの心は、次第に晴れ渡っていった。


やがてベルガとシターシャは結婚し、家庭を築いた。

子は長いことできなかったが、結婚して十年、シターシャが三十、ベルガが百二十二歳の年に、女の子を一人授かった。

二人はこの子を、深く愛し、大切に育てた。

温かな時間だった。

ベルガは自分が勇者であることを忘れ、一人の父親として、幸福を謳歌した。


けれど長くは続かなかった。


勇者であるベルガは、老いることが無い。

いつまでも若い姿のままあり続ける。

けれどシターシャはふつうの人間だ。

彼女は人並みに老いていった。

結婚して三十年もたつと、彼とは親子ほども離れた見た目になってしまった。

家族三人で並ぶと、成長した娘の方が、よほど彼の伴侶らしく見えた。


「わたしが死んだら、きっとあなたには結婚の申し込みが殺到するわよ」


シターシャはそんなふうに、ベルガを茶化した。


「村の若い子たち、みんなあなたのことが気になっているんだから。強くてかっこよくて優しくて、一途な人。あなたって本当に理想の伴侶だもの。断言するわ。わたしが死んだらきっとすぐに後釜争いがはじまる」


覚悟しておきなさい、とシターシャは笑った。

それは彼女のなりの励ましだった。

けれどベルガは笑えなかった。

なにもおかしいとは思えなかった。


ベルガはシターシャに、自分がかつて勇者の剣を引き抜き、不老の身となったことを明かしていた。

シターシャは彼の言葉を信じた。

彼がふつうの人と違うと知っていても、彼と結婚し、子を成したのだ。


「自分の旦那がいつまでも若くてかっこいいままなんて、最高じゃない」


シターシャは懐の深い女性だった。

どんなときでも明るく前向きな、太陽のような人だった。

ベルガは彼女の存在に救われていた。

彼女を心から愛していた。

いつまでも一緒にいたいと願っていた。

けれど彼女はふつうの人間だった。

生まれてこの方ほとんど病気をしたことのない丈夫な身体を持っていたが、老いに抗うことはできなかった。


床に伏した老婆に、かつての笑顔はなかった。

苦しそうに、皺だらけの口角を持ち上げるだけだった。


「わたしが死んでも、ばかなことを考えちゃだめよ」


シターシャは九十一歳でこの世を去った。

長寿だった。

ひと月ほど床についたが、それ以前は、家事をやる元気もあった。

長く幸福な人生だった。

彼女の唯一の心残りは、いつまでも若いままの、自身の伴侶のことだけだった。


シターシャが懸念した通り、ベルガは弔いが済むと、再び自身の喉元に刃をあてた。

ベルガはすでに百八十歳を数えていた。

もう充分に生きた、と彼は思った。

自死を決意したあの日から、今日まで命を繋いできたのは、シターシャがいたからだった。

未だ世界に魔王は現れていない。

娘は伴侶を得て、自分の家庭をもった。

その子がさらに大きくなり、また家庭を築いた。

ベルガには孫が三人とひ孫が五人いた。

彼らはみな幸福そうだった。

ベルガにもはや未練はない。

彼はシターシャの言いつけを破り、その人生に、自ら幕を降ろそうとした。


けれど、できなかった。


勇者の剣で首を切ると、その傷は血を垂らすこともなくふさがってしまった。

谷底へ身を投げても、かすり傷しか負わなかった。

火に身をくべても、ただ苦痛があるだけで、火傷のひとつ残らなかった。

数か月間水にも食事にも手をつけなかったが、命に別状はなかった。


勇者はただ不老であるだけではなかった。

勇者は不死でもあった。


剣を抜いて百八十年目に、ベルガははじめて勇者という存在の本質に気が付いた。


勇者は魔王を倒すために存在している。

魔王を倒すまでは、老いることも、死ぬこともできない。


ベルガは絶望した。

けれど勇者である彼は、心さえも、見えざる力によって維持されてしまう。


彼は狂うこともできず、悠久の時を生きることとなる。

ただ一人で。

身内が老い、死んでいくのを、ただ見送りながら。



絶望しながらも、ベルガはあがいた。

どうにか死ぬことはできないかと、思いつく限りの方法で肉体の破壊を試みた。

あらゆる魔術書を読み漁り、剣の謎を解明しようとした。

けれどすべて徒労に終わった。

明確なことはただひとつだけだった。


勇者は魔王を倒すために存在している。

魔王を倒さない限り、勇者をやめることはできない。

しかしこの世界に魔王は存在していない。


「――――いないなら、つくればいいんだ」


シターシャの死から五十年、孫が老衰で死んでいくのを見届けたベルガの心は荒んでいた。

シターシャと出会った時とは比べ物にならないほど、鬱屈し、冷たく凝固していた。


「そうだ。その方法があったじゃないか」


ベルガは初孫の穏やかな死に顔を見て、ひらめいた。


「残虐非道な悪魔の子を育てて、魔族を復興させよう。奴隷から解放し、人の世を蹂躙させ、魔王の存在を復活させよう」


ベルガは孫と娘、そして最愛の妻が眠る墓前で、誓いを立てた。


「待っていてくれ。僕はきっと立派な魔王を育てる。そしてそれを倒し、このいまいましい勇者の呪いから解放される。――――そのときがきたら、迎えに来てくれ」


天国で再び会おうと、ベルガは冷たい墓石を抱きしめた。



魔王とは勇者の剣と対をなす、魔王の剣を有する者のことを指す。

魔王の剣はかつて魔王城があったとされる峻険な岩山の頂にあった。

それは勇者の剣と同じように、魔族であれば誰でも引き抜くことができた。

ベルガはまず、これはと思う魔族に剣を抜かせた。

剣を手にした途端、人の見た目とほとんど変わらなかったその魔族は、竜に似た巨大な怪物へと姿を変えた。

魔王を冠するにふさわしい容姿へと変貌した。


これを倒せば死ねる。

ベルガは歓喜し、剣を振るった。


怪物はベルガの一撃でやすやすと倒された。

ベルガは死ねなかった。

怪物の身体はぼろぼろと砕け散り、魔王の剣は元あった場所にもどったが、ベルガにはなにひとつ変化がなかった。


ベルガはその後も、同じことを繰り返した。

魔族のほとんどは脆弱な奴隷だったが、中には闘技場で剣闘士として戦う者もいた。

ベルガは強い魔族を探しては、剣を引き抜かせた。

けれど誰も、ベルガの一太刀で叩き伏せられてしまう。

勇者として数百年の研鑽を積んだベルガに敵う者は誰もいなかった。

魔王としていまのベルガに相応しい相手はいなかった。

かといってベルガはわざと負けることもできなかった。

あえて相手の攻撃を受けても、死ぬことはなかった。

身体は損傷し、激しい痛みに見舞われたが、彼は死ぬことができなかった。

魔王の剣によって与えられた傷は、他の傷と異なり治りが遅かったが、しかし致命傷にはならなかった。


勇者は魔王に負けないのだ。

勇者は魔王を倒す。

魔王は勇者に倒される。

これがこの世界の不文律だった。

勇者は魔王を倒すまで死ねず、魔王もまた、勇者に倒されるまで死ねなかった。


そして両者は、ただ剣を引き抜いただけの状態で戦っても、役目を全うしたとはみなされなかった。


魔王は魔族を従え、人族を脅かす存在でなければならなかった。

勇者は人族を救うために戦う存在でなければならなかった。


ただ剣を引き抜くだけでは、この呪いは終わらない。

きちんと舞台を整えなければ、決着をつけることはできないのだ。


ベルガは文字通り、一から魔王を育てなければならなかった。



魔族の捨て子を見つけるのは犬や猫を拾うよりもよほど簡単だった。

奴隷として役に立たない魔族の子を大切にする人間はいない。

魔族の子はたいてい生まれてすぐ奴隷商に売られる。

奴隷商の中には魔族の繁殖を行っている者もいる。

そして育ちが悪い魔族の子は安く売りに出される。

安価な魔族の子はたいてい使い捨てだ。手荒く扱われ、壊れたら捨てられる。

怪我や病気、あるいは飢えで動けなくなった魔族の子は、路上にいくらでもいた。

彼らを顧みる人間はいない。

魔族を奴隷として使役することは認められているが、保護することは固く禁じられているからだ。

かつて魔族は人びとの脅威だった。

へたに懐柔すれば、再びその悪夢が蘇ることとなる。

魔族は虐げなければならなかった。

人びとの安全のために。

世界の平和のために。

魔族は奴隷でなくてはならなかった。


ベルガはその禁を破った。


秘密裏に魔族の子を拾い、人目につかない深い森の奥で養育した。

傷を癒し、温かい食事と清潔な寝床を与えた。

家事と読み書きを教え、剣術と魔法の手ほどきをした。

彼らに誇りを持たせ、思想を植えつけた。

魔族の受ける差別は不当なものだ。

魔族は決して人に劣らない。

人と対等であるべき存在だ、と。


「きみたちが立派な魔族になれば、魔族は卑しい下等生物だと考える人びとの認識も変えられるかもしれない」


ベルガの言葉を、魔族の子どもたちは素直に受け入れた。


魔族の子どもたちと過ごす日々は、ベルガにとって思いがけず幸福なものとなった。

魔族の子どもたちはベルガを先生と呼び、師として、ときには父として慕った。

ベルガは彼らを愛おしく思った。

シターシャと娘と過ごした幸福な日々が戻ってきたかのようだった。

このままでもいいのではないか、と思うことは何度もあった。

けれどその度に、老衰した孫の死に顔が頭をかすめた。


――――この子たちも僕を置いていってしまう。

――――僕はまた一人残される。


耐えがたかった。

考えただけ震えが止まらなくなった。


「先生、どうしたの?」


聡明な少女、エイルは、まっさきにベルガの異変に気が付いた。


「おなか痛いの?」


気弱な少年、ヘルトは、ベルガの背をそっと撫でた。


「さっきハルが力任せに抱きついたりしたからじゃない?」


「マルだって背中に飛び乗ったじゃない!」


ハルとマルの姉妹は、いつも通りケンカをはじめた。


「みんな騒いじゃだめ。先生が困っちゃうでしょ」


お姉さん役であるルルは、そう言ってみなを叱った。


「……先生」


無口なシャルクは、まるでベルガの苦しみに共感したかのように、呟いた。


「悲しいの?」


ベルガは首を振って、震えるシャルクを抱きしめた。


「驚かせてすまない。なんだか急に、とても、寂しくなってしまってね」


「……僕たちがいるよ」


「ああ。そうだね。僕にはきみたちがいる」


「うん」


「……シャルク。きみはこれからもずっと先生の傍にいてくれるかい?」


「うん」


力強く頷いたシャルクに、僕たちも!と他の子どもたちが追従する。


「ずっと先生の傍にいるよ!」


それを聞いて、ベルガは心から安堵する。


「よかった」


ベルガは空を見上げた。

雲一つない快晴だった。

しかし彼の瞳には、僅かな光も灯ってはいなかった。


「僕はもう、大丈夫だ」







ベルガは村の存在を密告した。

帝国が兵を仕向けるように唆した。

すべては彼の自作自演だった。

そうして村は焼かれ、子どもたちは殺された。

ベルガは子どもたちの中で、最も素養のあったシャルクを庇い、村から逃がした。


「仇を討ってくれ」


ベルガはシャルクに呪いをかけた。

兄妹同然の仲間たちと、父のように慕っていた恩師の死を目の当たりにさせ、絶望の底へ突き落した。

そして復讐の道へ誘った。

人を憎め。

世界を憎め。

なにもかもを破壊する、魔王になれ、と。


ベルガはこの日のために、シャルクに魔王の剣の在処を伝えていた。

思惑通り、シャルクは村を出た後、魔王の剣を引き抜いた。


ベルガは怪物へ変貌し、人の世を蹂躙した。


破壊と殺戮の限りを尽くした。

彼の通った後で生きている人間はいなかった。



シャルクはベルガに言いつけられた通り、仇を討っていった。

シャルクにとって仇は、すべての人族だった。

生まれて間もない赤子でさえ、容赦はしなかった。

憎き人族を滅ぼすことだけが、シャルクの目的だった。

しかし解放された奴隷の魔族たちは、彼の下に集い、彼を魔王として崇めた。

シャルクの真の目的は、魔族のための世界を造ることだと思いこんでいたのだ。

彼がただ同胞の仇を討つためだけに動いていると考える者はいなかった。

シャルク自身も、否定はしなかった。

利用できるならなんでも利用するつもりだったのだ。

気付けばシャルクは魔族の軍勢を従えるようになっていた。

シャルクはこれを使い、より徹底的に人族を殲滅させた。

どんな辺境にある村ひとつ、見逃しはしなかった。


すべてはベルガの思惑通りだった。


けれど、誤算もあった。


シャルクは徹底的に世界を破壊した。

その際、ベルガの子孫が暮らしていた辺境の村も、一人残らず虐殺されてしまったのだ。

村は焦土と化し、愛するシターシャと娘の墓も、消し去られてしまった。


ベルガは、憤怒した。


彼はもうシャルクをシャルクだとは思わなくなった。

無口で優しい、自分の子ども同然の少年ではなく、ただの魔王として、倒すべき敵として、認識を改めた。


引き金を引いたのはベルガだった。

シャルクを魔王に堕としたベルガに、すべての責任はあるはずだった。

しかしこのとき、彼はもうほとんど壊れていた。

自分の心を守るために、彼は勇者に成りきろうとしていた。


「五百年生きたかいがあった」


ベルガは愛する人々の眠る焦土で一人、語った。


「待っていたことは無駄じゃなった。魔王はたしかに存在した。僕が倒すべき敵は、ここにいたんだ」


芝居でも演じているかのような口調だった。

半端な魔王では、勇者の倒すべき敵として認められなかった。

シャルクという紛うことなき魔王が誕生したいま、ベルガは最善を尽くさなければならなかった。

自分自身も、勇者として完璧な存在にならなければならない。


ベルガは過去の記憶に蓋をした。

ただひとつの願望と、そのために犯した許されざる罪を忘れ、ただの勇者になった。

魔王を倒す、人族の英雄に。



魔王が復活してから五十年ほどで、世界の半分は魔族のものとなった。

侵略の勢いはなおも止まることなく、ついに魔王軍は、人族最大の帝国へと攻め入った。

帝国は決死の抵抗を見せたが、魔王の力を分け与えられたことで強化された軍勢には敵わなかった。


帝国が陥落すれば、人族の敗北は決定的なものとなる。

世界は魔族のものとなり、人族は絶滅するだろう。


追い詰められた人びとの前に、勇者は現れた。


勇者は帝国に攻め込んでいた軍勢を瞬く間に葬った。

歓声をあげる帝国の兵団を前に、彼は宣言した。


自分は勇者である、と。

魔王を倒し、世界に平和をもたらす者である、と。


彼がただ自分を勇者であると宣言しただけでは、誰もそれを信じなかっただろう。

しかし彼がそれを口にしたのは武功をあげた直後だった。

たった一人で魔族の一個師団を撃破した彼を、疑う者はいなかった。

人びとは藁にもすがる思いで、彼に懇願した。


勇者様、どうか世界を救ってください、と。


その瞬間、彼は名実ともに勇者となった。

勇者の剣を引き抜いてから、六百年の月日が流れていた。

彼はようやく、本懐を遂げることができる。



人びとの期待を一身に背負い、勇者は魔王討伐に向かった。

仲間は持たなかった。

勇者はたった一人で魔族の支配領域に乗り込み、魔王城を目指した。

六百年かけて磨いた彼の剣技と魔法に敵う者はいなかった。

それでも魔王城に乗り込むと、敵の強さもまたそれなりのものとなり、苦戦を強いられた。


魔王の前に立ったとき、彼はすでに疲弊していた。

満身創痍といってもいい。

あばらが何本か折れていた。額が割れて出血していた。

内臓が損傷し、全身が燃えるように熱かった。

敵の血と己の血で鎧は黒く汚れていた。

筋肉が痙攣を起こし、興奮からくるものでも恐怖からくるものでもない震えがとまらなかった。

魔力も底をつきかけ、回復魔法を使う余力はなかった。

一度でも膝をつけばもう二度と立ち上がることは出来ないと思った。


一撃で仕留めるしかない。


勇者は覚悟を決め、剣を握った。


世界を見渡すことのできる魔王城の最上部で、魔王と勇者は対峙した。

黒い鱗に覆われた魔王の手には、一切の光を反射しない漆黒の剣が握られていた。

血に塗れた勇者の手には、一切の影を持たない純白の剣が握られていた。


決着は、一瞬だった。


両者は同時に、渾身の一撃を放った。

闇と光はぶつかり、しばらくの間均衡を保ったが、やがて光が勝った。

闇は光に飲み込まれていき、魔王の力は打ち消された。


「これで終わりだ!」


勇者は魔王の身体を両断した。

魔王は倒れた。


「――――終わった」


勇者は空を仰いだ。


「これでやっと死ねる」


ベルガは勇者の剣を放り捨て、空に両手を伸ばした。


「終わったよ。シターシャ。みんな。僕はやり遂げたんだ――――」


ベルガは目を閉じた。

シターシャが、娘が、魔族の子どもたちが、自分を迎えに来てくれるのを待った。


けれど誰も、彼を迎えにはこなかった。


「――――先生?」


そう呼びかけられて、ベルガははっと目を見開いた。

半分になった魔王の身体は、炭化し、ぼろぼろと崩れはじめていた。

先に崩れた鱗の下から、まだ幼さの残る少年の顔がのぞいていた。


「シャルク……」


ベルガは彼を思い出した。

魔王の器として見込んだ、無口で心優しい少年のことを。

否、本当はずっと覚えていた。

自分が殺そうとしているものがシャルクであることを、彼はずっと理解していた。

けれど永久を生きる恐怖の前に、良心の呵責など、なんの枷にもならなかった。


そしてすべてを終えた今、ベルガは直面することとなった。

自分は子殺しを為したのだという事実に。

シャルクだけではない。自分の命を終わらせるために、ベルガは愛した魔族の子と、数えきれない人びとを犠牲にしたのだということに。


「先生、どうして?」


ベルガを裁き、罰を与えるのは、シャルクだった。

崩れ行くシャルクは、仲間が殺されたとき以上に絶望した顔で、ベルガに問いかけた。


「先生、生きてたの?死んだんじゃなかったの?今までどこにいたの?」


ベルガは答えることができない。

できるはずがない。


「どうして先生が勇者なの?どうして昔の姿のままなの?先生ははじめから勇者だったの?勇者だから、僕を殺すの?」


すべての元凶は僕だ。

お前たちを育てていたのは魔王を作るためだった。

お前の身に降りかかった不幸は、すべて、僕が与えたものだった。

僕の無理心中に、お前たちは巻き込まれたのだ。

ベルガはそう言わなければならなかった。

そう告白し、懺悔しなければならなかった。

けれど、できなかった。

いまさらそんな残酷な真実を突きつけたところで、シャルクの絶望はより深くなるだけだった。

かといってほかにかけるべき言葉も見つけられず、ベルガはただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


「答えてよ、先生」


魔王となってからすでに五十年以上の月日が流れていた。

それでもシャルクの心は、ベルガと過ごしていたあの幼いころのままだった。


「怒ってるの?」


シャルクの瞳から、涙がこぼれた。


「怒ってるから、僕を殺したの?」


ひとつ言葉を発するたびに、シャルクの身体は砕け、塵になった。

けれどシャルクは黙らなかった。


「僕が人をたくさん殺したから?」


シャルクはベルガに許しを乞う。


「先生が仇を討てって言ったから、僕、殺したんだ。仇を討つって、人を殺すことだと思ったんだ。他の方法がわからなかったんだ。ごめんなさい。僕、先生の傍にいるって言ったのに、それも破って……でも、僕、先生が生きてたって知らなくて……それで、ずっと、ひとりで、わからなくて……だから、間違えちゃったんだ」


ごめんなさい、と、シャルクは繰り返した。


「怒らないで。許して。僕のこと、嫌いにならないで」


シャルクはベルガに手を伸ばそうとした。

けれど伸ばした途端に、腕は崩れ、散ってしまった。


「先生」


もうシャルクの身体は頭しか残っていなかった。


「先生、ごめんなさい」


シャルクは懇願したが、ベルガは動くことができなかった。

彼を抱きしめることも、名前を呼んでやることもできなかった。

そんな資格は、彼にはなかった。


「先生……」


その呟きを最後に、シャルクの頭部は砕け、塵となった。

魔王と呼ばれた少年は、深い悲しみだけを残し、その命を終えた。



「――――シャルク」



ベルガは炭化したシャルクの破片をかき抱いた。


「シャルク、謝らなければならないのは、僕だ」


乾いた声で、ベルガは言った。


「全部僕が悪いんだ。なにもかも僕のせいなんだ。僕が、弱いから……孤独に耐えきれなくて、君たちを巻き込んでしまった……」


その懺悔は、誰の耳にも届かない。

生者にはもちろん、死んでいった者たちにも。


「ひとりで生き続けたくなかったんだ……」


地震が起こる。

揺れは次第に大きくなり、天井が崩れ、床に亀裂が走る。

主を失った魔王城が、崩壊を始めたのだ。


「シターシャ」


ベルガは崩落の中、愛する者たちの名を読んだ。


「エイル、ヘルト、ハル、マル、ルル」


彼らはずっと自分の傍にいると言ってくれた。

だからきっと迎えに来てくれる。

死んだら必ずまた会える。

そう願いをこめて、彼は崩れ行く城から逃げようともせず、呼びかけ続けた。


「シャルク……あの世で、今度こそ、本当のことを話すから……みんなにも、ちゃんと謝るから……」


ベルガの足元が崩れる。


「どうか許してくれ」


ベルガは落ちていく。

深い、深い、奈落の底へ。


「僕を一人にしないでくれ」


炭化しながらも、なおぬくもりを失わなかったシャルクの骸を抱きしめながら、ベルガはその長い人生を終えた。






◇◆




崩れた魔王城はその全てが炭化し、巨大な黒山と化した。

勇者が倒した魔族も、魔王も、その黒山の一部となった。

魔王の剣はその黒山の最深部に埋まっている。

黒山には一切の草木が生えなかったが、その頂にだけ、ひどく歪んだ形の巨木が生えていた。

巨木の根元には、刀身も柄も純白の、勇者の剣が刺さっていた。

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