01.落第の章
十年前のある日、日本にて突然にして門は開かれた。
それはゲームやおとぎ話などではない、本物のワープ空間だった。
門の先は物語のような幻想的な世界で、ある日本人は架界と名付けた。
やがて架界の国々と日本は互いに友好関係を築き、架界へ働きに門を潜る日本人も少なからずいる。
そして、そんな彼らとその家族は門の近くに開発された都市「夢未来特別特区」に上流市民として居住の権利が与えられた。
これには一般の人々との明確な差別化に世論をざわつかせた。
さらに政府は一般人からのヘイト対策として、ドーム状に空間を隔てたことで一般人の怒りの矛先は通称夢未来に向き、怯えた上流市民は夢未来から出ることが困難となった。
もはや日本とは別物の何かだった。
とはいえ、上流市民は夢未来の中なら衣食住に困ることはないが。
門の近くには夢未来に住む子供が通う学校がある。
小、中、高とエスカレーター式の一貫校でそびえ立つ校舎はまるで要塞のよう。
通常の授業に加え、架界での生活や文化、架界人との交流、そして門から日本へ流れ出る魔力を利用した魔法の授業とファンタジー小説のようなカリキュラム。
良い意味でも悪い意味でも知らない人はいない。
その学校名は「夢未来魔法学校」
女子は灰色襟のセーラー服と上品なスカート、男子は真面目そうな学ランと高貴で映える上流市民の生徒達が一糸乱さぬ立ち振舞いで登校する。
私もまた、夢未来魔法学校の高校過程の生徒の一人だ。
私の父親は、架界に存在するとある国との貿易関係の仕事に携わっていて、母親は架界にある旅館のオーナーとして住み込みで働いている。
父も夜遅くまで働いているから、基本的に家には私一人で休みの日は暇だ。
学校の、特に魔法の授業はトリッキーで楽しい。
校外での使用が許されるなら暇潰しとして遊べたのに。
「きょうも海音は休みか……」
私は友達の名を呟き、溜め息をつく。
人とのコミュニケーションを苦手とする私は学校内に友達がほとんどいない。
唯一の友達が海音だった。
今日も誰かに話かけられることもなく教室の自分の座席に腰掛けていた。
豪華な宝石をジャラジャラと身に付けた先生が教卓の前に立つ。
「残念なお知らせです。この学級の中から落第の章を持つ者が出ました」
クラスが騒然とする。
落第の章
素行や学力の低さにより厳格な学校の基準を満たせなかった者に下される所謂退学処分だ。
でも、まさかこのクラスから落第の章を下される者が出るとは。
クラスは四クラスで通常学力、素行と魔法の授業の成績によって決められる。
私のいるクラスはその中でも最も成績優秀な人が集まる将来有望な進学クラスだ。
「雷同海音さん。皆さんお分かりの通り彼女は前々から体調が優れず、今回夢未来病院の方へ入院することとなりました。このような章を下すには失礼に値する程成績優秀だったので先生も名残惜しいです」
元々落第の章は退学扱いとなる人を称えるといった皮肉の意味が込められている。
気の強い性格ではあったが、学級委員も受け持っていた海音のことだ。
学校側も故意で処している訳ではないだろう。
「そしてもう一人」
____もう一人?
先生の顔が厳しくなる。
誰か校則違反でもしたのだろうか。
このエリートクラスに至って問題児などいただろうか。
その後、先生が発したまさかの言葉に私は言葉を失う。
「晴虹千鶴、貴女です」
_________嘘、でしょう?
呼ばれたのは自分の名前だった。
確かに体育は専ら出来ず、学力も平均程度だったが、前回の国語と魔法の試験は学校一位を取れた筈。
素行は勿論、問題など一度も起こしていない。
見間違い?思い違いか?
私のことを嘲笑っているのか、驚いているのかどちらなのかは不明だが、教室の中は数秒の静寂が走り、あちらこちらで話す声が聞こえた。
「自分のことを分かってないのですか?貴女は先週の魔力硬度測定で基準値に達するよう不正をはたらいたのです」
魔力硬度測定というのは、生まれつき持った自分の魔力の質を専用の機器を使って測定する検査のこと。
魔力の質が良いと同じ詠唱でも消費魔力が常人より少ない魔力で済むという魔法を使うにあたって自分自身のことを知るためにも大切なことだ。
無論、覚えはない。
一体全体どうやって数値を改ざんすることができるのだろうか。
寧ろ改ざん方法を聞きたいものだ。
突然の事態に困惑していると、一人の女子が狼狽えながらも口を開いた。
「せ、先生。検査の時、私が千鶴さんの担当をしていました。ですので、もし不正が見られるなら私に何か不備があったとしか___」
「可哀想に。貴女はこの女に騙されているのでしょう?若しくは脅されたか……どちらにせよあれは落第の章を貰う程の低能です。構わないで」
「そんな……」
僅かに擁護してくれる人がいたことは嬉しかった。
でもこれでは先生の一方的な言論だ。
ショックと怒りで目元が赤く、熱くなる。
何か言い返さなければ。
少し強気になって先生に物申す。
「あの、私が改ざんした証拠って何処にあるんですか?セキュリティ強化の為に検査時は防犯カメラとかつけてますよね。だったら私に、全校クラスの前で見せてくださいよ。それとも、何か他の言い難い事情でもあるんですか?」
腹が立った。
机を叩いた右手が熱く火照る。
それは私の全身の体温そのものだった。
少しオーバーな言論だったが、それは私の火照った、火が着いたこの身に油を注ぐこととなってしまった。
「ちっ、小賢しい!お前みたいな厄介者がいるからこっちは苛立ってくるのよ……まあいい。旧団地育ちが逆らっても痛くも痒くもないわ。放課後校長室に来なさい。退学手続きをする。夢未来の居住権も剥奪よ。旧団地上がりがこの高貴な学校にいるだけで嫌気が差してくるわ」
旧団地上がり
私はその言葉に、二度も言われた暴言に絶句した。
力が入らなくなった。
先生が去った教室は再び静まり返り、ひそひそ話が耳鳴りのように後を絶たない。
皆私のことを、紛れもない陰口をしている。
父と母は元々低所得者で、旧団地と呼ばれる日本の中でも劣悪な環境の市営住宅、社会問題となり今は解体された場所に住んでいた。
必死にどれだけ稼いでも相当する給与が貰えなかったから団地から抜け出すことも出来なかった。
そんな中で育ったのが私だ。
生粋の所得層上層階級のセレブなら、私がどれだけ良い態度をとっても
恐らくこのことを話したら夢未来の人は、いや老若男女誰もが自分を蔑み、離れていくだろう。
ただ、今から十年前に突如開かれた異世界への門によって晴虹家に絶好の転機が舞い降りた。
父と母共々魔力を多く保有していた。
おかげで異世界にて重宝され、天職を手にしたのだ。
今までの比にならない多額の給与を貰え、私が中学を卒業するころには夢未来に住む資格を手に入れた。
その時が人生で一番幸福を感じた瞬間だった。
ああ、なんてことだ。
築かれた幸せは理不尽な理由で泡のように弾けていく。
無論不正を働いたという記憶の欠片もない。
明日には強制的に夢未来を出ることになる。
私だけでなく、両親までもが追い出されるかもしれない。
積み木崩しのように呆気なく終わった私の幸せは親にまで不幸を振り撒いてしまった。
いずれ親にも嫌われ、。
そうなれば私の人生は終わりだ。
詰みだ。
本当に。
余りにも理不尽すぎる上からの濡れ衣で全てが崩れ落ちた。
形式上の幸せも今日が最後だろう。
忌々しく旧団地の単語を呟く人達の声がこの頭蓋に響き渡る。
この辛さは悪夢でも何でもない。
言い換えるならば現実であることが何よりの悪夢だった。
いづれ親にも見放され、旧団地以上のボロ屋敷で一人か細く死にきれずに生きていくのだろう。
「晴虹さん……ちょっといいかな?」
「何……?」
今にも号泣しそうな私に声をかけてきたのは後ろの席の男子だった。
彼の名前は雨里リト。
関わりも殆どなく、彼はまだ転入してきたばかりの謎だらけな青年だ。
クラス内でも誰かと仲良く話すところは見たことがない。
性格的には何においても興味が無さそうで、世間知らずな部分が多い。
この朝の最悪な状況からして、わざわざ私に嫌味やからかいを言いに来たのだろう。
今日一日彼を発端として学校の人達からハブられるのだろうか。
目の端が赤く腫れている私に気づくこともなく、無口な彼は以外にも気さくな態度で話を振った。
「さっきのことって事実なの?」
やはり。
私の胸の鼓動が悪寒を告げるようにドクンと揺れた。
「事実なんかじゃないよ。嘘だよ……といっても見てないんだから信用できないよね。でも先生が言ってるなら本当___なのかな。ごめん、動揺してて私も分かんない」
少なくとも故意ではない。
私が言えることはただそれだけだ。
「そう。じゃあ、晴虹さん帰り教室で待っててくれないかな?少々用があるんだけど」
一体何が「じゃあ」なのだろうか。
冤罪とリトが言う用との接点が不明だった。
そして、聞き慣れない彼の声とどこか柔らかな表情は、どこか不気味にも感じた。
二人きりの教室で嫌がらせでもされるのだろうか。
ネガティブな思考になってしまった私だが、生憎退学手続きを校長室で行わなければならないので教室には残れなかった。
「ごめん……私さっきの通り退学することになったから放課後は校長室に行かなきゃいけないの」
「なら校長室に呼び出しに行くけど」
リトは間髪入れずにそう返答してくる。
何ということだ。
世間知らずにも程があるだろう。
彼は外国育ちなのだろうか。
それぐらいフットワークが軽いってこと?
どちらにせよ校長室で呼び出しはリトのためにも断りざる終えない。
「い、いや流石にそれはやめた方がいいと思う」
「なんで?じゃないと晴虹さんの濡れ衣、晴れないよ?」
「え?」
私が彼の言葉を聞き返した時、運悪く一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
意地悪しに来た訳じゃないのか。
何故彼は私の冤罪を晴らすと平然と言っているのか。
沢山の疑問があったが聞けなかった。
リトは最後に私の耳元でこう呟いた。
「要約すると、僕に任せてってことだよ。それじゃ、校長室で」
振り向くと、何もなかったかのように笑顔で首を傾げたリトが座っていたのだった。
「それではこの書類に貴女の指紋をつけなさい。これて退学手続きは以上です。明日から貴女は外部者として夢未来魔法学校敷地内には一切入れなくなるので心得るように。ああ、そもそも夢未来にも入れないのに立ち入りできる訳ないな」
校長室の中には私と校長、教頭、担任が書類が置かれたテーブルを囲って椅子に座っていた。
人差し指に渡された赤いインクをぎゅっと押し付ける。
この紙に指紋を貼り付け、校長による魔術を使った儀式が終われば私は完全に部外者となる。
結局リトは来なかった。
今来たところで先生達を説得させても遅いし、説得できるかどうかすら危うい。
まるで巨大な台風が自分の周りを通り去っていく感覚だった。
「これまでの愚かな行為を反省しなさい」
ありもしないことを担任は強い口調で私に言った。
校長にも教頭にも私が極悪人に見えるのだろう。
中年の男二人の濁った目は怒りの眼差しで私を見ている。
希望を失い黒くなった私の視界も自棄に濁っていた。
と、分厚い校長室の扉の向こうからノックの音が鳴り響く。
「もう遅いよ……」
私は掠れた声で、誰にも聞こえない小声でそう呟く。
「あの、校長先生に用があって着ました」
やはりリトの声だ。
「生憎、先生方は都合上今は忙しい。後日来るように___」
と、入室を拒む担任を慌てた様子の校長が止めた。
「せ、先生今はいいんだ。雨里リト君だね?ドアを開けるから少々待っててくれ」
________???
校長先生の挙動がおかしい。
先程まで固い顔をして、私に嫌味も吐いて悪態をついていたというのに。
彼の親の職業上だろうか。
教頭もいそいそと立ち上がり、二人がかりで彼の元に向かった。
「さあさあ、リト君、何か用かね?」
「成績優秀な君のためなら何でもしよう」
逆に先生らのリトへの対応が不自然すぎて怖かった。
生徒の親が財閥や、大富豪だったりすると学校も場を弁えて該当生徒に媚を売り始める。
セレブの多いこの夢未来ではそう珍しくない光景だ。
そして逆も然り。
私が当にその対応を三人から受けているのだ。
さて、彼はどう仕掛ける?
そう考える間もなく、リトは答えを示した。
「えいっ」
その瞬間、時が止まったかのように辺りの空気が凍りついたのだった。
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